18:打てば響く 2009年6月1日分 転載 ビートル 06/01 19:54 ---------------- 6月1日 これから、何度も繰り返していう 八十歳の誕生日まであと八日に迫った。そこで過去を振り返り、未来を見ることにする。 ぼくは中学生のときに、生意気な生徒だった。誰にだって議論を吹っかけた。校長にも質問した。校長は弁護士出身の細川という人だった。 「先生、数学では単位が同じものでなければ、足して総数を割っても平均にはならないと教えます。先生の給与の平均は、四十人の先生のもらっている給与を足して、四十で割れば給与の平均が出ますが、あるものの給与と別のものの体重とまた別のものの給与とを足して、先生の総数で割っても、平均にはなりません。牛と豚とニワトリの数を足して、家畜の平均頭数を出す のは無意味です。それなのにどうして算数と国語と英語の点数を足して割って、平均点といえるのでしょう。そもそも数学的には足してはいけないものです。その平均点で生徒の順位をつけるというのは、ますますもってけしからぬことです。ぼくのいうことは、間違ってはいますか」 ぼくの中学では学年末、試験得点に基づいた学年全体の順位を、みなの見えるところに(いや、皆に見せるためにだ)張り出すのが習慣だった。 細川校長は、生意気な生徒の面会の要求を受け入れ、校長室で一対一で話を聞いてくれた点で、今になって考えると、立派な人だったと思う。少なくともその一点では。そしてぼくに答えた。 「おまえは正しい」 これもなかなか勇気のある返事だったと思う。 「では、即刻、止めましょう。試験の後平均点を出すこと、それに基づいて順位を決めることを」 だが、校長は、それはできないといった。 「なぜでしょうか」 「長い習慣だからだ」 「誤りに基づいた習慣は、陋習というものだと国語で習いました。陋習は改めるべきだと昔の人もいっています」 「世の中の学校全体がやっていることを、うちだけ止めることはできない」 「やりましょう。やったら、世の中の陋習を破った日本最初の中学という名誉は、わが中学のものとなります」 だが、それはできない、と校長ははっきりいった。 「おまえはまだ世の中を知らん。世の中の間違いを直すのは、お前の考えている以上にむずかしいことだ」 ぼくは、その辺で引き下がった。なぜだかよく思い出せない。このことは「クレージードクターの回想」という本の中に書いた。今書いたのと正確に同じ言葉によってではないが。いわばヴァージョン違いといっていい。 世の中の間違いを変えることが、校長のいったようにむずかしいことは、これまで生きてきてよく分かった。だが、今、思う。これは変えねばならぬ。死ぬまでに、この世の中の誤りだけは正したい。センター試験などによって、無意味な順位がつけられ、そのトップがエリートとして世の中を支配する国では、本来多様である人間の価値が認められなくなっても当然である。 最低でも、ぼくは文部大臣に、平均点で順位をつけることの数学的正統性の有無の討論をして、返事をもらいたい。これからの日々をそれに賭けよう。しつこく、何度も迫っていくつもりだ。だれか、ぼくに手を貸してくれないか。 今の大臣など、阿呆の集りではないかと思うが、一人、東大の一番むずかしいといわれる学部を、主席(一番)で卒業した大臣がいるそうだ。その大臣に、答えてもらってもいい。 |