11:打てば響く(11月6日) 転載 北極星 11/06 20:31 11月6日 アメリカの大統領選挙 アメリカの次期大統領が、バラク・オバマに決まりました。当選確実となっ たあと、マッケインの敗北宣言、オバマの勝利宣言を聞きました。老人には 暇がありますから。英語耳を持っていないので、そのあとも、インターネット のビデオを何度も見直しました。ジェシー・ジャクソン牧師が、大泣きをして いるのが印象的でした。アップされる黒人たちの喜びの表情と涙を見ている うちに、アメリカの黒人にとっては、オバマの勝利は、特別な意味を持ってい ることが、よくわかりました。 しかし、オバマが当選するには、たくさんの妥協を重ねてきたでしょう。か れに託される大きな希望が、大変な重荷になることも、理解してやらねばな らないでしょう。キング牧師の「わたしには夢がある」という有名な演説を思 い出しました。夢には重みがあるのです。 われわれ老人も、「われわれにはできる」を真似なければいけない。日本 の政治を変えることは、可能です。われわれにもできる。でも、言葉だけで はだめなようです。老人党もインターネットを使うことまでは、正しい選択だっ たかもしれませんが、オバマを支えたような組織を作っていけるか、考えね ばなりません。そのことを含めて、深く考えさせられました。大衆政治と批判 する人もいるかもしれませんが、「われわれにはできる」のような、何万の人 間が一緒に叫べるような言葉を作れるオバマは、政治の天才です。 世界中の人間に、アメリカの大統領を選ぶ投票権が与えられていたなら、 圧倒的多数でオバマは当選していたでしょう。世界の世論調査を見る限りは そうでした。しかし、オバマはアメリカの大統領であり、アメリカの利益を優先 するでしょう。もし大不況対策として、米国の国内経済を優先させるなら、ア メリカへの輸出に依存している日本の産業は、大きな打撃を受けるかも知 れません。そうした先を読める政治家が日本にいるか、残念ながら、今の日 本には見当たりません。しかし、必要はそうした政治家を生み出すもので す。期待しましょう。日本にも若いオバマのような、政治家が出て欲しいです ね。出てくれたら、われわれで、育てましょう。「われわれもできる」です。 12:打てば響く(11月16日) 転載 北極星 11/21 10:02 11月16日 ばらまき好きの首相 世の中の動きが速いので、新しい感想をのせます。 G20が終わった。麻生首相は早速IMFを支援するために10兆円を拠出すると約束した。2兆円を国民にばらまくという案を出して、大騒ぎを起こしたばかりの首相が、今度はその5倍の10兆円を世界にばらまくというのだ。 IMFが改革され、こういうことのために金がいるから、と頼まれる先に、用途も決めずに、金を出すというのだから、日本にはお金が余っている、と思われても仕方がない。 2兆円というのは、たしか消費税1パーセント分に当たる。ばらまいておいて消費税として、三年先にその5倍とるというのだから、だまされてはいけない。10兆円は消費税5パーセント分ということになる。それを今度は世界に向けてばらまくという。 気前よくばらまくではないか。それより、日本の景気刺激策にその10兆円を使う方が、世界のためにもなる。 ばらまいたものは、みな税金として、ぼくたちにのしかかって来る。この人にはそうした計算ができないのではないか。 この人、漢字熟語が読めないらしいことは既に話に聞いた。読むところでは、読みを間違える。読まないところでは、頻繁というべきところを煩雑といったりする。計算といい、国語といい、基礎学力は大丈夫なのか。 小中学校の生徒でなく、この人や国会議員たちに、学力テストをすべきだ。そしてそれを公開すべきだ。 これは、余計だが、大阪の府知事も学力テストを自分で受けて、それを公開したらどうだろう。 その上で、この間の学力テストの結果を公開しろと要求すれば、教育委員会も応じてくれるだろうに。 だれか、麻生首相と、この大阪府知事の学力テストをしてくれないか 13:Re: なだいなだの打てば響く(11月26日) 転載 北極星 11/27 22:03 11月26日 後期高齢者の生活と意見 小林信彦さんから「後期高齢者の生活と意見という文庫版の本を寄贈されました。かれは、日本の指折りのユーモアのある作家ですが、この本の冒頭で、老人党の主張を紹介するところがあります。それゆえ、送ってくださったものと思います。 後期高齢者の問題では立腹されているようです。日本で立腹していない高齢者を捜すのが難しいくらいですが、この本は、その他の高齢者問題以外のテーマの文章も含まれていて、ぼくからも推薦します。 日本では馬鹿という言葉が嫌われ、「あいつは馬鹿だ」などというと、猛烈なバッシングにあいます。ラサール石井が、かれのブログで麻生首相を馬鹿といったとかで、激しい書き込み攻勢にさらされ、ついにブログの一時閉鎖に追い込まれたという話です。 ぼくも麻生首相?この人の学力に疑いを持っていて、「この人、馬鹿じゃなかろうか」と口元まででかかっていたところなので、それを、慌てて口の中に呑み込みました。そこで馬鹿の代わりに、ブッシュということにしました。 麻生はブッシュだね。このギャグは分かる人には分かると思います。田母神もそうとうにブッシュだ、という具合です。 二兆円をばらまいて、景気刺激策?こんなブッシュな人には、早くおさらばしたい。早く総選挙をしてくれ、といいたい。 G20では、この人は、IMFに10兆円を出資すると、気前よく10兆円をばらまいてきました。消費税5パーセント分を、まあ、気前よくばらまいてくれたものです。すべて、あとで国民が負担しなければならない。早くやめて欲しいね。 14:打てば響く 2008年12月31日分 転載 ビートル 12/31 14:49 12月31日 今年最後の感想です 今の状況をイエスが見たら 今、パリにいます。今年中に間に合うかどうか分かりませんが、2008年の最後の感想として書いています。そして今フランスのニュースを見たところです。ガザに対するイスラエルの攻撃は、目には目どころか、10倍にして返す、あるいは百倍にして返すというやりかたで、ギャザの状況を映すテレビ画面には目を覆いたくなります。 ヨーロッパ諸国としても黙認し、放置しておくわけにはいかず、各国の政府が動いているようですが、イスラエルのこととなると、政府水準の動きは鈍く、民衆の水準では、いらだちが広がっています。パリのモンパルナスでは、それを反映して、かなりの規模で、反イスラエルのデモがありました。 ぼくもこのデモのリーダーと同じ思いです。何故、ぐずぐずしているのか。イエスが今地上に姿を現して、パレスチナの状況を見たら、何というでしょう。答は決まっています。「まあ、もう少し待て、様子を見よう」というでしょうか。いうはずがないでしょう。ヨーロッパにはクリスチャニズムの伝統があります。心情的には、イエスが今ここにいたら、どういうか、という気持ちが、道徳心の底にあります。日頃はかなり偽善的になっていて、エゴイズム的に行動していますが、24時間の間に、一瞬ぐらいは考えるときがある。というのは、ぼくの希望的観測で、あまりにも希望し過ぎていて、現実はそう甘くはないかもしれませんが、ここは希望を抱くことにします。さもなければ、自暴自棄になります。 オバマは、今頃、貧乏くじを引いたと思っているかもしれません。でも、そういう状況だからこそ、自分が当選できたのだ、と思ってもらいたいものです。1月20日まで、なんでオバマを待たなければならないのでしょう。ま。どっちみちオバマもアメリカの大統領で、過大な期待は抱かない方がいいかもしれませんが、現状を見ていると、そんな気持ちにもなってしまいます。 過去の有名なユダヤ人たちにも出てきてもらって、一言いってもらいたい気分です。アインシュタインはなんていうでしょう。独裁者という映画を作ったチャップリンは。ハインリッヒハイネは。マルクスは。トロツキーは。シモーヌ・ヴェーユは。 イスラエルの建国を許したのは、平和を願う世界に刺さるトゲを許したようなものです。今や、愚痴に聞こえますが、あそこには、国連が主導して、ユダヤ人とパレスチナ人が、平和に共存できる国家を作るべきだったのです。かれらも同意見だと思います。 イスラエル?それよりも不況だ、年金だ、と考える人もいるでしょうが、これは21世紀の地球の問題です。というのはこれを放置しては、世界のモラルハザードが起きかねないからです。 15:打てば響く 2009年1月6日分 転載 ビートル 01/07 20:01 --------------------------- 1月6日 今年最初の感想です ゲルニカを覚えている人は? ピカソのゲルニカと題された有名な絵があります。本物を見た人は少ないでしょうが、写真で見ている人は多いと思います。1937年4月、ナチドイツとファシズムのイタリアの空軍の爆撃機が、このスペインの小さな都市を爆撃して、世界に衝撃を与え、それがきっかけで描かれたのが、ピカソのこの作品です。 それ以後、一般市民を巻き込む戦争に抗議する平和運動のシンボルとなった絵です。タピストリーにもなって、国連安保理の会議場の前に飾られているそうですが、戦争をする世界の指導者には、気になるようで、イラク攻撃に踏み切って、パウエル国務長官(当時)が、記者会見をした時、カーテンを引かせて、背後にあるこのタピストリーが、テレビの画面に映らないようにしたそうです。今回、ガザ問題で安保理が開かれ、どのような決議が承認されるかわかりませんが、記者会見が開かれるでしょう。その時、このタピスリーが今回も隠されているかどうか、注目しましょう。 ゲルニカ爆撃の数ヶ月後、日本軍は南京の空爆を行いました。その後、世界は第二次世界大戦に突入し、ゲルニカや南京を非難した英米も、ドレスデンの空爆や東京空爆などをするようになります。一見、ゲルニカの絵のような芸術に、何の力があるかと思ってしまうような流れですが、しかし、人間に良心が残っている限り、以前として、無視できない存在でもあるようです。絵のTシャツを着てデモというのは、著作権の関係で出来ないでしょうが、現在、字で「ゲルニカを思い出せ」と書いたTシャツを着て、デモをしたい気持ちです。 ゲルニカ!古ーいなどといわないでください。古いことをどんどん忘れるからこそ、戦争が起こり続けるのです。 16:打てば響く 3月15日分 転載 ビートル 03/15 23:28 ------------- 3月15日 「汚れた手」(サルトルの芝居の題) 小沢の問題についてのぼくの意見は、まず「まあ、慌てるな」だ。小沢を買いかぶってもいなければ、小沢に拒否感を抱いているわけでもない。かれも二世の議員だし、自民党の系列、しかも旧田中派の流れを汲む政治家だ。政権交代の役を担わせるにしても、それくらいの認識はある。 今、西松建設からの献金問題で騒がれているが、慌てて辞任しないのは、これまでの民主党の代表と違って、小沢が「しぶとさ」を持っているということだ。その「しぶとさ」は、どこから来るか。「献金を受けたのは俺一人じゃない。金は必ず自民の政治家にも渡っている。トンネルグループを作っての迂回企業献金は、自民党の誰かも必ずやっている。待っていれば、かならず情報が出てくる」という確信だ。 サルトルの「汚れた手」という芝居の中で、レジスタンスの英雄的な指導者を、裏切り者として暗殺の任務を負わされた若くて純粋な主人公に、「指導者のだれかが手を汚さなくては、組織は動かない」という宿命を、暗殺者に「おれのてはここまで汚れている」と手を差し出すところがあった。少し記憶があいまいで、自分なりに解釈しすぎているかもしれないが、小沢にこの意識があるかどうか。 これまでの民主党の代表は、スキャンダルをささやかれると、すぐに辞任した。潔いように見えるが、早すぎた辞任だ。年金の未納問題のときも、民主の菅はすぐ辞任してしまったが、「おれみたいな金には清潔な人間でも、過ちをするのだから、ほかのものがやっていないはずがない。これは制度の欠陥だ」としぶとく頑張ればよかったのだ。その後の展開をみれば、かれの辞任の後、小沢にも、小泉にも未納の期間があることが、次々と発覚する。だが、小泉はへらへら笑いながら、辞任しなかった。菅は、自分の辞任が早すぎたことを悔いたのではないか。いざとなったら、小泉と差違えるつもりでいればよかったのだ。 小沢は、その点で、政界の金の流れの不透明さをよく知っている。企業献金の規制をくぐる手の一つとして、OB会を通すことを考えたのは彼かもしれないが、同時に、この手を自民の政治家が使わないはずはない、と確信していたのだろう。ぼくは更に、西松建設以外の企業も、この手を使っているに違いないと思う。日本の優秀なジャーナリストが、嗅ぎまわってくれれば、いずれは他の企業のOB会なる存在が、明らかにされるだろう。アメリカの政界のロビー活動に当たるものを、企業に直接関係のなくなったOBにやらせるというわけだ。 もう一つの問題は、何故この時期に、しかも小沢を狙ったかだ。これはぼくの勘だが、「日本には、第七艦隊だけで十分」という小沢の発言が引き金になったのだ。ぼくは第七艦隊も不要と考えるが、日本の官僚組織の中には、「アメリカ依存」というか、「ほとんど中毒」の人もいて、小沢を刺せ、という力を検察に働かせたのだろう。そんな面倒なことでもなく、検察の首脳の中に「アメリカ依存」がいたのかもしれない。ぼくの勘だから、外れているかもしれないが、あまりにもタイミングが合い過ぎているとぼくは思う。こういう仮説をもって、事件を追いかけるジャーナリストがいてもいいのにと思う。 ともかく法廷に取調べ時の、ビデオの提出が認められるようになったのだから、小沢の秘書の取調べの状況はビデオに撮ってあるのだろう。取調べは、ぶっ通しで何時間行われているか、そうしたことを明らかにするように、ジャーナリストは要求するがいい。政治や汚職に関する取調べのビデオは、法廷で公開するべきだろう。 17:打てば響く 2009年5月12日、5月15日分 転載 ビートル 05/16 01:20 ------------- 5月15日 老人は、民主の首がどうなろうと、がたがたしない 後先になりますが、5月12日の文章を書いたあと、日本に電話して、小沢の辞任を知りました。大騒ぎをしているようですが、ドレスデンのホテルでは、どういうわけかインターネットが使えず、すぐに反応できませんでした。しかし、その方がよかったのかも知れないと思っています。今はパリに戻りました。 民主党の党首交代の機会に、自民党が乗じて総選挙に踏み切るか否か、などという判断は、日本にいない身では、空気が読めないので、なにもいえませんが、いまさらじたばたしても、仕方がありません。というより、老人はじたばたしないところが取り柄だと考えた方がいいでしょう。 ぼくたちが、政権交代を望んでいるのは、民主党を支持しているからではありません。だから最初から、目をつぶって、鼻をつまんででも、政権交代させるために投票に行こう、といっているのです。ともかく日本に政権交代の習慣を根付かせることが必要です。「責任政党」と名乗りながら、まったく責任を取らない政党に、有権者は痛いお灸をすえる必要があるのです。今 は、そのことだけを考えていればいい。それで腰が据わります。 ぼくがドレスデンに行く時乗った飛行機は、ドイツのデュッセルドルフ空港のストライキで大幅に出発が遅れました。ドレスデンでは、ぼくが着く前々日に、デモがあったみたいです。ヨーロッパの経済優等生だったドイツも、今は苦しんでいます。それをこの小さな旅行の間にも感じました。今回の不況は、麻生式ばらまきで回復させることが出来るような、生易しいものではありません。小沢の失脚程度のことで、がたがたするのとは、次元が違う問題です。 こちらは新型インフルエンザであまり騒いでいません。マスクをして歩いている人を見かけません。ただ、やるべき人が、黙って対策を進めている。騒ぐことはない。パニックだけは防げます。 ------------- 5月12日 ドイツで考える パリからドレスデンへ、八十歳を目前にした一人旅です。何をやっても、これが最後の‥?になるかも知れないな、という考えが頭をかすめます。こうして、ドイツにまでやってきました。 この一年、踵の痛みに悩まされ、後輩の整形外科に「年ですよ、なんなら踵にぶっとい注射でも打ちますか。痛いですよ」などと脅され、注射嫌いのぼくは、半分治ることを諦めていました。しかし、歩くと痛むし、歩かないと太る。太ればまた踵が痛む、という下降スパイラルに陥っていました。とにかくそこから脱却しなければならないと、近くにペインクリニックが開業したのを知り、ぶっとい痛い注射を我慢してやってもらおうかと覚悟を決めてでかけました。するとペインクリニックの医者は笑いながら、一番細い針でやります。ちくっとするくらいです、と局所に注射してくれました。そのあと、驚くほど痛みが薄れ、歩けるようになりました。あの整形外科の医者め、「年だ」などといいおって!と自分の弱虫を棚に上げて、心の中で毒づきました。ともかくペインクリニックの注射のおかげて、今日も一万歩以上を歩けたという次第です。 ドレスデンは、ぼくの私淑していた、エーリッヒ・ケストナーの生まれ育った町です。ドイツの戦争が終る数日前に、連合国軍の空爆で「一日にして、というよりは数時間で、地上から消え失せた」とケストナーはいっています。ことに、軍事施設のない、歴史的文化遺産の集中した古い街が標的にされました。この犯罪に連合国も気がついたようです。でも、けっして責任を認めようとしませんでした。ケストナーは、他人に責任をなすり付けるだけで、だれも責任を認めようとしない、と嘆き、たとえ勝者の権力者であっても、罰しなければいけない、とかれにしてはかなり感情を生でぶっつけるような文章を書いています。残念なことに、ケストナーはドレスデンが、ここまでの再建された姿を見ていません。 そのドレスデンに来て、歩いてみて、ドイツ人の、意地というか、執念というか、そういうものを感じています。やるとなったら、徹底してやる。麻生首相は、ちょっとの間ドイツに来ていたようですが、きっと何も見なかったのでしょう。ドイツがエコカーへの買い替えを促進するために税金を使うことだけを真似して得々としています。 高速の料金を、上限千円まで引き下げて、無理矢理車を使わせ、ゴールデンウイークには日本のあちこちで大渋滞を巻き起こさせましたが、これでどれだけCO2排出を増大させたか。ドレスデン市は、中央駅から始まるプラーガー大通りは、旧市街まで歩行者専用です。そこで市電が横切りますが、その後もエルベ川の川岸まで歩行者天国です。エルベ川も、チェコではウルタヴァ川と呼ばれている国際河川ですが、水は驚くほどきれいでした。 こんなに美しく再建された町を子孫に残すことのできるドイツ人を、少し学ばねばなりません。世界遺産の指定を受けましたが、破壊されてからの世界遺産指定というのも珍しい。再建の仕方に示された、ドイツ人の文化哲学に、世界遺産という勲章を与えられたようなものです。 ぼくの住んでいる鎌倉も世界遺産として認められたくて運動していますが、その一方で今の市長は、ミニ開発をどんどん認めて、緑を破壊し続けています。なんて嘆いていても始まらない。そんな市長を再選させたのは、ぼくたちの無力が原因なのですから。 それにしてもドレスデンの緑の豊かさには圧倒されます。鎌倉時代に始まる古都ですが、文化遺産と緑のコンビネーションが絶妙です。あちこちの公園には、一抱えも二抱えもある大木が、今新緑を芽吹かせています。 18:打てば響く 2009年6月1日分 転載 ビートル 06/01 19:54 ---------------- 6月1日 これから、何度も繰り返していう 八十歳の誕生日まであと八日に迫った。そこで過去を振り返り、未来を見ることにする。 ぼくは中学生のときに、生意気な生徒だった。誰にだって議論を吹っかけた。校長にも質問した。校長は弁護士出身の細川という人だった。 「先生、数学では単位が同じものでなければ、足して総数を割っても平均にはならないと教えます。先生の給与の平均は、四十人の先生のもらっている給与を足して、四十で割れば給与の平均が出ますが、あるものの給与と別のものの体重とまた別のものの給与とを足して、先生の総数で割っても、平均にはなりません。牛と豚とニワトリの数を足して、家畜の平均頭数を出す のは無意味です。それなのにどうして算数と国語と英語の点数を足して割って、平均点といえるのでしょう。そもそも数学的には足してはいけないものです。その平均点で生徒の順位をつけるというのは、ますますもってけしからぬことです。ぼくのいうことは、間違ってはいますか」 ぼくの中学では学年末、試験得点に基づいた学年全体の順位を、みなの見えるところに(いや、皆に見せるためにだ)張り出すのが習慣だった。 細川校長は、生意気な生徒の面会の要求を受け入れ、校長室で一対一で話を聞いてくれた点で、今になって考えると、立派な人だったと思う。少なくともその一点では。そしてぼくに答えた。 「おまえは正しい」 これもなかなか勇気のある返事だったと思う。 「では、即刻、止めましょう。試験の後平均点を出すこと、それに基づいて順位を決めることを」 だが、校長は、それはできないといった。 「なぜでしょうか」 「長い習慣だからだ」 「誤りに基づいた習慣は、陋習というものだと国語で習いました。陋習は改めるべきだと昔の人もいっています」 「世の中の学校全体がやっていることを、うちだけ止めることはできない」 「やりましょう。やったら、世の中の陋習を破った日本最初の中学という名誉は、わが中学のものとなります」 だが、それはできない、と校長ははっきりいった。 「おまえはまだ世の中を知らん。世の中の間違いを直すのは、お前の考えている以上にむずかしいことだ」 ぼくは、その辺で引き下がった。なぜだかよく思い出せない。このことは「クレージードクターの回想」という本の中に書いた。今書いたのと正確に同じ言葉によってではないが。いわばヴァージョン違いといっていい。 世の中の間違いを変えることが、校長のいったようにむずかしいことは、これまで生きてきてよく分かった。だが、今、思う。これは変えねばならぬ。死ぬまでに、この世の中の誤りだけは正したい。センター試験などによって、無意味な順位がつけられ、そのトップがエリートとして世の中を支配する国では、本来多様である人間の価値が認められなくなっても当然である。 最低でも、ぼくは文部大臣に、平均点で順位をつけることの数学的正統性の有無の討論をして、返事をもらいたい。これからの日々をそれに賭けよう。しつこく、何度も迫っていくつもりだ。だれか、ぼくに手を貸してくれないか。 今の大臣など、阿呆の集りではないかと思うが、一人、東大の一番むずかしいといわれる学部を、主席(一番)で卒業した大臣がいるそうだ。その大臣に、答えてもらってもいい。 19:打てば響く 2009年7月15日分 転載 ビートル 07/15 22:33 ---------------- 7月15日 東京都議会選挙結果をみての感想。及び軽井沢町長宛の手紙。 いよいよ総選挙が迫ってきた。今度の総選挙は、かなりの泥仕合になるのは避けられないと思う。ますます政治のイメージは悪くなり(ま実像に近くなると思えば大したことではないが)、泥仕合に巻き込まれないで、超然としていられる政治家がいたら、きっとその政治家の株は上がるだろう。だがそうした政治家が幾人いるか。 泥仕合にならないためには、まずヴィジョンを闘わせることだ。 マニフェストを書くなら、この国をどちらの方向に向けるかの長期ヴィジョンと、とりあえず、今何をなそうと思っているか、という短期ヴィジョンをはっきり分けて書くといい。たとえば、競争社会を続けるのか、相互扶助社会に向けて舵を切るのか、大国日本というゴーマニズム的な虚栄心を抱き続けるのか、そのために国内の弱者を切って棄てるのか、あくまでも実力はあっても謙譲な姿勢で、近隣に先輩として接し、国内の調和ある社会を実現し、民主主義のモデルになろうとするのか。そうした、国民に選択させる政治哲学を示さなければならない。それによって、景気対策をではなく「いかなる景気対策を」が選択の問題になってくる。麻生内閣の景気対策は、将来の日本を考えるどころか、将来の日本に付をまわすだけの、ばら撒き景気対策だ。相互扶助の精神に基づくなら ば、お金はもっとも困っている人のために使われねばならぬ。予算が足りないときは、分捕り合戦ではなく、譲り合わなければならない。そのために必要なのが、選択の基準となる日本の未来のビジョンだ。 これが都議会選挙結果をみての感想。 次に個人的な問題であるが、軽井沢町長に宛てた手紙をこの欄で公開する。同じものを信濃日日新聞にも送るつもりだ。取り上げてくれればよし。くれなくともよし。ともかく一石を投じたい。ちょっぴり皮肉を込めているが、ぼくたちには軽井沢に夏住めるかどうかの瀬戸際であり、内容は読んでくださればお分りいただけるだろう。 軽井沢町長 佐藤雅義殿 前略、形式的季節の挨拶などは全部省略させていただき、用件のみを書きます。 先ず自己紹介からいたします。小生、中軽井沢(上の原)に別荘を立てて以来四十年になります。現在八十歳です。業は作家で、なだ いなだというペンネームを用いています。昨今は、ヴァーチャル政党老人党を、インターネット上に立ち上げています。軽井沢は夏のみの住民ですが、町民税の滞納など、一度もしたことがありません。 では用件に入らせていただきます。 先ず、お願いの件を申し上げます。一週間前、今年も軽井沢の小生の別荘を開きに出かけましたが、今年もというべきか、小生の別荘の敷地に、ゴミが投げ捨てられておりました。散乱しておらず、大きな袋ごと入り口近くに、松の幹の後に隠すように捨てられておりました。こうした不法投棄ゴミは、これまで、それを集め、自分で処理場まで車で運んできましたが、前回は新幹線利用でしたので、それもできませんでした。考えて見てください。八十の老人が、その大きなゴミ袋を抱えて、どこにもって行けばいいのでしょう。近くの集積所まで往復で一キロ半以上、痛い足を引きずっていく姿をご想像ください。しかもその日は、収拾の時間は過ぎており、また分別していないゴミは、持って行っても、捨てようがありませんでした。 お願いですから、この不法投棄のゴミを、町の手で処分してください。ゴミ不法投棄は犯罪です。空き地に町の立てた看板にもそう書かれておりました。放置されたゴミを放置したままにするのは、行政の犯罪とまではいかないにしても、それに近いのではないかと思います。十年前には、こういうことはありませんでした。これは町のゴミ行政の変化に関係があります。大きな別荘団地は個々にゴミ集積場を持って管理していますが、それ以外の土地に住む別荘族は、軽井沢を引き上げるときに出たゴミを持っていく場所がありません。かつては小生の別荘から歩いて二百メートルのところにあった集積場は、姿を消し、永住町民の住む、駅近くや公民館近くにまで、運ばねばなりません。しかも回収時間が朝早く、小生など、のろのろ歩いて数分遅れてしまったために、もう集積場の扉が閉められていたころがありました。その結果、生ゴミを持って、同じ道のりを戻らねばなりませんでした。老人にやさしい行政です。こうすれば老人には運動になり、アスレチックジムに通うことなく、活動能力を保存することができるという、高遠なお考えからでしょうか。ま、そう皮肉もいいたくなります。 ゴミ不法投棄の根には、こういう別荘住民の都合や便利を全く考慮しない町のゴミ行政があると考えられます。つまり犯罪を起こさせている原因の一つが、行政である、とわたしは考えます。 四十年欠かさず、税金をきちんと払ってきている夏季住民としては、このまま我慢しているわけにはいきません。何とか解決策を考えていただきたく、お手紙を差し上げることにしました。 わたしとしては案があります。分別したゴミを回収する車を別荘地に巡回させることです。時間を決めて決められた場所に停まる。こうすれば集積所を新しく設置するよりも費用がかからず、高齢者としてはかなり助かります。若い人が助かるのはもちろんのことです。 「最近の若い別荘族は」と、モラルの低下(困ったことではありますが)を批判しても、解決にはなりません。どうしたら、有効に不法投棄を防げるかです。どのようにして、法規を守る普通の町民の生活を、不法投棄の犯罪被害から救ってくれるかです。 前に、一度、ゴミ問題に関して、小さな雑誌に「軽井沢町長殿」と、公開の手紙を書いたことがありましたが、小さなメディアだったせいか、お目に止まらなかったのでしょう、お返事をいただけませんでした。今回は、小生も同年の家内も、肉体的な限界にあり、忍耐の限度に来ています。家内はフランス人ですが、ゴミの不法投棄がやまない軽井沢が、国際避暑地などと自慢できるかと怒っています。そしてわたしに、このゴミを持って町長室の前に不法遺棄して来ましょう。でなければ座り込みをしましょう。わざと業務妨害で検挙されて、裁判で争いましょう、と小生をけしかけていますが、小生もだんだんとそのような直接行動が必要だという思いに傾きかけています。小生が町長室にゴミ袋を抱いて座り込みし、町長殿とご対面ということになるかもしれません。そうならないことを祈るのみです。とりあえず、この手紙の内容を検討していただき、お返事をいただけることを、期待します。 こころのこもらぬ儀礼的美辞麗句など、一切いれない、用件のみのお手紙ですので、無礼とお感じになられましたら、お詫びします。一日も早いご返事と、問題の解決を、お願い申し上げます。 二〇〇九年七月十五日 軽井沢町夏季町民 なだ いなだ 20:打てば響く 2009年7月30日分 転載 ビートル 07/31 00:13 --------------- 7月30日 感想 軽井沢町長からは、未だに返事なし。八月一日に軽井沢に行き、現状を見て、次の行動を考えます。 選挙間近ということもあって、原稿の依頼が多く、医事新報の巻頭コラム「プラタナス」にも「老人の一票」という題で、老人党について書きました。全国の医師の間に広く読まれている雑誌です。これまで医師会は、自民党の支持者が圧倒的多数を占めてきた団体ですが、ここでも変動が起きているようです。 次の日曜日、八月二日の東京新聞に、老人党は今、というような題で、大きくインタビュー記事が載ります。老人党発足当時、この新聞は、われわれを大きく取り上げてくれましたが、当時の責任者は、二年半アメリカに転勤となり、特派員としてオバマの選挙に密着取材していました。最近日本に帰任され、再び老人党を追跡してくれることになりました。 さて、ここからが、本題です。 題は「民主党よ、焦るな」としましょう。 民主党はマニフェストを発表しましたが、このマニフェストを読んで、「鳩山よ、民主党よ、焦るな」と声をかけたくなりました。そんなにばら撒かなければ、勝てないと思っているのか。待っているだけで、熟した果実が落ちるように、政権は民主党の手に落ちてくるのに。このマニフェストは、票欲しさに、ばら撒きの約束をしすぎています。有権者は、もう少し賢くなっています。このマニフェストなど、あってもなくても、民主党に投票します。有権者は民主党支持者としてではなく、この辺で政権交代させ、霞ヶ関のアカを落とさせようと考えています。つまり、キングメーカーとして投票するのです。今こそ自分たちの意志で、選挙で政権を選択できるのだ、という充実感をもって投票するのです。 高校教育を無償にするなどという約束は、ばら撒きです。麻生と同じことではないですか。勉強する気持ちの強い子どもで、家が貧しい人を、授業料を免除するというのは分かります。資産家や政治家や高級官僚の息子や娘まで、無償にすることはありません。親が、塾通いに、高いお金を、払っている子どもたちの授業料を無償にする必要はありません。限りある税金を、無駄に使うことはない。全員にばら撒くより、援助を集中することがのぞましい。同じ予算なら、本当に援助して喜ばれる人たちに、十分な額が行き渡るようにするべきです。「もらわねば損」という考え方より、余裕のある人が困っている人を助ける、助け合い、相互扶助の精神で、少ない予算をやりくりする。これでこそ、日本に住んでいてよかったということになります。愛国心なんて説教しないでも、自然にこの国への愛情がわきます。困ったときに助けてくれる、人への連帯感としてです。 年金も基礎年金をちょっぴり上げるだけでは意味がありません。ここにも相互扶助の哲学が感じられません。人をまとめていく原理としての哲学が、助け合いです。これまで競争して、格差社会を生んだのだから、別の方向に舵を切ろう。有権者のその気持ちが分からないなら、民主党は、その点で、まだ成長しなければならないでしょう。 老人党の有権者は、美味しい約束を待っているのではありません。もう少し政治的に成熟しています。他の有権者は、小泉登場のとき、英雄待望のような気持ちで、投票したかもしれません。しかし、今では、英雄待望のような気分で、自民党に絶対多数を与え、日本を格差社会にしてしまったことを悔いているでしょう。その人たちも、反省して、ちょっぴり政治的に成熟しているはずです。 民主党よ、老人党のこうした意見に、耳を傾ける余裕をもてますか。焦る必要はないのです。 |