34:打てば響く 2012年2月20日分転載 ビートル 02/20 19:22 なだいなだのサロン「打てば響く」2012年2月20日分を転載します。 −−−−−−−−−−−−−−−−− 2月20日 感想です。 最近の日本における出来事を見ながら、82歳の老人として、感想を書きます。 橋下大阪市長と維新の会の勢いが止まりません。かれは確かに大衆受けする存在です。かれなら、なにかやってくれるのではないか、と現在の霞が関の政治家に絶望感を抱く人たちは、大阪に目を向けたくなります。「大阪都を」という主張は、大阪府より、大阪市の方が存在感がある現状では、一体化によって行政の簡素化になるのは確実だから、きっと税金が安くなるだろうという期待を抱かせます。しかし、そこまではいいとして、勢いに乗って、国政にまで、乗り出してきたときの、かれが(若いので必ず自分から出なくても、担ぎ出されて登場する場面があるかもしれない)どのような国あるいは社会のあり方を目指すのか、不安を抱く人もいるでしょう。 こういう時、老人は思い出します。これが老人の強みです。いたずらに恐怖心も抱かなければ、期待も抱かない。つまり比較的冷静に見られるのです。 もちろん危険も目に入ります。たとえば橋下市長のもとに集まる人たちの会の名前です。「維新の会」だそうです。この維新という言葉、明治維新が有名ですが、ぼくの耳には、同時に昭和維新という言葉も反響します。昭和維新は昭和の軍部若手の将校たちが、社会を改革しようと志した時に、自分たちの行動目的として掲げた言葉です。左翼の革命をあえて避けて用いた言葉です。そして、かれらは挫折し、挫折させた人々が、この言葉の魔力を引き継いで、日本を戦争に引っ張っていきました。その時のことを生々しく記憶するのが老人党世代です。 ぼくは軍隊の学校に行きましたが、この言葉を何度聞かされたことか。それによって生まれたイメージがあり、それに対するこころの中の反発があります。自分では、自分の運動をそう名付けようなどという発想は、持てません。こころの中に抵抗感があってつぶされてしまいます。到底使う気になりません。 使っている人たちが、あの時代について無知であることも危惧します。知らなければ、警戒心もわかないでしょう。かれらが力を得た後に、登場してくる勢力を、どうしても危惧してしまいます。 今日はここまでとします。 そのほか、戦後に急速に勢力を伸ばした政治勢力についての思い出話というか、歴史的回顧は、(フランスのプジャーディスト運動や、ル・ペンの国民戦線運動などの、公明党も含め)連載などの一仕事を終えた後に書きます。それまで少し待ってください。 ぼくの体調は、心配ありません。心配してくれる人に、心配して損したといわれるほど、少なくとも見た目には元気いっぱいです。 |