打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

17:打てば響く 2009年5月12日、5月15日分 転載
ビートル 05/16 01:20
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5月15日 老人は、民主の首がどうなろうと、がたがたしない

 後先になりますが、5月12日の文章を書いたあと、日本に電話して、小沢の辞任を知りました。大騒ぎをしているようですが、ドレスデンのホテルでは、どういうわけかインターネットが使えず、すぐに反応できませんでした。しかし、その方がよかったのかも知れないと思っています。今はパリに戻りました。
 民主党の党首交代の機会に、自民党が乗じて総選挙に踏み切るか否か、などという判断は、日本にいない身では、空気が読めないので、なにもいえませんが、いまさらじたばたしても、仕方がありません。というより、老人はじたばたしないところが取り柄だと考えた方がいいでしょう。
 ぼくたちが、政権交代を望んでいるのは、民主党を支持しているからではありません。だから最初から、目をつぶって、鼻をつまんででも、政権交代させるために投票に行こう、といっているのです。ともかく日本に政権交代の習慣を根付かせることが必要です。「責任政党」と名乗りながら、まったく責任を取らない政党に、有権者は痛いお灸をすえる必要があるのです。今
は、そのことだけを考えていればいい。それで腰が据わります。
 ぼくがドレスデンに行く時乗った飛行機は、ドイツのデュッセルドルフ空港のストライキで大幅に出発が遅れました。ドレスデンでは、ぼくが着く前々日に、デモがあったみたいです。ヨーロッパの経済優等生だったドイツも、今は苦しんでいます。それをこの小さな旅行の間にも感じました。今回の不況は、麻生式ばらまきで回復させることが出来るような、生易しいものではありません。小沢の失脚程度のことで、がたがたするのとは、次元が違う問題です。
 こちらは新型インフルエンザであまり騒いでいません。マスクをして歩いている人を見かけません。ただ、やるべき人が、黙って対策を進めている。騒ぐことはない。パニックだけは防げます。


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5月12日 ドイツで考える

 パリからドレスデンへ、八十歳を目前にした一人旅です。何をやっても、これが最後の‥?になるかも知れないな、という考えが頭をかすめます。こうして、ドイツにまでやってきました。
 この一年、踵の痛みに悩まされ、後輩の整形外科に「年ですよ、なんなら踵にぶっとい注射でも打ちますか。痛いですよ」などと脅され、注射嫌いのぼくは、半分治ることを諦めていました。しかし、歩くと痛むし、歩かないと太る。太ればまた踵が痛む、という下降スパイラルに陥っていました。とにかくそこから脱却しなければならないと、近くにペインクリニックが開業したのを知り、ぶっとい痛い注射を我慢してやってもらおうかと覚悟を決めてでかけました。するとペインクリニックの医者は笑いながら、一番細い針でやります。ちくっとするくらいです、と局所に注射してくれました。そのあと、驚くほど痛みが薄れ、歩けるようになりました。あの整形外科の医者め、「年だ」などといいおって!と自分の弱虫を棚に上げて、心の中で毒づきました。ともかくペインクリニックの注射のおかげて、今日も一万歩以上を歩けたという次第です。
 ドレスデンは、ぼくの私淑していた、エーリッヒ・ケストナーの生まれ育った町です。ドイツの戦争が終る数日前に、連合国軍の空爆で「一日にして、というよりは数時間で、地上から消え失せた」とケストナーはいっています。ことに、軍事施設のない、歴史的文化遺産の集中した古い街が標的にされました。この犯罪に連合国も気がついたようです。でも、けっして責任を認めようとしませんでした。ケストナーは、他人に責任をなすり付けるだけで、だれも責任を認めようとしない、と嘆き、たとえ勝者の権力者であっても、罰しなければいけない、とかれにしてはかなり感情を生でぶっつけるような文章を書いています。残念なことに、ケストナーはドレスデンが、ここまでの再建された姿を見ていません。

 そのドレスデンに来て、歩いてみて、ドイツ人の、意地というか、執念というか、そういうものを感じています。やるとなったら、徹底してやる。麻生首相は、ちょっとの間ドイツに来ていたようですが、きっと何も見なかったのでしょう。ドイツがエコカーへの買い替えを促進するために税金を使うことだけを真似して得々としています。
 高速の料金を、上限千円まで引き下げて、無理矢理車を使わせ、ゴールデンウイークには日本のあちこちで大渋滞を巻き起こさせましたが、これでどれだけCO2排出を増大させたか。ドレスデン市は、中央駅から始まるプラーガー大通りは、旧市街まで歩行者専用です。そこで市電が横切りますが、その後もエルベ川の川岸まで歩行者天国です。エルベ川も、チェコではウルタヴァ川と呼ばれている国際河川ですが、水は驚くほどきれいでした。
 こんなに美しく再建された町を子孫に残すことのできるドイツ人を、少し学ばねばなりません。世界遺産の指定を受けましたが、破壊されてからの世界遺産指定というのも珍しい。再建の仕方に示された、ドイツ人の文化哲学に、世界遺産という勲章を与えられたようなものです。
 ぼくの住んでいる鎌倉も世界遺産として認められたくて運動していますが、その一方で今の市長は、ミニ開発をどんどん認めて、緑を破壊し続けています。なんて嘆いていても始まらない。そんな市長を再選させたのは、ぼくたちの無力が原因なのですから。
 それにしてもドレスデンの緑の豊かさには圧倒されます。鎌倉時代に始まる古都ですが、文化遺産と緑のコンビネーションが絶妙です。あちこちの公園には、一抱えも二抱えもある大木が、今新緑を芽吹かせています。

18:打てば響く 2009年6月1日分 転載
ビートル 06/01 19:54
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6月1日 これから、何度も繰り返していう

 八十歳の誕生日まであと八日に迫った。そこで過去を振り返り、未来を見ることにする。

 ぼくは中学生のときに、生意気な生徒だった。誰にだって議論を吹っかけた。校長にも質問した。校長は弁護士出身の細川という人だった。
「先生、数学では単位が同じものでなければ、足して総数を割っても平均にはならないと教えます。先生の給与の平均は、四十人の先生のもらっている給与を足して、四十で割れば給与の平均が出ますが、あるものの給与と別のものの体重とまた別のものの給与とを足して、先生の総数で割っても、平均にはなりません。牛と豚とニワトリの数を足して、家畜の平均頭数を出す
のは無意味です。それなのにどうして算数と国語と英語の点数を足して割って、平均点といえるのでしょう。そもそも数学的には足してはいけないものです。その平均点で生徒の順位をつけるというのは、ますますもってけしからぬことです。ぼくのいうことは、間違ってはいますか」
 ぼくの中学では学年末、試験得点に基づいた学年全体の順位を、みなの見えるところに(いや、皆に見せるためにだ)張り出すのが習慣だった。
 細川校長は、生意気な生徒の面会の要求を受け入れ、校長室で一対一で話を聞いてくれた点で、今になって考えると、立派な人だったと思う。少なくともその一点では。そしてぼくに答えた。
「おまえは正しい」
これもなかなか勇気のある返事だったと思う。
「では、即刻、止めましょう。試験の後平均点を出すこと、それに基づいて順位を決めることを」
だが、校長は、それはできないといった。
「なぜでしょうか」
「長い習慣だからだ」
「誤りに基づいた習慣は、陋習というものだと国語で習いました。陋習は改めるべきだと昔の人もいっています」
「世の中の学校全体がやっていることを、うちだけ止めることはできない」
「やりましょう。やったら、世の中の陋習を破った日本最初の中学という名誉は、わが中学のものとなります」
だが、それはできない、と校長ははっきりいった。
「おまえはまだ世の中を知らん。世の中の間違いを直すのは、お前の考えている以上にむずかしいことだ」
ぼくは、その辺で引き下がった。なぜだかよく思い出せない。このことは「クレージードクターの回想」という本の中に書いた。今書いたのと正確に同じ言葉によってではないが。いわばヴァージョン違いといっていい。
 世の中の間違いを変えることが、校長のいったようにむずかしいことは、これまで生きてきてよく分かった。だが、今、思う。これは変えねばならぬ。死ぬまでに、この世の中の誤りだけは正したい。センター試験などによって、無意味な順位がつけられ、そのトップがエリートとして世の中を支配する国では、本来多様である人間の価値が認められなくなっても当然である。
 最低でも、ぼくは文部大臣に、平均点で順位をつけることの数学的正統性の有無の討論をして、返事をもらいたい。これからの日々をそれに賭けよう。しつこく、何度も迫っていくつもりだ。だれか、ぼくに手を貸してくれないか。
 今の大臣など、阿呆の集りではないかと思うが、一人、東大の一番むずかしいといわれる学部を、主席(一番)で卒業した大臣がいるそうだ。その大臣に、答えてもらってもいい。

19:打てば響く 2009年7月15日分 転載
ビートル 07/15 22:33
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7月15日 東京都議会選挙結果をみての感想。及び軽井沢町長宛の手紙。

いよいよ総選挙が迫ってきた。今度の総選挙は、かなりの泥仕合になるのは避けられないと思う。ますます政治のイメージは悪くなり(ま実像に近くなると思えば大したことではないが)、泥仕合に巻き込まれないで、超然としていられる政治家がいたら、きっとその政治家の株は上がるだろう。だがそうした政治家が幾人いるか。
泥仕合にならないためには、まずヴィジョンを闘わせることだ。
マニフェストを書くなら、この国をどちらの方向に向けるかの長期ヴィジョンと、とりあえず、今何をなそうと思っているか、という短期ヴィジョンをはっきり分けて書くといい。たとえば、競争社会を続けるのか、相互扶助社会に向けて舵を切るのか、大国日本というゴーマニズム的な虚栄心を抱き続けるのか、そのために国内の弱者を切って棄てるのか、あくまでも実力はあっても謙譲な姿勢で、近隣に先輩として接し、国内の調和ある社会を実現し、民主主義のモデルになろうとするのか。そうした、国民に選択させる政治哲学を示さなければならない。それによって、景気対策をではなく「いかなる景気対策を」が選択の問題になってくる。麻生内閣の景気対策は、将来の日本を考えるどころか、将来の日本に付をまわすだけの、ばら撒き景気対策だ。相互扶助の精神に基づくなら
ば、お金はもっとも困っている人のために使われねばならぬ。予算が足りないときは、分捕り合戦ではなく、譲り合わなければならない。そのために必要なのが、選択の基準となる日本の未来のビジョンだ。
これが都議会選挙結果をみての感想。

次に個人的な問題であるが、軽井沢町長に宛てた手紙をこの欄で公開する。同じものを信濃日日新聞にも送るつもりだ。取り上げてくれればよし。くれなくともよし。ともかく一石を投じたい。ちょっぴり皮肉を込めているが、ぼくたちには軽井沢に夏住めるかどうかの瀬戸際であり、内容は読んでくださればお分りいただけるだろう。


軽井沢町長 佐藤雅義殿

前略、形式的季節の挨拶などは全部省略させていただき、用件のみを書きます。
先ず自己紹介からいたします。小生、中軽井沢(上の原)に別荘を立てて以来四十年になります。現在八十歳です。業は作家で、なだ いなだというペンネームを用いています。昨今は、ヴァーチャル政党老人党を、インターネット上に立ち上げています。軽井沢は夏のみの住民ですが、町民税の滞納など、一度もしたことがありません。
では用件に入らせていただきます。
先ず、お願いの件を申し上げます。一週間前、今年も軽井沢の小生の別荘を開きに出かけましたが、今年もというべきか、小生の別荘の敷地に、ゴミが投げ捨てられておりました。散乱しておらず、大きな袋ごと入り口近くに、松の幹の後に隠すように捨てられておりました。こうした不法投棄ゴミは、これまで、それを集め、自分で処理場まで車で運んできましたが、前回は新幹線利用でしたので、それもできませんでした。考えて見てください。八十の老人が、その大きなゴミ袋を抱えて、どこにもって行けばいいのでしょう。近くの集積所まで往復で一キロ半以上、痛い足を引きずっていく姿をご想像ください。しかもその日は、収拾の時間は過ぎており、また分別していないゴミは、持って行っても、捨てようがありませんでした。
お願いですから、この不法投棄のゴミを、町の手で処分してください。ゴミ不法投棄は犯罪です。空き地に町の立てた看板にもそう書かれておりました。放置されたゴミを放置したままにするのは、行政の犯罪とまではいかないにしても、それに近いのではないかと思います。十年前には、こういうことはありませんでした。これは町のゴミ行政の変化に関係があります。大きな別荘団地は個々にゴミ集積場を持って管理していますが、それ以外の土地に住む別荘族は、軽井沢を引き上げるときに出たゴミを持っていく場所がありません。かつては小生の別荘から歩いて二百メートルのところにあった集積場は、姿を消し、永住町民の住む、駅近くや公民館近くにまで、運ばねばなりません。しかも回収時間が朝早く、小生など、のろのろ歩いて数分遅れてしまったために、もう集積場の扉が閉められていたころがありました。その結果、生ゴミを持って、同じ道のりを戻らねばなりませんでした。老人にやさしい行政です。こうすれば老人には運動になり、アスレチックジムに通うことなく、活動能力を保存することができるという、高遠なお考えからでしょうか。ま、そう皮肉もいいたくなります。
ゴミ不法投棄の根には、こういう別荘住民の都合や便利を全く考慮しない町のゴミ行政があると考えられます。つまり犯罪を起こさせている原因の一つが、行政である、とわたしは考えます。
四十年欠かさず、税金をきちんと払ってきている夏季住民としては、このまま我慢しているわけにはいきません。何とか解決策を考えていただきたく、お手紙を差し上げることにしました。
わたしとしては案があります。分別したゴミを回収する車を別荘地に巡回させることです。時間を決めて決められた場所に停まる。こうすれば集積所を新しく設置するよりも費用がかからず、高齢者としてはかなり助かります。若い人が助かるのはもちろんのことです。
「最近の若い別荘族は」と、モラルの低下(困ったことではありますが)を批判しても、解決にはなりません。どうしたら、有効に不法投棄を防げるかです。どのようにして、法規を守る普通の町民の生活を、不法投棄の犯罪被害から救ってくれるかです。
前に、一度、ゴミ問題に関して、小さな雑誌に「軽井沢町長殿」と、公開の手紙を書いたことがありましたが、小さなメディアだったせいか、お目に止まらなかったのでしょう、お返事をいただけませんでした。今回は、小生も同年の家内も、肉体的な限界にあり、忍耐の限度に来ています。家内はフランス人ですが、ゴミの不法投棄がやまない軽井沢が、国際避暑地などと自慢できるかと怒っています。そしてわたしに、このゴミを持って町長室の前に不法遺棄して来ましょう。でなければ座り込みをしましょう。わざと業務妨害で検挙されて、裁判で争いましょう、と小生をけしかけていますが、小生もだんだんとそのような直接行動が必要だという思いに傾きかけています。小生が町長室にゴミ袋を抱いて座り込みし、町長殿とご対面ということになるかもしれません。そうならないことを祈るのみです。とりあえず、この手紙の内容を検討していただき、お返事をいただけることを、期待します。
こころのこもらぬ儀礼的美辞麗句など、一切いれない、用件のみのお手紙ですので、無礼とお感じになられましたら、お詫びします。一日も早いご返事と、問題の解決を、お願い申し上げます。

二〇〇九年七月十五日
軽井沢町夏季町民
なだ いなだ

20:打てば響く 2009年7月30日分 転載
ビートル 07/31 00:13
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7月30日 感想

軽井沢町長からは、未だに返事なし。八月一日に軽井沢に行き、現状を見て、次の行動を考えます。
選挙間近ということもあって、原稿の依頼が多く、医事新報の巻頭コラム「プラタナス」にも「老人の一票」という題で、老人党について書きました。全国の医師の間に広く読まれている雑誌です。これまで医師会は、自民党の支持者が圧倒的多数を占めてきた団体ですが、ここでも変動が起きているようです。
次の日曜日、八月二日の東京新聞に、老人党は今、というような題で、大きくインタビュー記事が載ります。老人党発足当時、この新聞は、われわれを大きく取り上げてくれましたが、当時の責任者は、二年半アメリカに転勤となり、特派員としてオバマの選挙に密着取材していました。最近日本に帰任され、再び老人党を追跡してくれることになりました。

さて、ここからが、本題です。

題は「民主党よ、焦るな」としましょう。
民主党はマニフェストを発表しましたが、このマニフェストを読んで、「鳩山よ、民主党よ、焦るな」と声をかけたくなりました。そんなにばら撒かなければ、勝てないと思っているのか。待っているだけで、熟した果実が落ちるように、政権は民主党の手に落ちてくるのに。このマニフェストは、票欲しさに、ばら撒きの約束をしすぎています。有権者は、もう少し賢くなっています。このマニフェストなど、あってもなくても、民主党に投票します。有権者は民主党支持者としてではなく、この辺で政権交代させ、霞ヶ関のアカを落とさせようと考えています。つまり、キングメーカーとして投票するのです。今こそ自分たちの意志で、選挙で政権を選択できるのだ、という充実感をもって投票するのです。
高校教育を無償にするなどという約束は、ばら撒きです。麻生と同じことではないですか。勉強する気持ちの強い子どもで、家が貧しい人を、授業料を免除するというのは分かります。資産家や政治家や高級官僚の息子や娘まで、無償にすることはありません。親が、塾通いに、高いお金を、払っている子どもたちの授業料を無償にする必要はありません。限りある税金を、無駄に使うことはない。全員にばら撒くより、援助を集中することがのぞましい。同じ予算なら、本当に援助して喜ばれる人たちに、十分な額が行き渡るようにするべきです。「もらわねば損」という考え方より、余裕のある人が困っている人を助ける、助け合い、相互扶助の精神で、少ない予算をやりくりする。これでこそ、日本に住んでいてよかったということになります。愛国心なんて説教しないでも、自然にこの国への愛情がわきます。困ったときに助けてくれる、人への連帯感としてです。
年金も基礎年金をちょっぴり上げるだけでは意味がありません。ここにも相互扶助の哲学が感じられません。人をまとめていく原理としての哲学が、助け合いです。これまで競争して、格差社会を生んだのだから、別の方向に舵を切ろう。有権者のその気持ちが分からないなら、民主党は、その点で、まだ成長しなければならないでしょう。
老人党の有権者は、美味しい約束を待っているのではありません。もう少し政治的に成熟しています。他の有権者は、小泉登場のとき、英雄待望のような気持ちで、投票したかもしれません。しかし、今では、英雄待望のような気分で、自民党に絶対多数を与え、日本を格差社会にしてしまったことを悔いているでしょう。その人たちも、反省して、ちょっぴり政治的に成熟しているはずです。
民主党よ、老人党のこうした意見に、耳を傾ける余裕をもてますか。焦る必要はないのです。

21:Re: 打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載
北極星 08/07 21:38
【打てば響く】報告 8月4日

この欄で、軽井沢町長に、ゴミ問題で思いあまって手紙を書いたことを書きましたが、その後の報告です。

今日、数日遅れで(鎌倉は温度が上がらず、避暑に行く理由がなかったので遅れた)軽井沢の別荘に来ました。築四十一年の別荘は、僅かの間に草のせいが伸び、ブヨにさされたくなかったら、明日は草刈りに専念しなければならないでしょう。さらに、風呂に問題が起き、今日は風呂にも入れず、お湯が出ないので、皿洗いもお休み。

しかし、よいこともありました。あの大きな袋に入った庭のゴミはどうなっているか、まず到着早々に、庭の松の木の根元を見たのですが、消えていました。町役場の人が撤去してくれたらしいな、と直ぐに思いました。そして入り口のドアを開けると封筒が落ちてきました。
差出人「軽井沢町生活環境課防犯係」。封をあけると町長からの小生への返事が書かれていました。ゴミは町で撤去した。今後も同じような不法投棄があれば、電話をくれれば撤去するとのこと。手紙を書いた甲斐はありました。

当然のこととは思うけど、老人は礼儀正しい。礼をいいます。町長、感謝します。
ともかく一安心。近くにゴミ集積所がないことは町でも認識しているので、近隣で話し合って、ここに置いてくれというところがあれば、設置するとのこと。小生の隣は、空き地があり、所有者が草も刈らず、倒木も処理せず、ブヨの隠れ家にもなっているので、地主に交渉して、ここに集積所を設置してもらえないか、提案してみようと思います。

一応、解決のめどが立ちました。解決まで、時間がかかりそうですが。ともかく、ダメでもともと、やってみること。手紙を書いたのは正解でした。

掲示板に寄せられた意見について
選挙モードにスイッチが入ったせいか、掲示板がぐっとにぎやかになりました。本来は老人党掲示板に送ってもらいたい書き込みが、多くなりましたが、選挙が終わるまで、我慢します。

怒りについて
老人党を立ち上げたのは、老人が馬鹿にされているのを感じた怒りからでした。

しかし、ただ怒りを相手かまわずぶっつければいいというもではありません。掲示板にはそういう八つ当たり的なものがかなりあります。目的を達するには回り道することも必要です。目的地が目の前に見えているからといって、真っすぐにすすめばいいわけではない。目的まで何が障害になるか地形を観察するのが第一です。

そしてベースキャンプを何処に置くか、登攀のコースをどうするか、を研究しなければいけない。しかも登坂途中で気象その他の条件を考えて、決断しなければならないこともある。

前にも書きましたが、自民と民主は八割がた同じ体質の人たちです。憲法の問題、経済の基本問題など、危ない感じの人も民主には混じっています。マニフェストにも気に入らないところがある。
しかし、当面、政権交代が第一歩とぼくなどは考える。鳩山も、マニフェストが実行できなければ、直ぐ下野の覚悟であるといいます。こうして政権交代が何回か起きるうちに、能力のない二世三世議員は姿を消すでしょう。

突然、ポピュリストの政治家が、ヒトラーやムソリーニのように出てくる可能性もあるから(最近の人気知事にはそんな感じを持たせる人もいる)、注意をしなければいけない。しかし、とりあえずの目標に、力を集中しなければ、第一歩を踏み出すことが出来ません。怒りを直ぐに爆発させず、回り道が出来ることこそが知恵を持った老人にふさわしい。老人は、同時にどんな危険の芽にも、目配りも怠らない。怒りはそのように変えていかねば、政治を変える力にはなりません。

残念ながら、目標の峯に登るための作戦を描くようなマニフェストを書いてくれるような政党は見当たりません。共産党も、分析は正しいし、遠い目標としては、多くの人が望むことを書いている。しかし、書かれていないのは、自分たちの目標を達するには、どういう行程表が考えられるかだけです。しかし、これが実用的には大切です。民主主義の現体制のもとでの行程表を書くことが残されています。

22:ご意見拝聴(『なだいなだのサロン』掲示板) 転載
 08/19 00:25
先の先を読む   投稿者:なだ いなだ 投稿日:2009年 8月17日(月)22時56分55秒

先の先を読むことが必要です。山を登るにもルートを探さなければならないでしょう。まず政権を交代させる。そこを経ないと先に進みません。

民主党のマニフェストの「学費無償化」はバラマキです。そのための金が今あるなら、今、子どもが学校に行きたいのに、学費が出せないという人のために使います。生活支援のためです。でも、それでは票にならないと考える人が民主党の中にいて、あのようなマニフェストを作ったのでしょう。

学費を無償にしている国はたくさんあります。日本も将来その方向に進むべきでしょう。それに異論はありませんが、そこに行くには、まず助け合いで、困っている人に税金を使うべきです。自殺者が年に三万を超えている状態を、何とかするのが先決です。

しかし、それを論じることができるためにも、政権交代を実現することです。

民主が自公と同じことをするようなら、また政権交代です。そして、ぼくたち有権者がキングメーカーなのだということを、政治家に思い知らせることで、政治を変えていこうとぼくは思っているのです。目先のマニフェストは、先の先を読めない、馬鹿なジャーナリストたちに議論をまかせておきましょう

23:打てば響く 2009年8月28日分 転載
ビートル 08/29 00:20
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8月28日 その次は

 いよいよ選挙が近づいてきました。
新聞やテレビなどの予想によると、どうやら政権交代が行われそうな雲行きです。政権交代を、と主張し、後期高齢者健保は廃止を求めてきたぼくたちですが、これで、ようやく第一歩を踏み出すことになります。2003年の発足から数えて、六年と数ヶ月、「もう」とも思えますし、「やっと」とも思えます。しかし、これからが大変です。
 健保はだれがやっても解決の難しい問題です。アメリカでも、圧倒的な支持を得て当選したオバマ大統領ですが、健保問題では、なかなか手こずっているようです。
 ぼくは健保でかかれる病気を、ある程度制限する方向に進むべきだと思います。いわゆる風邪引きは、医者にかかるなら自費で、かからないなら、自分で薬剤師と相談して薬をのむ。クスリはのまないで、しょうが汁を飲むとか、ねぎの熱いスープを飲むとかの、それぞれのおふくろ伝来の風邪の対処法などをやるのもいい。そのかわり肺炎を起こしそうだったら、ためらわず健保を使って医師の治療を受ける。擦りむき傷は、昔のように、親が消毒薬を傷口に塗ってやればいいのです。アルコール依存の患者の治療は、酒税から出させる、というのはぼくの40年来の主張です。このあたりでまじめに取り上げてもらってもいいですね。
 老人党は先をいきましょう。これから、そういう面で議論をリードする存在になれたらいいですね。

24:打てば響く 2009年8月31日分 転載
ビートル 08/31 17:45
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8月31日

選挙の結果を見ての感想です。
 ぼくたちがやろうとしていたこと、(自公を退陣させること、しかも徹底的に敗北させること)は実現しました。それが第一ですが、その他にも、この選挙にはどのような意味があったか、考えてみました。

 戦後六十五年経って、首相を有権者の投票で直接に決めることができました。単なる偶然か、鳩山一郎の孫を選ぶか、吉田茂の孫を選ぶか、という選択になってしまいましたが、ともかく有権者のわれわれがキングメーカーになれたのです。まだ、鳩山と吉田の影を引きずっていますが、二人の生きた姿を見たことのある人は、有権者の中にも少なくなってきているでしょう。
 次の大きな意味は、公明の小選挙区での敗北です。代表と幹事長を落選させたことです。これは浮動票と呼ばれていた層が、選挙に参加して、高い投票率がえられた結果です。偉い人(ボス)の指示通りに投票するものを、自分の考えで投票する人たちが、上回ったということです。民主主義にブレーキをかけていた宗教票の限界を悟らせることになればと思います。宗教は政治と切り離さなければなりません。
 それと、女性議員の数が一気に増えたことです。日本の政治も見た目が華やかなものになるでしょう。戦後第一回の選挙で、日本に女性議員が初めて登場したのを見た人間としては、それからが長かったなあという思いです。
 戦後、硬直してきた外交にも、柔軟性が戻ってくるのでは、と考えます。世界で一番硬直した外交官が、日本の外務省の外交官でした。
 さて、前回にも触れましたが、これから高齢者の健保、年金の問題など、解決可能な方策、制度の変更を考えていくときがきました。政権の選択の時には、頭が熱くなって、意見の違いが罵りあいになったりしがちですが、今後四年の時間があります。ゆっくりじっくり考えていきましょう。
 生活苦からの自殺をへらすこと、ワーキングプアの問題を解決することは、緊急の課題ですが、きびきびしたスピード感ある対策を打っていけば、それができた政治家は、きっと名声を得ることでしょう。腕のみせどころです。
 ぼくたちはじっと見守りましょう。厳しい視線は、政権交代しても変えることはありません。これが、とりあえずの感想です。
ほっとしたら、ちょっぴり疲れが出ました。飄飄としているつもりでしたが、あちこちに、かなり力が入っていたのでしょう。

25:打てば響く 2009年10月5日分 転載
ビートル 10/05 17:49
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10月5日 鳩山新内閣とバラク・オバマ自伝「マイ・ドリーム」

 感想です。
 九月十七日、鳩山新内閣が発足しました。それから、まだ二週間とちょっとしか経っていないのですね。でも、もっと長い時間が過ぎたような印象です。
 内閣発足の日に、この感想は書き始めたのですが、締め切りの原稿などで中断していました。「しばらくは、この内閣のやることを、じっと観察することにします。ぼくたち老人は、長い間の日本の政治を見てきたので、かなり政治不信に陥っていますが、評価するには、しばらく待たねばならぬことは分かっています。だから、待ってしばらくは見守りたいと思います。鳩山首相が、国連総会出席の機会にアメリカに行き、そこでオバマ大統領と会見し、どんなことをいうのか、総会ではどのような演説をするのか、などなど、見ることはたくさんあります」と書いたところで中断でした。
 その全てが、一応済んだところです。ま、かなり努力しているところは分かりました。権力を掌握し、その権力を使って何をするのか、少しは見えてきました。
 天下り廃止には本腰を入れるようです。数年前、全家連(全国精神障害者家族連合会)が破産しましたが、そこにも官僚が天下りし、補助金をもらい、(もらうために無理な事業を起こし)借入金の返済ができなくなったのです。小生の元患者で、病気からの回復後、この連合会の誕生に力をそそいだ人が、事業拡大に反対して、天下り官僚に追い出され、告発の本を出しましたが、最近になって、ようやく検察が動いたようです。天下り官僚としては小物ですが、少々の告発では検察は動きませんでした。天下り官僚が、せっかく育った精神疾患の患者家族会の連合を、政治に巻き込んで潰してしまったのです。
 政権交代で、検察すら、ちょっぴりは変わるかもしれません。

 それから、今、偶然本屋で手に取ったバラク・オバマ自伝「マイ・ドリーム」を読んでいます。英語の本を買ったのですが、翻訳が出ていることを知り、そちらを読んでいます。原書の初版はなんと1994年です。そして2004年に改訂版が出た。日本語の訳も、2007年に出されたものです。大統領になったから、慌ててゴーストライターに書かせて出版させたような類いの本ではありません。米民主党の大統領候補になる前に出されたのです。しかし、これがすごく面白い本です。面白いという言葉が、貧弱に感じられるほど面白いのです。バラク・オバマが、大統領選挙で勝つ前に、この本を読んでいた人は幸せです。大統領に当選した人という偏見を持たずに、ある若い政治家の自伝として、読んで純粋に感動できたのですから。大統領選挙の前に書かれたこの本に、かれが若いころ、大麻や麻薬をのんでいたことがあることも書かれているほど、正直な自伝です。
 今、あちこちにマーカーで線を引きながら読んでいます。読み始めたら、途中でなかなかやめられない。アメリカ合衆国は大した人間を大統領に選んだものです。この人に二〇年ほどアメリカ合衆国の大統領をやっていてもらいたい、と思ってしまいます。でもアメリカ憲法がそれを許さない。
 残念です。もう読んでしまわれた人も多いと思いますが、読まれていない人には、是非読むことをお勧めします。

26:打てば響く 2010年1月13日分 転載
ビートル 01/14 19:19
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1月13日 年初の感想

 社会の記憶力

 2010年の年初の感想です。型通りの挨拶は一切省かせていただき、その
かわり、この一年、あまり活動的でなかったことをお詫びします。サイトの更新
ももう少し頻繁にできるはずだった、などと新年を迎えてまたまた反省を繰り返
しているところです。

 さて《なださんは頼りないなあ》と思われているのではないでしょうか。社会で
事件が起きたとき、それについてのぼくの意見を知りたいと思っても、ぜんぜん
ホームページに反応が現れなかったですものね。また老人党のサイトで論争が
起こっていても、反応なしでしたからね。

 しかし、故意に沈黙していた訳ではありません。反応がのろいだけです。反応
しようとしているうちに、のろくさだから、次の事件や次の論争にみなさんの関
心も移ってしまう。せっかく準備した文章が間延びしたものになって、結局止め
にするという流れになっていただけです。ですから改善の見込みがない訳はあ
りません。

 しかし、負け惜しみではありませんが、のろくさにもいい点があります。少なく
ともぼくはそう思っています。反応なんて、ただ早ければいいというものではあ
りません。ゆっくりと熟考して反応することだって、同じくらい大切です。ぼくは、
どちらかというと、反応が鈍い方ですが、それでもそこがぼくの得意とするとこ
ろなのだと考えています。人それぞれ得意があるのもいいでしょう。

 今、ぼくはパリにいます。子どもたちは皆フランスに住んでいるので、一年に
一度、格安航空券で、家族を訪ねるのが習慣になっています。それで今はパリ
です。外国から日本を見つめるというのも、思考のリフレッシュには役立ちま
す。

 さて話は少し戻ります。年を取るに連れて記憶力が衰えます。そこで対策とし
て、出来るだけメモをするような習慣を身につけました。しかし、メモを取るのは
いいが、しばしばそのメモ帳をどこかに忘れるということがあります。これは困
る。でも、偶然再発見した時の喜びもまたいいものです。そして今の今、メモ帳
の裏の部分を、またメモ帳として使ってエコしようとして、去年の今頃のメモを見
つけたところです。

 去年の今頃、どのような事件があったか、みなさんは覚えていますか。意外と
覚えていないのではないかと推測します。単なるぼくの思い込みではないでしょ
う。というのは一年前のことを記事にし続けているマスコミをあまり見かけない
からです。記憶力の低下は老人だけのものではないようです。現代社会もまた
記憶力の低下があるようです。社会が、忘れてはならないことを忘れていること
がよくありますから。

 一年前の今頃、イスラエル軍のガザに侵攻し、世界がイスラエルの非難を繰
り返していました。メモにはそう書いてあります。日本人には、パレスティナ問題
は遠いところで起こっているという意識がありますから、とっくに忘れているので
はないでしょうか。ぼくとしては忘れてはならないと思っています。

 それならマードフはどうでしょう。これも丁度一年前に起こった事件でした。こ
れは日本人にもおおいに関わりのある問題です。どうですか。この名前も覚え
ていない人がけっこういるのではないですか。正直にいうとぼくも忘れていまし
た。それは年ですから仕方ないでしょう。でも、社会が忘れてしまってはいけま
せん。ぼくは、メモを偶然見つけて思い出しました。一年経ったことで、かえって
よく理解できるようになったような感じがします。そしてますます思うのです。こ
れは忘れてしまってはいけないと。

 しかし、ぼくとは逆に、早く忘れて欲しいと思う人がいます。というのは、資本
主義の根幹に触れる事件だからです。

 マードフは巨額詐欺事件という名前を付けられて整理されています。もう裁判
も終わって(なにしろ早い裁判だった)、150年の禁固(アメリカの裁判官は、1
50年の禁固などという判決を下すときどんな顔をしているのでしょう)という判
決が下っています。そして株式市場は、こんな事件がなかったかのごとく、当時
の株価をとりもどしています。

 でもこれは、巨額詐欺事件、ねずみ講の特別巨大なもの、とは本質的に違う
ものです。メモを見直すと、詐欺に引っかかった被害者は、れっきとした金融機
関がほとんどです。スコットランド・ロイヤルバンクが500億円以上、スペインサ
ンタンデル銀行が2700億円、BNPパリバが430億円、英国HSBCが1350
億円。野村証券も被害者に顔を出します。ぼくのメモでは275億円。幸いに
も、日本の民営化した郵貯銀行の名前がありませんが、もうちょっと民営化が
早ければ、きっと被害者のリストに名前を連ねていたでしょう。こんなところに、
巨大銀行が多額のお金を預けていたのです。かれを単なるねずみ講の詐欺犯
だと思いますか。かれは当時としては、ごく普通のビジネスをしていたのです。
大きなネズミではありません。かれがネズミなら、今の金融システムは、ネズミ
だらけということになります。

 かれはナスダックの元会長ですよ。これが詐欺というのなら、アメリカの社会
は、なぜそれを正式なビジネスとして、長年の間認めて来たかです。ニューヨー
クタイムズは、かれのビジネスの提灯持ちのような記事を載せたといわれてい
ます。まさかニューヨークタイムズが意図的にねずみ講詐欺に加担していたと
いうことはないでしょう。そう信じます。すると結論は、結果は詐欺事件となった
が、それはあくまでも結果であって、そうなる前はれっきとしたビジネスだったと
いうことです。上に並べたれっきとした金融機関は、マードフにもうけさせてもら
っていたというわけです。資本主義の落とし子などではありません。金融資本
主義そのものだったのです。実体経済とは全く関係なく、大銀行同士がもたれ
合い、お金をぐるぐる回して、株価をつり上げ、そこからもうけを得ていた。そし
て結局は、年金とか、老後の資金として蓄えていたお金が、ババを引かされる
結果になった、ということです。

 銀行の本当の仕事は投資です。真面目な起業家を発掘して投資し、企業の
成功から利益を上げる。これが投資です。集めた金を丸投げして、ファンドとや
らにばくちをさせる。これが投機です。ルーレットと変わりがありません。全ての
金融機関が、このような投機に走っているのが、現代の資本主義です。資本主
義はこんなにも変質していた。無理な株価のつり上げはバブルです。いつかは
かならずはじけます。はじけた時に、贖罪の羊ならぬ、ねずみにされたのがマ
ードフだった。今、メモを見つめながら、そう考えています。この事件は資本主
義が反省するまで忘れてはいけない。そうではありませんか。

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