11:Re: 老人党メルマガ(225) 北極星 06/29 06:34 roujintou-news ::: 老人党メルマガ(225) ::: 2008/6/29 ======================================================================= 【2386】首相の言葉の“重み” pierre 【読者投稿】世界の子どもたちにきれいな水を 鍋谷 浩吉 【2375】死刑廃止論者に問う/死に神論争 e-seigi 【2384】Re: 死刑廃止論者に問う/死に神論争 J.I 【2385】Re: 死刑廃止論者に問う/死に神論争 ひまじん 【2377】Re: プライドで安全は守れない 鋼の飯屋 【2395】枯れ葉マークについて再度提起したい がっちゃまん ======================================================================= 【2386】首相の言葉の“重み” pierre 2008-6-25 17:21 去る6月23日、首相の発言が気になった。その第1は、その日、通常国会閉幕にあたっての記者会見である。 「衆院解散・総選挙」について聞かれた首相は次のように答えたという。 「政治情勢が変わったら解散すべきだという意見もあるが、政策課題は山ほどあり、解散している場合なのかいつも自問自答している。まずは政策を実行し国民生活に迷惑をかけないことが、私の責任だと考えている」。(『日本経済新聞』2008.06.24.朝刊) この発言をその字面通りに解釈すれば、やるべき課題が山積しているから解散などしている暇はない、と言っているのである。しかし、衆院の解散・総選挙は「暇があるから」やるものではあるまい。むしろ、重要な政策課題が山積している政治的に重要な時期だからこそ、解散して民意に聞くべきなのではないか。今の衆院が表現する「民意」は、2005年秋の総選挙の結果であり、それから2年後の2007年には、参院選で民意はまったく逆の方向を向いているのである。 しかも、福田政権は一度も選挙の洗礼を受けていない。そういうときに山積する課題があればあるほど、民意に聞くべきなのではないか。われわれ有権者から見れば、総選挙とはそれほど重大な政治的な行為であることを、忘れて貰っては困るのである。 第2の発言は、沖縄慰霊の日での首相挨拶である。それにはこうある。 「沖縄戦では、20万人もの方々の命が奪われた。多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち。子どもの無事を願いつつ命を落とした父や母たち。私は、無念にも散って行かれた人々の思いを、今の政治に反映する責務を負っている。戦没者の方々のその思いを、平和の尊さの礎として、大切に引き継いでいく。……我が国は再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。 世界の平和と発展に貢献する『平和協力国家』として、国際社会において責任ある役割を果たしていく。 再び美しいでいごの花を、つらい記憶を呼び起こす花にはしない」。(『毎日JP』 2008.06.24.) 沖縄戦の犠牲者は、首相は20万人と言うが、日本人だけでも正確には225千人に達しており、しかもそのうち一般の県民が約15万人で、日本軍将兵の倍以上である。これは、そもそも勝算が乏しい戦いに沖縄を引きずり込み、しかも死ぬまで降伏を許さなかった当時の日本政府・軍の責任に他ならない。 そういう沖縄戦の本質に思いを致せば、集団自決についての日本軍の関与を否定するような教科書検定が罷り通るはずがない。しかし、首相の挨拶にはこれについて一切言及がない。これでは挨拶に込められた“決意”が信じ難いのである。 首相の発言には、本来は、もっと重みが欲しい。その重みとは、聞くものに何らか訴えるものが含まれているということである。そういう観点でこの2つの首相発言を聞くと、いずれもそれが感じ取れない。前者には解散などしたくないという本心が見え見えだし、後者は当たり障りのないことを列ねて本音をぼかしているのではないか。 昔、吉田茂首相は防衛大学校の初の卒業生に、「君たちが日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい」という異例のエールを送ったという。 そして理と情がこもる直言は半世紀を経てなお語り継がれているという話を仄聞したが、首相たるもの、年に1度くらい、このくらい気の利いたことを口にできないものだろうか。 ----------------------------------------- 【読者投稿】世界の子どもたちにきれいな水を 鍋谷 浩吉 08/6/28 19:57 私たち『湘南連帯』は、財団法人 日本ユニセフ協会の支援にも微力ですが、取り組んでおります。 季節は梅雨のまっただ中、傘が手放せない日々が続いています。 そんな私たちには、なんとも想像しにくいことですが、世界には水を手に入れることさえも困難な人がたくさんいます。 そこで今日は、生きていくために欠かせない「水」について、少し一緒に考えてみていただけませんか? ここ日本では蛇口をひねるだけで、簡単にきれいな水が出てきて、いつでも好きなだけ、飲んだり、洗ったり、浴びたりすることができます。皆さまの中には、健康へのこだわりから浄水器をつけたりミネラルウォーターをご利用の方も多いのではないでしょうか? でも、世界に目を向けると、まだまだきれいな水を利用することが難しい地域がたくさんあります。 干ばつが続くエチオピアやケニアなどでは、干からびた池や川底の泥まじりの水を飲むしかありません。 バングラデシュやハイチでは、洪水によって汚れた水のためにコレラや赤痢の脅威にさらされています。 世界ではこのような汚れた水が原因で1日4100人、年間150万人もの幼い命が失われています。 「すべての子どもたちにきれいな水を届けたい。」 ユニセフは世界中でコミュニティと協力して井戸の設置に取り組んでいます。 井戸ができると下痢によって命を落とす子どもたちは著しく減ります。 しかも、井戸の効果はそれだけにとどまりません。 多くの地域で、水汲みは子どもや女性たちの仕事です。遠くまで水汲みに行かなくてよくなったことで時間的な余裕がうまれ、子どもたちは学校に通えるようになり、女性たちは仕事ができるようになります。 井戸はきれいな水だけでなく、たくさんの希望や明るい未来をもたらしてくれるのです。 http://www.unicef.or.jp/special/water/index.html ----------------------------------------- 【2375】死刑廃止論者に問う/死に神論争 e-seigi 2008-6-23 9:55 自民党の鳩山邦夫大臣に対して、朝日新聞がコラムで「死に神」と呼んだ事で、論争になっている。 彼にはあまり敬意を表すべきと思っていないが、この件に関しては正しい事をしてると思う。 死刑と言う法律があり、その担当責任者としては当然の処置である。 宮崎勤やその他に、人間とはとても思えない連中に、いつまでタダ飯を食わせておくのが良いのだろう。 死刑にしないで、どうするつもりなのか、死刑廃止論者にお聞きしたい。 ----------------------------------------- 【2384】Re: 死刑廃止論者に問う/死に神論争 J.I 2008-6-25 3:32 難しい「問題」ですね。被害者の立場になれば「死をもって報いさせる」・は当然でしょうし、 一方、国家権力で「殺人」をするのか・とか、冤罪であったら、とか・・「終身刑の可否」もあるし・・ もしかすると何時までたってもきりがつけられない問題かも・と思います。ただ日本の法律で決められて いる以上、鳩山法相を「死神」呼ばわりはかなり「おかしい」としか言いようがないでしょう。 これに対する朝日新聞の対応も「なんかなあ」と思います。 ----------------------------------------- 【2385】Re: 死刑廃止論者に問う/死に神論争 ひまじん 2008-6-25 10:21 人が人を裁くのですから、難しいのは事実ですね でも、私は、重罪犯は別だと思います。 今回の朝日新聞のコラム「素粒子」で、自民党の鳩山邦夫法務大臣に対して「死に神」と掲載されたと知りまして驚いて居ります。 朝日新聞は購読しておりませんのでコラム「素粒子」なるコラムがどのような姿勢でこれまで掲載されて来たか判りませんが、国の法務大臣を法律で決められた死刑執行をして来たこと(過去の法務大臣は死刑囚執行の印は押したがらないと聞いておりますが?)に対する朝日新聞の「死に神」論ですかね? 朝日新聞広報部は「素粒子」は世の中の様々な出来事を題材に、短い文章で辛口の批評をするコラムで鳩山氏や関係を中傷する全くありませんでした」と言っているようですが、2ヶ月間隔でゴーサインを出して新記録達成、またの名を死に神と表現したと聞きます。 自民党の鳩山邦夫法務大臣の反論にも朝日新聞はだんまりの様子と聞きますが? 中傷でなく「死に神」とは何をさして居るのでしょうか? 私には立派な「中傷」です。 朝日新聞を含めて普段から言論の唱える人達は、言論で答えるのが本来ではないでしょうか? 死刑の他にアメリカの様に「終身刑」も有るよ!と言う人もおりますが、終身刑も受刑者にとっては過酷だとの調査も出居ると聞きますが?ある意味では受刑者に取っては死刑より過酷なのかもしれません? ----------------------------------------- 【2377】Re: プライドで安全は守れない 鋼の飯屋 2008-6-23 15:31 はじめまして。 警察庁の統計データ http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm#koutsuu 65歳以上の交通事故(自動車運転中)件数 H 9年→約32,000件 H19年→約63,000件 ほぼ倍増です。ほかの年代と比べ上昇率はダントツです。 高齢者ドライバーと分かれば、道を譲る、車間を多めにとるなど、高齢者の運転しやすい環境を作ることができます。 しかし、目印になるものがないと、少しでもモタモタした車があれば後ろからクラクションというのが、日本の自動車社会です。悲しいことですが。 プライドなんかで人の命は守れません。人の命はもっと重いものです。自分の身は自分で守らなくてはいけません。 本当に自分の運転が適正な判断のもとに行われているのか、検査しましたか? 65歳以上の方の運転のほとんどが、思い込みによる運転を行い、いつ人身事故を起こしても不思議ではないという話を、先日自動車学校の先生から聞きました。 高齢者ドライバーに事故をさせない=周りが気を使って、事故を起こさせないようにする必要がある、ということです。 そのために、高齢者ドライバーと、そうでない方を『区別』するため、紅葉マークは必要です。 誰でも、どこでも、車が便利な道具であり続けるためには仕方のないことです。 追伸 もみじマーク義務化の前に、70歳以上の自動車免許取り上げが真剣に検討された時期がありました。 それを思えば、運転できるだけいいじゃないですか。 ----------------------------------------- 【2395】枯れ葉マークについて再度提起したい がっちゃまん 2008-6-28 16:11 いろいろご意見を頂き感謝します。 運転技術には年齢に関わらず、千差万別だと思います。障害者を含む歩行者に対する配慮は、運転者のマナーの問題だと思いますしたがって、年齢によって線をひくのは無理があり、人格に対する差別と言わざるをえません。 70歳以上には免許更新時の検査が義務づけられています。 では、その検査をもとに、あるレベルを定めマークの表示を義務付けることも、ひとつの方法と思いますが如何かな。 なにはともあれ、警察権力で、一方的に物事をきめるやり方はこの場合なじまないとおもいます。 次にある作曲家のコメントを紹介しておきます。 「これは大問題、個人の良識に官憲が土足で踏み込んできたこを意味しているからだ。こんなことは、市民革命を積み重ねてきた歴史をもつ欧米諸国では、絶対に通用しない」 ということは、日本には、まだ民主主義が生育していないということかな? 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