打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

10:Re: なだいなだの打てば響く (9月30日)転載
北極星 10/01 10:57
 中山国土交通大臣の辞任について書きます。といってもちょっとした感想。

 この人は世の中の基準からすれば、とても頭のいい人らしい。私立鹿児島ラサール高校を卒業し、現役で東大の法学部に入学、大蔵省に入省、キャリアーとして順調に出世、12年後には主計局主査という経歴を聞けば、だれでもそう思うのではないか。今の日本の常識ではそう判断される。土地の人から秀才と呼ばれたのだろう。

 頭のいいのはわかったが、今回のかれの行動を見ると、その秀才がどうなってしまったのか、首を傾げる。「バカじゃなかろうか」と思う。断っておくが『バカ』という言葉は文化に根付いたことばなので、差別語だなどと言って、言葉狩りの対象にしないでほしい。かつて、この言葉は「バッカじゃなかろうか」と発音して、ギャグとして大流行したこともある。

 ともかく、常識があれば、「自分が、こういうことを言えば、マスコミがその言葉をとらえ、どのように報道し、その結果、どんな騒動が巻き起こるか」ぐらい分かるだろう。そして、常識を持っていれば、自分の党が今どんな状況に置かれているかも分かるだろう。そして自分の発言が、自分の属する党や、自分を大臣として選んでくれた首相に、どんな打撃を与えるかも分かるだろう。しかし、かれには、どうもその常識がなかったようなのだ。日本語では、常識を持たない人間を『バカ』という。おそらく自民党の仲間たちは「あいつはバカだ」とか「大バカものだ」とかつぶやいているのだろう。

 ラサール高校と東大の教育が「常識のないバカ」をつくったのか、それともキャリアーとしての大蔵省のエリート意識が、それをつくったのか、政治家として、先生先生などと言われているうちに、常識がなくなって『バカ』になった
のか、そのどれかか、その全部か、であろう。こういう常識のない人が、かつては文部科学大臣をつとめ、さまざまな教育改革を提案してきたことを考えると、暗澹たる気分になる。日本が変になってきたはずだ。

 ぼくが常識人だったら、こう考えるだろう。ところがぼくは常識人ではないので、暗澹とした気分にはならない。ぼくは日本全体に、秀才とは何か、教育とは何か、バカとは何か、を身を以て教えてくれたかれに感謝した。

 かれは日本の戦後教育が悪かったと考えているらしいが、それには同意する。この大臣こそ、戦後教育の欠陥のよい証明だ。戦後の文部省の指導した教育は、進学のための教育ばかりで、常識を与えてこなかった。秀才ほど、常識がない。そういう結果をもたらした。

 自民党の人達も、このぼくの意見には同意してくれるだろう。

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