打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

41:打てば響く 2012年10月2日分 転載
ビートル 10/02 22:34
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月2日の記事を転載します。

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10月2日 感想というより決意


 老人党の掲示板を見ていると、老人党が曲がり角に来ていることを感じる。仲間の一人から、「これでいいのか」と活を入れられた。ぼくも、これではいけないことを十分に知っていた。だが、怠けていた。ぼくがメルマガに毎回登場するようでなければいけないのだ。それが一番の解決法。しかし、それには時間的にも精神的にも大きな負担増が強いられる。それで躊躇っていた。だが、何をためらう。今は、日本にとっても最大の危機。ぼくの人生も残り少ない。今、頑張らなくてどうする。
 ぼくは、腹をくくった。

 常連化した一部の人たちの、老人の一番悪いところが出た、独りよがりの議論などに、老人党を代表させていてはいけない。これではマンネリもいいところだ。

 話は飛ぶが、ぼくは現在「常識哲学」についての本を執筆中だ。スコットランドで起きた「コモンセンス」を社会の本にしようと考える哲学だ。18世紀に生まれ、経済学者として後世に名を残すアダム・スミスもこの運動に属した。
 この哲学運動は、アメリカ独立とフランス革命を置き土産にして、一旦は消える。トーマス・ペイン(バラク・オバマが大統領就任演説で引用した)のベストセラー「コモンセンス」の中の、「アメリカ独立は今や常識(コモンセンス)です」の一言がなかったら、アメリカの独立があったかどうかわからない。フランス革命を弁護した、200万部のベストセラー「ヒューマンライツ(人間の基本的諸権利)」は人権を常識として定着させた。かれはアメリカ独立の直後に奴隷を解放する州憲法の起草者になっている。
 この思想が、欧米では消えていくのに反して、明治以降の日本に、常識という訳語を得て生まれ変わり、定着した。日本にもともとあった論語の「中庸」の思想とぴったりだったからだ。常識は社会の基本原理となったという具合だ。

 ぼくは、老人党は常識の党であらねばならぬと考える。しかし、同時に常識は進化することも忘れてはならない。「今の非常識」がやがて「未来の常識」となることもある。未来を先取りする非常識は大いにあっていい。それが話題を提供して議論が繰り返されることが、老人党の掲示板のあり方だ。自民党の総裁に安倍がいいか、石破がいいか、石原がいいか、などという議論は三文の価値もない。だれの演説を聞いても最低で、日本の政治家の思想的な貧困さを競っているだけではなかったか。それにのせられていては、日本のマスコミの宣伝にのせられて不毛な議論をしているだけのことになる。

 日本の防衛大臣が、アメリカの使いばしりになっているのは一目瞭然だ。日本から大臣の給料を出すのは無駄。初めから説得などできないのに、沖縄に説得に赴くのは、旅費の無駄。公費を使う価値がない。これ常識。戦後大臣を「公僕」と呼ぶことが流行った。今は「アメ僕」。アメリカの強引な政策に、無理に協力するために税金を使って右往左往しているだけ。
 これが国民の常識。しかし日本のテレビはその常識をインタービューで声として出させない。

42:打てば響く 2012年10月10日分 転載
ビートル 10/10 19:10
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月10日の記事を転載します。

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10月10日 常識で考えようの2

 安倍自民党総裁が、民主党野田総裁と、公明党山口代表の三党首会談を受け入れるかどうかの意見を聞かれ、三党合意での近いうちに解散するという、意味は、「常識」では年内を指す、という談話を発表した。
 ちょうどいいタイミングでの「常識」発言だ。安倍総裁にジャーナリストが「常識」ってなんですか。と質問してくれたら、なお良かったが、ほとんどのジャーナリストが「常識とはなんだろう」と考えたこともなかったらしく、当然そのような質問は出なかった。

 常識が、明治の初期、英語のコモンセンスの訳語として作られたことは、たいていの辞書に書かれている。しかし、この訳語の漢字のイメージが、非常に強かったので、コモンセンスの訳語は独り歩きして、日本では独特の意味を持つようになった。
 というのはぼくの考えだ。
 常識という言葉を使う時には、自分の仲間だけの常識か、もっと広い常識か、世界に広げられる常識か、を考えるようにする。これがぼくの原則だ。医者の常識、世間では非常識という場合がしばしばあった。政治家の常識は、国民にとっての非常識であることもしばしばだった。

 そういうことを踏まえたうえで、常識で考えよう。
 尖閣問題とはなんだったのだろう。日本は、尖閣諸島を実効支配していた。中国も台湾も、自国の領土だという主張をしてきたが、だからといって、日本の実効支配を実力で覆そうとはしなかった。小平は、《尖閣問題は棚上げだ》と指示していた。問題を片付けようとして失うものを考えれば、棚上げの方がずっと利益があるという、計算のできる現実主義の政治家だった。かれクラスの政治家が、中国にいなくなったのは残念だ。
 野田が、小平の言葉を知っていたかどうか。知らなかったのだろう。馬鹿な政治家を首相に仰ぐ不幸をしみじみと感じる。20何億で、国有化したために、中国に進出していた企業は、軒並み大打撃を受けた。中国も受けている。日本の地方の観光業も、軒並み大打撃を受けている。これは日本のジャーナリズムがあまり報じない。ANAが中国人予約4万席のキャンセルを受けたという報道があっただけ。北海道のホテルなど、中国からの団体客で、なんとか不況をしのいできた。この事件でキャンセルが続けば、持ちこたえられないところも出てくるだろう。じわりと効いてくるボディブローだ。
 その損失は、税収にも響く。そこで消費税値上げなどをやったら、息の根を止められる中小企業も多いだろう。国民の生活が第一の小沢が首相だったら、やっぱり石原都知事に振り回されて同じバカをやっただろうか。石原に買わせればよかった。そして、職権乱用で訴えればよかった。都が尖閣を所有することを都民に判断させればよかったのだ。かれがお騒がせマンであることは、中国にも知れ渡っている。それに困ったふりをしていればよかったのだ。
 韓国語を習い、中国語を習い、観光客を呼び込んできた、日本の地方の観光業者の常識で考えれば、今回の事件はそのように総括されるのではなかろうか。

43:打てば響く 2012年10月20日分 転載
ビートル 10/20 11:09
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月20日の記事を転載します。

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10月20日 常識で考えようの3

 自民と民主の大臣まで加わっての、靖国参拝。
 日中関係、日韓関係をこじらせるようなことを、わざわざやってくれる。それが目的なのだろう。
 しかし、日本人のなかに、誰か、かれらの行為を喜んだり、感謝したりする人がいるだろうか。
 そうだ、少しはいたんだ。遺族会と旧軍人。旧軍人は、軍人年金をもらっていたし、遺族は遺族年金をもらっていた。しかも、国民に年金制度がいきわたる前。サンフランシスコ平和条約が結ばれたとたん、軍人年金、遺族年金が復活したのだ。
 戦後生まれのほとんどの人は、議員が靖国に行ってくれてありがとうなんて思う人はいない。これが常識ではなかろうか。ぼくの感覚はまちがっているかな。
 靖国に参拝する議員の会、などというものを作って、集団で行くところに「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の、批判を恐れる精神が見える。みんなで集団を作ってやらなければ、できないような、小心者の集まりだ。
 A級戦犯と呼ばれて東京裁判で裁かれた人たちが、靖国に入っている意味はなんだろう。祀ったのは戦後だから、ちゃんとどのような人たちがやったか分かっている。旧宮内庁系の人、旧軍隊系の厚生官僚、将軍たち。かれらは、生き残った自分たちの罪を、かれらを愛国者に仕立てて、自分の罪を消したかったのだろう。
 今の社会の常識で、例えば、会社を潰した人に感謝して年金を払うところがあるだろうか。退職金返せ、が常識だ。
 かれらは、国を守るどころか、日本という会社を潰し、何百万もの国民と言う名の社員まで巻き添えにして、沖縄の地上戦や、無差別空襲で死なせ、財産を失わせた。その責任者の代表が靖国に祀られ、空襲で死んだ犠牲者は祀られていないのだ。そのことを議員さんたちよ、どう思う。それを質問してくれる新聞記者、テレビ記者も皆無。だからぼくのような批判が常識にならない。その戦争犠牲の不公平な扱われ方の象徴が、靖国だということ。
 ちょっと過激になったかな。過激なのは常識でないか。でも、日本人は、この問題を深く考えてこなかったので、ぼくのような考え方が常識にならなかった。これから、それを常識にして行かねばならない。
 みなさん、靖国に参拝する議員という名は公表されている。その人の名前が出たら、「あ、この人が靖国に参拝したのね」と、公衆のまえでつぶやくようにしよう。東京駅で、選挙区に帰る姿をみたら、「あ、靖国に参拝した人だ。テレビに映っていた」とつぶやこう。「誰のためにやったのかね」とつぶやこう。「靖国は軍人でないと祀られないんだってよ。うちの爺さんは、空襲で死んだんだけど、そんなのではダメなんだって、とつぶやこう。そして人々の反応を見よう。本当に喜ぶ人が今時、いるのだろうか。
 ぼくは旧軍のエリートの学校にいた。そして軍人として尊敬できる人も、愛することのできる人もいた。
 だからこそ、国を守るために働いたという顔をして、生き残って年金をもらっていた人の偽善が許せないのだ。

 ぼくも怒ることがあるのだ。古賀なにがしという自民党の議員。好かん!

44:打てば響く 2012年10月28日分 転載
ビートル 10/28 09:58
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月28日の記事を転載します。

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10月28日 常識で考えようの4

 石原新党など、マスコミは騒いで、このお騒がせマンの宣伝を手伝っています。今回、コメントの中で光ったのは、田中真紀子文科相の「石原慎太郎、かっこ悪い暴走老人」。よくいうね、この人。
 みなさん年をとっても「暴走老人」にならないように注意しましょう。

常識で考えようの4。

 前回、いいたかったのは、「靖国に参拝するだけが能じゃないのですか。靖国とは何かを考えることの方が、もっと重要ではないのですか。なぜA級戦犯はすぐに合祀され、空襲の犠牲者の合祀は問題にもされてこなかったのですか。沖縄戦の市民の犠牲者の合祀は問題にされないのですか。軍から手榴弾を渡され、降伏せず自決した人たちが、合祀のリストに入らなかったのでしょうね」、そう、参拝派議員に質問をぶつけてくれるマスコミがなかったのが、一番寂しい事実だ、といいたかったのです。
 週刊朝日も週刊文春も週刊新潮も、みんなその点では全く変わりはない。情けないマスコミです。
 老人党掲示板で、前回このコラムに載せた感想に、いくつかの反応がありましたが、恩給問題に反論が偏ったのは残念でした。ぼくが提起したかったのは、靖国の問題で、軍人恩給や遺族年金の問題ではない。恩給返せ、などというのは、常識的に考えて、実現することが目的ではない。気持ちの問題で、合祀もされず、補償もなかった人たちのことを忘れないで、といいたかったのです。いまさら、返せなどといわない。そういうことを踏まえて未来を考えようというのが、ぼくの意図です。靖国は軍人と一般人の差別の象徴です。それを認識してもらいたかったのです。決して、中国や韓国の反応を考えてのことではないのです。日本人として、そのような形で、靖国への参拝の意味を、議員たちに問うてみたかったのです。すぐに、隣国の批判に耳を貸さないのが毅然とした態度だと思っている人たちに、国内からの批判もあるのですよ、それに耳をふさぐこともかっこいいのですか、といいたかった。まず国内問題であって、国際問題にすり替えないで、といいたかったのです。

 この問題は、掲示板に任せて、先に進みます。

 大震災の復興を阻んでいるのは、なにかです。ぼくは戦後の闇市焼け跡派の人間ですから、戦後の復興が、闇市のエネルギーによって成し遂げられるのを見てきました。今回の大震災では、被災者が完全に避難所生活の形で、管理されてしまって、難民キャンプに似た生活を強いられ、自分たちで勝手に行動して、焼け跡にバラックを立てて、闇市に物資を運んだ、戦後の戦災被害者のように振る舞えなかったことにあると考えています。もと住んでいた土地に、家を建てることも、許せばいい。あるいは買い取ってくれといわれたら、買い取ればいい。それを受け取って、安全なところに家を建てるのもよし、危険承知で、その場に家を建てるのもよし、です。
 3・11のような巨大大津波は、今の被災者たちが生きているあいだには、押し寄せてきません。ぼくは過度な安全確保の考え方が、エネルギーをそぎ、復興にブレーキになっていると考えます。いざという場合の避難場所を考えるだけで十分です。大津波が来ても、絶対安全なところに家を建てることを考えていたら、町は再建できません。これが常識的な考え方です。絶対の安全を保証するなどというのは、常識的な要求ではありません。飛行機に乗っても、自動車を運転しても、電車に乗っても、常にリスクは伴っている。しかし、それが常識の範囲にとどまる限り、肯定します。常識的なリスクなら、知っていて飛行機にも乗るし、電車にものります。毎日世界のどこかで、事故は起こっていますが。地震や津波だけが、リスクではないのです。
 自治体が、市民たちに、自由に行動を許し、避難所生活に必要としている同額のお金を、個人に現金で渡して、自活を援助していれば、もっと早く復興していたでしょう。たしかに、戦後の焼け跡に立ったバラックは、立派なものとはいえなかった。安全ともいえなかった。でも、そこでの生活は、のびのびしていたのです。
 これがぼくたち闇市焼跡派の常識です。

45:打てば響く 2012年11月3日分 転載
ビートル 11/03 21:46
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年11月3日の記事を転載します。

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11月3日 常識で考えようの5

 ちょっとこれまでと調子を変えます。
 短い読書の感想です。

 みなさん、今、ベストセラーになっている『戦後史の正体』孫崎享著を読まれましたか。是非読むことをお勧めします。
 ぼくも薄々そうであろうと感じていたことが、実例の引用付きで、裏打ちされています。やっぱりそうだったのか、と納得することばかりです。
 読むと、日本人の、戦後に関する常識が、完全に覆されます。痛快といいたくなるほどです。

 かれを次の東京都知事選に立候補させようという動きがあるようですが、本当だったら面白いですね。ぼくは20年ほど前に鎌倉に移住し、東京都民ではなくなってしまったので、投票できないのが残念ですが、かれが都知事になれば、石原慎太郎や、橋下大阪市長とは比べ物にならない、存在感のある首長になるでしょう。ぼくはベストセラーは眉につばをつけて読む方ですが、この本の論理性には、帽子を脱ぎます。
 しかもこの本を書いたのが、かつての外務省国際情報局長で、防衛大の教授という肩書きを持った人だとは!
 こんな肩書きを持った人の本を、ぼくが進んで読むことはなかったでしょう。ベストセラーになって、本屋で平積みにされて、ぼくの目にとまったから、立ち読みした。それがきっかけで読むことになりました。するとあまりに面白くて、やめられなくなってしまったのです。
 これまでだったら、ぼくは元外務省官僚とか防衛大の教授という肩書きを見たら、手に取る前に、敬遠してしまったでしょう。ぼくのこうした肩書きを持った人たちへの偏見が大きかったことを、証明されたようで、ちょっと反省しています。

46:打てば響く 2012年11月17日分 転載
ビートル 11/17 13:01
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年11月17日の記事を転載します。

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11月17日

「窮鼠猫を噛む解散」と見えて、実は「あとは野となれ山となれ解散」

 とうとう年内解散ということになった。
 今回は、どこに投票するか、選挙民は迷うだろう。ぼくだって迷う。単独の党が過半数を占めることはないだろう。
 記録的な低投票率になる可能性もある。その正反対もありうる。自公政権の復活の可能性は高いが、もう、それにはうんざり、という有権者も多いから、前回の民主党のように、自民が大勝ちすることはないと思う。

 さて、野田という政治家だが、おそらく「政治家になる以上は総理大臣をやってみたい」と思って生きてきた人なのであろう。松下政経塾に入ったのも、民主党に入ったのも、自民党に入るより、近道という計算があったのだろう。そして首相になった。だが、この人には、首相になって、何をしたいのか、そのイメージがなかった。政治家になってからは、ひたすら政治技術を学んだ。今回のような敵も味方も虚を突かれるような解散をしたのは、そのような技術を学んできた結果だろう。かつては、こういう技術は、政界の寝業師と呼ばれた人たちに属していた。その技術を、かれはプロ並みに磨いた。
 だが、解散のあとを、かれは考えていないだろう。民主党はこんな解散をすれば、消滅するだろう。選挙後にいくつかに分解し、小沢のもとに走るもの、自民に走るもの、維新に走るもの、いろいろと出てくるだろう。しかし、かれにとっては、総理になるまでは必要な存在であったが、民主党はもう必要はない。かれは政治生命を賭けるといっていたが、実は、総理大臣になってしまったのだから、これからの政治生命など、問題にならなかったのだ。だから民主党の生命も賭けたのだろう。
 だろうと、推定しているように書いているが、ぼくの頭の中では、ほとんど確信に近い。
 政治家を職業としてやる人間が増えてくれば、かれのような首相が選ばれても、当然だ。
 だが、日本人にとっては、不幸なことだ。

 こんどの選挙では、どこに投票したらいいか、大いに迷うだろう。それについては、この次に書こう。
 が、群雄割拠して、政権の空白状態が起きるかもしれないが、今のような政府なら、政府などない方がいいかもしれない。ベルギーなど、541日間、選挙後に内閣を作ることができなかった記録もある。しかし、ベルギーの経済は、ごく普通に機能していた。日本に、たくさんのベルギーのチョコレート屋が店を開いているし、スーパーでもベルギーの絨毯は、よく売れている。高級スーパーではベルギー輸入の、ビスケットが売れている。フランス製よりよく売れている。政府はダメでも、商売の方は、けっこう頑張っているのだ。
 541日の政治空白は、さすがにギネスブックに載せられるほどの記録であったが、政府なんて、意外と不必要であることの証明にもなった。その間、選挙で負けた前の内閣が、541日も延々と代行を続けてしまったのだ。政治空白、さあ、大変、などとあわてふためかないこと。

 今回の解散で示した、野田という政治家、昔の「政界の寝業師」という修飾語を思い出してしまった。追い詰められたかれには、それが唯一の選択肢だったのかもしれないが、党首討論の形で、解散の言葉を飛び出させたのは、演出の上手さと認めてもよかろう。
 かつてのバカヤロー解散などというものを、経験しているぼくたちにとっては、さして、驚きもしなかった。「おやおや、政治のプロだとか、政界の寝業師などという修飾語を付けて呼ばれる政治家が、まだ残っておったわい」
 今回の解散、後世のために名をつけるとすれば「窮鼠猫を噛む解散」というところだろうか。
 ともかく、かれ自身にとっては最良と思われる選択だったろう。ちょっぴり野党を慌てさせたし、石原や、橋下たちも、慌てさせたし、民主党の傷口が、これ以上大きく開かないようにブレーキをかけた。あと一日遅れれば、党内の反対派に首相の座を降りるように迫られただろう。
 だが、寝業師の政治家をもったことを、国民が誇りに思えるだろうか。国民はいうだろう。寝業師なんていらない。
 欲しいのは、哲学をもった政治家だ。

47:打てば響く 2012年11月28日分 転載
ビートル 11/28 21:28
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年11月28日の記事を転載します。

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11月28日 口先だけにしてもらいたい

 まだ選挙の告示はされていないのに、各党首の街頭演説がニュースの大半を占める。それにいちいちまともに反応していたら、消耗する。まずは傍観というところ。

 といいながら、この間の安倍自民党総裁の発表した「憲法9条改正。自衛隊は国防軍に。インフレ目標(物価上昇)2パーセント、成長率名目3パーセント、建設国債を日銀に引受させる」などなどの自民党マニフェストには、一言コメントしたくなった。しかし、そう思ったのはぼくだけでなく、いろんなところから飛び出したのが、面白かった。

 マニフェストの発表直後、公明党の山口党首が憮然とした顔で、まず、「憲法 9条の改正は必要ない。自衛隊を国防軍と呼び変える必要もなし。建設国債引き受けのための日銀法の改正も必要ない」という反応を見せた。公明党も安倍総裁の突出ぶりには困惑しているようだ。創価学会から、「憲法9条改正には、賛成できない」との突き上げもあるのだろう。公明党は自身が、右傾した自民党と自公連合を続ける理由があるかどうか、考えざるをえないだろう。

 それに「建設国債を日銀に引受させるための日銀法改正や、物価上昇2パーセント」については、日経連の米倉会長からも否定的な意見が表明された。財界の代表から賛成できないと発言されたら、寄付をもらいにくかろう。それに対して、安倍総裁は、「経団連は勉強が足りない」と批判を返している。喧嘩を売った形だ。この突出ぶりというか、はしゃぎ過ぎというかは、前回内閣を投げ出したのが「うつ」の状態とすれば、「そう」に近い、といえそうだ。どちらかというと、自陣営と考えていた人たちに首をかしげられて、ついには「この発言で円安に振れ、株価が上がった。勝負あった」などとぶつに至っては、もう暴走だ。傾げた首がもげそうだ。まわりの人たちは、この総裁の袖を引っ張って、ブレーキをかけるのに必死なのではないか。
 そもそも、デフレの反対がインフレ、インフレにすればデフレから脱却できるなどという考えは、野党第一党のマニフェストとしてはお粗末すぎる。2パーセントの物価上昇を目標にするなどというのは、年金は増えず、物価が2パーセント上昇すれば、年金生活者を直撃する。公務員も、中小企業の労働者も、つまり国民の半数以上が、賃上げは望めない状況だから、2パーセントの物価上昇は、2パーセントのデフレを体験するようなものだ。円安になれば、大手の輸出産業は助かるかもしれないが、輸入で飯を食うものにとっては、それだけ損失になるのだ。海外旅行者は円高を喜びこそすれ、円安に万歳する気持ちはなかろう。こんなにハッキリと円の強さを実感できる外国旅行者も、数百万人を数える時代なのだ。
 輸出と輸入がほぼ半々なら、世界から批判も受けない。極端な輸出超過は、世界の批判を招く。その分、内需を呼び起こしたいところだが、物価高で、給料はそのままだったら、消費者マインドは冷え込むばかりではないか。デフレの反対のインフレになどと思っても、日本経済の舵取りは、決して易しくも単純でもない。高校生程度の頭の政治家には、荷が重すぎる。うまくいかなくなって、また途中で放り出すのは、本人の勝手かもしれないが、国民の方は迷惑千万な話だ。
 株価が口先だけで上がるなら、口先だけにしてもらいたい。それで、もう十分だ。

48:打てば響く 2012年12月13日分 転載
ビートル 12/13 19:52
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年12月13日の記事を転載します。

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12月13日 マニフェストか、過去に対する責任か

 選挙となると、マスコミは、各党のマニフェストに目を向けさせようとする。マスコミも協力する。これでは選挙民が、マニフェストなどを比べて選択しているような錯覚に陥っても無理はない。
 騙されてはいけない。選挙は、これまでの政治の責任を問うものだ。これまでの中には、今の政府ばかりでなく、これまでの政府も含む。
 子供の精神発達の程度を調べるときに、何かモノを見せると、今持っているモノを放り出して新しいものに向かうかどうかを見る。新しいものを出されても、すぐに飛びつかなくなれば、かなり成長した証拠になる。つまり、赤ん坊の時代は今に支配されるが、成長するにつれ、原因結果を、少しさかのぼって考えられるようになるということだ。
 選挙に当てはめれば、目の前に出てきたものに、機械的に飛びつくのではなく、時間の幅をとって、原因と結果を考えて投票しないと、今まで左、今度は右の、簡単な選択になってしまう。政治は逆風に間切って帆を操りながら前に進むヨットのようでなければならない。右に振れるにしても、前進がなければならない。
 日本再生を訴える政党は、こういう視点で見れば、その前の与党であり、今の日本の破産状態に、責任がある政党だ。壊れた日本を直すというなら、日本がどう壊れ、それに政党がどう関わり、今、どのような状態にあるか、見てから考えることだ。それに対し、どのような責任があるかをはっきりさせるのが選挙だ。日本がまるで民主党の四年間で壊れたというのは、間違いだ。日本が前の長い支配政党に壊されたから、民主党が出てきた。しかし、この党が半分、前の支配政党のような部分を持っていたから、何も変えられないどころか、旧支配政党のやりたくてできなかった増税に手を貸してしまったのだ。
 その民主党をただし、さらに前へと前進させるビジョンを有権者は持つべきだ。一旦多党化してもいいだろう。

 老人党を立ち上げたとき、ぼくは、落とすことを考えよう、われわれにできることは、だれを選ぶかではなく、だれを落とすかだと、選挙に対する考えを変えるように提案した。
 自民党の政治を終わらせるために、たまたま民主党に票を入れるよう勧めたのであった。民主党のマニフェストに賛成したからではない。
 これからの世界の展望を示さず、自分たちの世界政治の中での位置を示さず、目先の個々の問題を書き連ねただけのマニフェストだなんて、読む価値がない。読むなら、その幼稚さを批判するためであって、期待などするためではない。
 これまで、政治家が過去に何をなしてきたかを考えず、公約なる口約束、つまり口約ばかりに目がいってしまっていた。だから、政治が変わらなかったのだ。
 大震災とそれに続く原発災害で、今や、政治家たちが、過去に何をしたかが見えてきた。最近起こった、中央高速道トンネルの天井落下の災害もそうだ。あえて、事故などと呼ばず災害と呼んでおこう。
 だが、政治家は、今もって、自分からその責任を語ることをせず、もっぱら口約ばかり述べ立てる選挙をし続ける。ぼくたちの一票は、そういう政治家を落とすために使うべきだ。

 敦賀の原発は、活断層の真上に建てられていた。だれの責任だ。計画を立てたのは、どこの党か。建てられたのは、どの政党が政権の座にあった時か。安全を保証した学者はどこの大学の誰か。
 池田内閣の頃から計画され、佐藤内閣の時にゴーサインが出されたのではなかったか。
 建設したのはどこの大企業か。そこと結びつきの強かった政治家は誰か。調べれば分かるだろう。おそらくその政治家は死んでいるか、引退しているかだろう。だが、その二世は立候補しているだろう。二世という地位を利用して立候補するなら、親の責任も受け継ぐべきだろう。落とすべし。

49:打てば響く 2013年1月7日分 転載
ビートル 01/07 23:33
なだいなだのサロン『打てば響く』2013年1月7日の記事を転載します。

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1月7日 庶民を名乗る人のメール

 当然の結果だが、民主党が惨敗して、安倍内閣が発足した。
 大阪の「よみうり新聞」が、どういうわけか「老人党」のコメントがほしいというので、答えた。
「この内閣を一言でいえば」
「こんなのお坊ちゃんかき集め内閣や」
「安倍内閣に何を期待するか」
「無理に期待させるな。初めから期待していない。坊ちゃんたちに庶民の気持が分かるとは思わない。喜ぶのは株屋ばかりだろう」
「新入閣の若手たちには」
「見たこともないような顔ぶれだ。見たこともない人間にどう期待すればいいのだ」
「二人の女性閣僚は」
「お隣の国には女性の大統領が選ばれる時代だ。女性が大臣になることは話題にもならん」
と、コメントしたら、たくさん意見を伺って、どれだけ紙面に反映できるかわからない、と記者が申し訳なさそうに、言い訳をした。
「そんなことわかっている。たいてい骨抜きして、これがオレのいったこと?と、思うようなコメントが載るので、新聞とはそういうものと思っている」と答えた。 ところがデスクが気に入ったらしく、かなり紙面を割いて、コメントした大部分を載せた。珍しいこともある。
 関東にいるぼくには、どんな記事になっているか分からなかったが、すぐに自民党支持者と思われる、庶民を名乗る人から、メールが来た。著作権もあるので、コピーするわけにもいかないが、「お坊ちゃんかき集め、というが、代議士の子弟が40%の自民党の議員で組閣すればそうなっても当然。この内閣だけ意図してかき集めたわけではない」などなど、抗議の内容だった。自分も庶民である。だが、大いにこの内閣に期待していると締めくくられていた。名前も書かれていたので、丁重に返信したが、返信の返信はない。ぼくの返信の内容はいずれ、どこかに書く予定だ。
 年金生活者は、年金が上がらないで、物価だけ上がっていったら、生活が苦しくなるのは目に見えている。これから給料を上げてもらえると思うサラリーマンはどれだけいるだろう。2パーセントの物価上昇を目標にするなんて、ばかなことを。円安に振れる。それだけで、食料自給率の低い日本は、生活費がどんどん上がる。もうすでにパンが値上がりしている。マグロなんてインフレ的な値上がりだ。国民の生活を脅かしながら、なんで日本防衛なのだろう。
 日本とは何か、もう一度議論をする必要があるようだ。

50:打てば響く 2013年2月3日分 転載
ビートル 02/03 10:33
なだいなだのサロン『打てば響く』2013年2月3日の記事を転載します。

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2月3日 「賢い国」のスローガン

 「ちくま」連載のコラム、「とりあえず主義」の次号の題は、≪「賢い国」というスローガン≫です。これは日教組新聞のコラムに、選挙に間に合うように、「賢い国」というスローガンを提案したが、買い手がつかなかったことを残念がる文章です。無料で売りに出しているのだから、買えばいいのに、とぼやいて見せています。
 ともかく、社会党も共産党も生活の党も、「賢い国」を取り上げないので、わが老人党だけでも≪日本を「強い国」ではなく「賢い国」に≫をスローガンに掲げようと思います。「強い国」をスローガンに掲げる党は、すぐに福祉を削り、軍備費をふやすだろう、といっていたら、その通りになりました。
 そして、なんとしても成長路線に戻すことを考えているようです。一家の家計をやりくりしている一般家庭は、まず何としても収入を増やそうとしますかね。とにかく収入を増やすために、借金して競馬で稼いで来い、なんて亭主をけしかけますか。賢い主婦は、収入は変わらない世の中だから、何とか、賢いお金の使い方をしようと考える。そこが腕の見せ所です。
 政治家の常識がいかに、生活者の常識とかけ離れていることか。
 賢い国は、自分たちの住む地球環境を破壊してまで、成長を望みません。原子力発電は安いエネルギーだなどという嘘にだまされない。反対が多くて、最終処分場も決められないので、その分の経費は抜きにして計算して、安い安いといっているのです。安いエネルギーなんていう財界人がいたら、賢い人たちは、そう反論しましょう。
 環境破壊の代償は、原子力の電力料金には含まれていない。賢い国は、発電量をただ増やすことを考えず、省エネルギーを考えます。省エネルギーの産業を育てます。環境保全には、省エネルギーが賢いやり方です。
 武器を生産するために、エネルギーを使ってしまうのは、北極や南極の氷を解かすスピードを速めているようなもの。氷が解けて海水面が二メートル上昇することは、全世界の海岸に二メートルの津波が押し寄せることです。日本の太平洋岸だけの津波と違うのです。そしてこの津波、押し寄せたままで、引いてはいかない。
 世界の二メートル以下の土地に、どれだけの畑や田んぼがあるでしょう。食糧生産はその分減ります。
 こういう風に、何が人間にとって賢い選択なのか、考えるのが賢い国です。
 日本のことだけを利己主義的に考えるのではなく、他人を思いやることが、結局、日本を救うことになります。

 ぼくは「賢い国」なら民主党のようにバラマキ福祉はしないと思います。あれは賢くない。お金はばらまくものでなく、賢く使うものです。
 何でもいいから名目上だけでも、ともかく成長することを目指したとき、バブルが起きました。その過去の経験を忘れてはいけません。あの時代、需要がないのに供給を増やした。それでも数字の上では成長だった。強い国を目指す人たちは、金融緩和だけで数字上成長させようとしています。賢い国を目指す人は、生活の質を向上させようとします。
 「強い国」というスローガンに対抗できるスローガンは「賢い国」しかないですよ。

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