13:Re: 老人党メルマガ(206-1) 北極星 02/17 08:40 roujintou-news ::: 老人党メルマガ(206) ::: 2008/2/17 ========================================================================= 【952】老々介護の限界 Hirobay 【965】Re: ボランテアというのは k.satou 【970】Re: ボランテアというのは/誰にでもは出来ないのがボランティア Hirobay 【972】まずやってみて、ボランティア 珠 【940】沖縄米兵暴行事件 もぐら 【918】「一般財源化」はどうなったのか 二階自民党総務会長に問う pierre 【677】「現代の貧困」を考える 珠 【978】Re: 「現代の貧困」を考える GOKAI 【979】Re: 「現代の貧困」を考える 沈黙の初夏 【980】Re: 「現代の貧困」を考える rerere 【964】教えて下さい 一言居土 【973】Re: 老人党 川柳・狂歌 メルメル ========================================================================= 【952】老々介護の限界 Hirobay 2008-2-13 23:00 今日の夕刊に、90歳の夫が87歳の妻を殺害したと言う記事が載っていた(詳細は右のURLを参照):http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080213-OYT1T00305.htm 約3年前から寝たきりになっていた妻を夫が介護していたのだが、些細なことからカットして殺してしまったらしい。最近、このような「老々介護」(あるいは、家族介護)の行き詰まりからの事件が多発している。これは、家族による介護の限界を示していると思う。 北欧諸国では、高齢者の面倒をみる第一義的責任は、「家族」ではなく「社会」が負っている。家族は精神的にサポートする義務は負うが、金銭的・物質的に支える責任からは免除される。(例えば、右を参照:http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-85.html ところが、日本では、高齢者の世話を家族でみるのが「美徳」とされ、社会に任せるのは、「無責任」である、という風潮が支配的である。そのため、同じ高齢者の配偶者が介護したり、高齢者となった子供が後期高齢者の親の世話をしたり、といった「老々介護」が当然のように行われている。 しかし、最初に述べたような事件が多発する現状を鑑みると、日本でもそろそろ、社会で高齢者を支える、という体制作りが必要なのではなかろうか? 介護保険がその第一歩なのであろうが、すでに、財政面から行き詰まリつつあるように見える。健康な高齢者も含めた「社会」が、介護を必要とする高齢者を支える、という体制が一日も早く出来上がることを期待したい。 ------------------------------------ 【965】Re: ボランテアというのは k.satou 2008-2-15 8:54(編集) >障害者施設にブルーベリーの木を植えようというので ブッシュ系のが実つきがいいというので 見にいきついでに土壌は酸性でやれといわれ土壌検査も。OK。 自営のパン工房に実をいれ少しでも作業員として働く障害者の収入になるようにと願うサンタクロースを女性にしたような副園長に園芸部創設の提案書(少しは手伝わせようという目論見)を置いてきた。 ついでにトラクターの運転訓練も相棒に指導。 入園者が散歩にでかけるのに出会う。車組、徒歩組、まるで囚人の護送状態だ。 せっかくのいい天気なのに 嬉しそうにはみえない。 介護者は黙ってついていく。とっても疲れてるのが解かる。 事務室に入ると 怒号が遠くのほうで聞こえ目をつぶると私の好きな多摩動物公園にいるような錯覚さえなる。 親らしき人が 面会にきていた。身奇麗ではあるが歳をとってる。よく生きてる!とフラフラしてる。 こんな人たちからまで まだ金をとりあげようとするのか! 税金だ!守ってやるから!思いやり予算だ!と 一体守ってもらうようななにがあるというのだろう? ついでに義理チョコのお返しにと、パン工房の店でケーキを買ってきた。 障害者の作ったものだが(実際は大掛かりな施設であり)噂の餃子などの陰謀めいたことはない。 安心して 機会があったらこれらの人のものを召し上がってみてください。 ------------------------------------ 【970】Re: ボランテアというのは/誰にでもは出来ないのがボランティア Hirobay 2008-2-15 15:15 私が、「傾聴」というボランティアを始めてから満2年経ちました。 定年後、家でくすぶってホームページなどで遊んでいましたが、妻の薦めもあり、二人で「傾聴」ボランティア講座に出席して、その後、講座仲間とボランティア団体を立ち上げ、参加しているのです。月に3回くらい、特別擁護老人ホームやデイサービスセンターに出かけて、お話し相手をしています。 また、昨年から、「ふれあい囲碁」の講座に参加して、その後、講座仲間とボランティア団体を立ち上げました。こちらのほうは、まだ、3回くらいしか実践していませんが、小中学校や養護学校等に出かけて、親子やお年寄りを交えた世代間交流をはかるゲームで遊んでもらう、というボイランティアです。 私のささやかな経験から言うと、なにか「きっかけ」があれば、ボランティア活動に参加できると思います。自治体が主催しているボランティア講座に出席して、それをきっかけにする、というのはいかがでしょうか?(私の場合は、それがきっかけでした)。 今は、自治体がボランティアの養成に熱心に取り組んでいる、のではないでしょうか。私たち、健康老人が担い手となって、ボランティア活動の輪を広げられたら良いな、と思っています。 ------------------------------------ 【972】まずやってみて、ボランティア 珠 2008-2-16 13:27(編集) アフリカやアフガニスタンで、難民を助ける、医療を施す……本当に誰にでもできることではないですよね。 そう思います。じゃあ、そのボランティアの方々を支えることは出来ないか。できるんです。 そう、僅かでもいい、寄付をすること。お金がないなら、レターの発送など事務を手伝う。遠いところなら、使い済みの切手を切り取って送ること。そんなに難しくはないですよね。 http://www.ngo-jvc.net/vteam/cambodia/teleca/stamp.html 私の経験で言えば、初めて定期的なボランティアをしたのは「看護婦さんの手が足りず、入院の高齢者の食事をお嫁さんが食べさせなくてはならなくて、毎日通ってくたくただから週2日だけでいいから替わって」と頼まれたから。育児仲間3人で子供を預かりあって回したから、月に3回だけ。ついでにその病棟で、家族が来にくい人の洗濯や買い物をしました。 それが、その病院でのベッドサイド・ボランティアの始まりになりました。目の見えなくなった方の口述筆記や、忙しい看護婦さんがなかなかできない「ゆっくり話し相手」(今思えば、山川さんの傾聴ボランティアですね)にも。口が利けない方とは「あいうえお表」を指して、瞬きで会話をして「娘が成人式」と教えてくださった。「おめでとう、よかったね〜」というと、とても嬉しそうに笑ったお顔が忘れられない。たくさんの出会いと、そして別れの日々でした。 3人がそれぞれの事情で出来なくなったとき、せっかく始めたのに途絶えてしまう、どうしようかと悩んでいたら、雑誌の投稿で見つけた「ボランティア・スクール」の記事。電話をしたら卒業生達がその病院に来てくださることになり、30年近く続いています。 こんなささやかなボランティアもあります。高齢社会になった今、いくらかでも元気な高齢者が、弱ってこられた高齢者を支える社会にしないと…と思うこの頃です。 ------------------------------------ 【940】沖縄米兵暴行事件 もぐら 2008-2-12 22:33 沖縄でまた米兵による女性への暴行事件が起きました。 13年前にも同様の事件が起き、二度と繰り返さないと誓っておきながらまた起きたのだから、米軍に対してはもうペナルティーを課すべきですね。例えば米兵を10%削減するとか、思いやり予算を20%削減するとか。 いまさら再発防止を徹底しろなんて言ってもむなしすぎる。沖縄では次に同様の事件が起きたら米軍撤退だという声が上がっているようですが、まったくその通り。 事件が起きてすぐ、米軍が「米軍の気持ちは被害者の気持ちと共にある」みたいなことを言いましたが、この発言はまあいいと思います。しかし、そう言うなら被害者に対し十分な補償をすべき。言葉だけそう言っても意味なし。 それにしてもこの言葉は政府にも言ってもらいたいです。でも政府は「遺憾」しか言わないんだよなあ。 ------------------------------------ 【918】「一般財源化」はどうなったのか 二階自民党総務会長に問う pierre 2008-2-11 16:16 自民党の二階総務会長は、一昨日の新聞で「暫定税率を廃止すれば、行き着くところは、未開通の道路はほとんど整備の見込みが立たなくなる。交通量の多いところから順番に整備していくことを、地方の我々は不承不承ながら容認してきた。 我慢してきたわけですよ」と記者に語り、暫定税率の堅持、道路特定財源の死守を広言した (『朝日新聞』2008.02.09.朝刊)。 しかし、本当に地方は道路が不足しているだろうか。旅行で地方に行くと車は少ないのに道路がよく整備されているのにお目にかかることが多い。そう思いながらネットを漁っていたら、社団法人日本道路協会の出している『2005年世界の道路統計』(2007年3月公表でこれが最新)という資料が見つかった。 それを見ると、国土面積1平方qあたりの道路密度は3.16kmで、主要国中オランダ3.72kmについで2位であり、日本の次はスイスの1.78kmで、日本はかなりの高水準である。これは全道路が対象だが、高速道路と一般国道からなる主要幹線道路でも道路密度は1,000平方qあたり163.1kmで主要国中イタリアの174.9kmについで2位である。 つまり、国土面積あたりで考えると日本は既に十分な道路を持っているのである。 さらに道路投資額を見ると、日本は7兆7,760億円で、国土面積の広大な中国28兆3,052億円、アメリカ15兆3,566億円に次いで3位である。日本の次はフランスの3兆2,998億円であり、日本の道路投資額もまたかなりの規模である。 つまり、こういう数字を見ていると、地方をたまに歩いて感じたことが裏づけられるし、二階氏の言い分が正直言ってシックリこない。 すでにこれだけの道路を保有し、さらに高水準の道路投資を続けているにもかかわらず、二階氏が言うように「地方が我慢」しているというのであれば、これまでの道路はよほど効率の悪い投資を続けてきたことになるのではないか。 道路特定財源はそのスタートの頃、わずか70万台の車が前提であった。 しかし同じ資料によれば、今や我が国の車保有台数は7,488万台に達し、貨物輸送の58%、旅客輸送の71%を道路が担っているのである。二階氏は「道路に使うためだけに集めた税金を、どこにでも使うということがまかり通れば、第一に政治の信頼性を失いますよ」 と言うが、今やこの税金は車を持っている人だけが負担するものではなく、それは物流や旅客輸送のコストに含まれて全国民が負担しているのである。だから、かっては車を使う人の受益者負担という存在だったが、今や幅広い大衆課税になっているのではないか。最早、「道路に使うためだけに集めた税金」などと言うとらえ方は実態にそぐわない。 二階氏は「道路利権」を否定したが、われわれ一般国民から見ると、特定財源で守られ、決まった工事量が確保されるのだから、それはまさに「利権」に他ならない。「地方の要望を伝えることは利権でも何でもありませんよ」と言うけれど、その結果が非効率な道路投資だったとしたら、それは「利権」としか言い様がないではないか。 道路財源の一般財源化は、小泉政権の「聖域なき構造改革」の目玉だったはずである。二階氏の発言を聞いていると、それは消えてどこかへ行ってしまったように見えるのである。 自民党も国民政党を標榜するなら、いつまでも田中角栄の手のひらで躍るのではなく、自分の頭でモノを考える政治をやって貰いたいのである。 |