老人党メルマガ(500)

25:老人党メルマガ(525)
 05/26 21:15
 roujintou-news  ::: 老人党メルマガ(525) ::: 2014-5-25  北極星
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【24147】なだいなださんの  『常識哲学』 が出版されました     珠
【24222】吉田調書 消されないうちにお読みください         珠
【24105】原発ゼロのコストと、負担配分について教えて下さい    春うらら
【24107】Re:原発ゼロのコストと、負担配分について教えて下さい   Gokai
【24113】Re:原発ゼロへのフィージブル(実現可能な)プランとは?  ばっかす
【24238】大飯原発は稼働させてはならないとの司法判断~司法方針の質的大転換
ばっかす
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【24147】なだいなださんの 『常識哲学』 が出版されました  珠 (編集時刻)
2014-5-21 12:10

筑摩書房から、なだいなださんの『常識哲学』が出版されました。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480843036/
http://www.amazon.co.jp/dp/4480843035

「常識哲学」は、晩年のなださんが「ずっと気になっているテーマをまとめたい」と、筑摩書房の編集者さんにお話しされて、執筆を進めていたのですが、残念ながら中断されてしまいました。

しかし、「常識哲学」をテーマにした講演会の草稿が2本残っており、「打てば響く」からの抜粋も含めて、1冊にしたものです。

長女の由希さんが、お父様への思いを込めて、そのテーマを受け止めようと辿り着いたところ…、
「娘からのひとこと」は、ご家族から見た、なださんの切実な姿と相まって、胸を打ちまます。
正直に申せば、なださんとしては、きっと書き足りなかったでしょうし、ご自身で磨きも掛けられなかったのですが、
なだいなださんからの「最後のメッセージ」として、お読みいただければ幸いです。
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【24222】吉田調書 消されないうちにお読みください  珠 2014-5-23
19:06(編集)

事故当時の福島第一原発所長 吉田氏の調書です。誠実に語っておられます。
当時の凄まじい大変さ、そこで必死で頑張られた方々に頭が下がります。サイトをクリックしてお読みください。

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【24105】原発ゼロのコストと、負担配分について教えて下さい 春うらら
2014-5-18 8:30

●春うららさんにどんな具体策が有るのか楽しみにしていましたが、脱原発グループや学者等が言っている事ばかり、がっかりしました。なぜがっかりするのか理由を教えてください。物事を実現するには出来るだけ多くの人が納得し・賛成する事が大事だと思いますので他の多くの人と同じプランであるってことは、とても良い事ではないでしょうか?

それと、私は寡聞にして“脱原発グループや学者等”を知りませんので
原発ゼロのコストの算出結果
税金、債権放棄、電気料金の割合
等に関して、彼らの主流的主張はどのようになっているのか教えてください
Gokai様は「全額を赤字国債で賄う」と言うプラン。バッカス様は「東電国有化で」→国鉄清算会社みたいな形かな?

●それらの事を安部自民党は無視をして、原発再稼動にまっしぐらです
相変わらずのヘイストスピーチですね。貴殿のそのヘイストスピーチこそが、原発ゼロへの最大の障害なんです。
日本国民の嫌悪度は   原発 <<<<< 反原発運動家 なんです。
原発は嫌だけど、反原発を利用して勢力拡大を狙う政治勢力の方がもっともっと100万倍ぐらい嫌いなんですよ。

浜岡を止めた菅氏を引きずり降ろしたのが、小澤氏でしたよね。その結果、次の野田氏は大飯再稼働させましたよ。
安部政権下で再び大飯は停止し、原発ゼロ状態を維持しています。

大多数の有権者は、大飯再稼働の民主党に原発ゼロが出来るとは考えていません。小澤氏に至っては、彼が原発ゼロを目指しているとは、全く考えていません だから選挙で民主・生活はぼろ負けし、ぼろ負けが続いているのです。
貴殿も都知事選、大阪市長選、衆院鹿児島で“反原発候補”が勝てなかったのはご存じの筈です。
ビジネスで言えば、これだけ負け続けているのは自分達が間違っている→Plan , Do and See で改善・改良を模索する筈です。

●それに原発を輸出するなんて安部自民党だけでなく賛成した国会議員たちは頭がおかしいと思います。
誠に申し訳ありませんが 貴殿の口汚い罵倒の文章を読んで → そうだ、そうだと賛同する人は1%以下
逆に“ああ、この人たちは単なるアンチ自民党なんだ”と、貴殿の主張に反対する人が50%超となるでしょう。

●「美味しんぼ騒動」と「福島の放射線量」「原発ゼロ」は関係ない事はなくみんな放射線の話でひとつです
"ごっこ"の人にとってはそうでしょうね。騒いで、その騒ぎを楽しんで” 無償で自腹を払っている“を自慢したいだけですから。原発ゼロは金銭の話です。現在の状態を維持するためのコストを算出し→多数が納得する・合意する負担方法を考える。
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【24107】Re: 原発ゼロのコストと、負担配分について教えて下さい   Gokai
2014-5-18 9:18
 ▼春うららさん:こんにちは。

>Gokai様は、全額を赤字国債で賄う、と言うプラン。バッカス様は、東電国有化で → 国鉄清算会社みたいな形かな?
>浜岡を止めた菅氏を引きずり降ろしたのが、小澤氏でしたよね。その結果、次の野田氏は大飯再稼働させましたよ。

野田民主党から袂をわかったのが小沢さんでしたから、野田氏の原発再稼動は小沢さんとは無関係ですね。
基本的な部分でのご認識は正確にお願いします。

>小澤氏に至っては、彼が原発ゼロを目指しているとは、全く考えていません

何故でしょうか? 彼が嘘をついていると、またまた思っておられるということですか?

>だから選挙で民主・生活はぼろ負けし、ぼろ負けが続いているのです。

小沢さんは無実の罪で検察審査会にかけられたわけですから、国民が誤解したと考えられなくもないので貴方の出された結論は妄想に近いのでは?
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【24113】Re:原発ゼロへのフィージブル(実現可能な)プランとは?   ばっかす
2014-5-19 10:42 (編集)

▼Gokaiさん:こんにちは。ご意見ありがとうございます。
(編集中です)
先ずは全体を拝見し(↓)、総じて賛同いたします。

>小沢亀井連立政権ができたとして期待していたのは、脱原発を全て国家予算でまかなう、もちろん赤字国債が財源です。
>このまま核燃料を燃やし続けると使用済み核燃料の最終処理に膨大な費用がかかる。これは得られるエネルギー以上かもしれない。(沈黙の初夏さんがおられればアドバイスあるかもですが、私ではかもしれないレベルのコメント)

>ところが未使用の核燃料なら売却可能。あるいは分解でも良い。
>なのでどのように費用がかかろうと、実験用を除き、今すぐ原発ゼロに向かうべきでしょう。
>国民が原発廃止費用を電気料金で払えば、輸出競争に負けますが、国家予算で払えば、その不利を甘受しなくても良い。
>(1)国家予算で原発ゼロも国民が払うこと、(2)電気料金で原発ゼロも国民が払うこと
>
>
>に違いはありませんが、このような違いが生まれます。だったら、(1)を行う方が得策と思われます。

以下、頂戴した貴殿のご意見に、自分の観点での意見を付記させて頂きます。

>小沢亀井連立政権ができたとして期待していたのは、
>脱原発を全て国家予算でまかなう、もちろん赤字国債が財源です。

原発は、国策による事実上の国営であると言えるので、国策を脱原発に転換するのであれば、原則的にその費用は国家予算で賄う、となります。繰り返しになりますが、原発の推進は、
1) 事実上の国策、2)総括原価方式、3)保険概念の適用除外、これらの3つにより可能となっていたので、脱原発ではこれらの要件(=必要条件)を逐次リセットしていく、・・・★ というのが、私の考える手順です。
従って、ご指摘の国費投入を可能にする上ではまず、原発の国有化、しかる後に、減損その他のための税金投入と考えます。

補足:
a)原発推進を国策で行ってきたが、その意思決定は民間(電力会社)で行いそれに委ねるという形式。これだと国は直接的な責任を回避できる。つまり、直接的に民業に国は介入できないというスキームのもとで国策を推進してきたわけだから、それにリセットをかけるには、原発を国有化する、となる。

b)原発の国有化には、推進派も反対できない。国有化というスキーム自体が中立的であるから。
c)国有化するという場合、その論議の過程で原発の是非が問われ、そして、国政選挙の都度、その是非が問われる。国有であれば有権者への説明責任を伴い、電力会社を批判の盾にできなくなる。

d)逆に原発を維持するというのであれば、維持する理由を国が有権者に説明し、その審判を仰げるようにし、かつ責任の所在を曖昧にしたままでいないことが必要条件。責任逃れのきくスキームのままでは甘さが生じるから。

>このまま核燃料を燃やし続けると使用済み核燃料の最終処理に膨大な費用がかかる。これは得られるエネルギー以上かもしれない。(沈黙の初夏さんがおられればアドバイスあるかもですが、私ではかもしれないレベルのコメント)
>ところが未使用の核燃料なら売却可能。あるいは分解でも良い。

上記★の観点では、電力会社が原発を推進したくなる経済的動機が総括的原価方式でした。
総括原価方式では、事業性資産にスプレッドを掛けて利益を確定させ、電気料金の認可を得るけれど、
その方式では事業性資産が大きければ大きいほどよい。
そしてその事業性資産を膨らませる打ち出の小槌がまさに原発。バランスシート上に設備と核燃料がドンとのってくるから。

問題なのは、バランスシートが膨らめば膨らむほど利益が保証されるなら、それを膨らませようとするモチベーションが上がりっぱなしになるのは当然で、本来は事故が起きる場合のリスクを鑑みればブレーキがかかるところなのに、保険概念の適用を除外しているから、モチベーションに歯止めがかからない。

であるから、ご指摘のようにその資産を売却して事業性資産の規模を縮小することが肝要。持論では、電力会社から一挙に原発の事業性資産をオフバランスしてしまう国有化となります。

>なのでどのように費用がかかろうと、実験用を除き、今すぐ原発ゼロに向かうべきでしょう。

若干、意見の相違がある箇所かもしれません。原発が他のエネルギー源に比べ唯一の長所があるとすれば、中東での戦争に強いということなので、安全保障上の非常用電源という位置付けで観ています。
ー   通常稼働に位置付けるなら、相応の相当に高いハードルをクリアしてもらわないことには。上記の★1)-3)のスキームに事業者や国が安住しているようでは駄目でしょう。

>国民が原発廃止費用を電気料金で払えば、輸出競争に負けますが、国家予算で払えば、その不利を甘受しなくても良い。

>(1)国家予算で原発ゼロも国民が払うこと、
>(2)電気料金で原発ゼロも国民が払うこと
>に違いはありませんが、このような違いが生まれます。
>だったら、(1)を行う方が得策と思われます。 (編集中です)
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【24238】大飯原発は稼働させてはならないとの司法判断~司法方針の質的大転換 
ばっかす 2014-5-24 10:47 (編集)

極めて重要なニュースフロー。大飯原発は稼働させてはならないとの司法判断(↓)。


http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S11148532.html?_requesturl=sp/articles/DA3S11148532.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11148532
(朝日、「・・大飯原発差し止め判決」、2014/05/22)

ある意味では、当然な司法判断である。
ー  判決には合理性があるので、それを支持/賛同しうるものであるし、同時に、司法方針の質的な転換がなされていて、その影響力を含め重要な結果である。

上記の記事中には、裁判の過程の概要が記されているが、大きなポイントは、
1)旧態然とした関西電力のぐだぐだぶり(呆れる。記事等を参照のこと)
2)安全性に論点を絞っての福井地裁のスピード審理、
3)司法判断の在り方(=司法方針の質的大転換)、となる。

差し止めの判断が、ある意味で当然と言えるのは、1)の関電のぐだぐだぶり。駄目だな、それでは。
法廷戦術という狭い観点では関電の弁護団の手法は彼らにとっての常識/フォーマットなのだろうが、大局的に何が求められているのかと言えば、当該原発の安全性が信頼を置くに足りるかどうか、ということに尽きる。

関電側の消極的な情報開示や審理への非協力的態度は、自らの主張への信頼性を損ねている。
説明や論証を通じての合理的説得に失敗している、・・・★1
それが1)なのである。

対するに2)の福井地裁側の視点と行動であるが、大局的に何が求められているのかと言えば、同じく当該原発の安全性が信頼を置くに足りるかどうかなのであるから、論点を安全性基準に絞り、(視点の設定) 迅速な審理を促すという行動は、いずれも合理的である。設定しているのは科学的に合理的な判断の場である。・・・★2

2)は3)の司法方針の「質的な転換」に密に結びついている。地元紙の報道にそれは詳しい(↓)。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/50579.html
(福井新聞、「・・司法の姿勢転換点か、福島原発事故後、審理に改革論」、2014/05/23)


ー  単に一地方裁判所の一裁判長の判断ではなく、最高裁レベルからの審理改革論が底流にあることが見てとれる。

筆者(=ばっかす)の見るところ、
司法が設定してきているのは、科学的論争もしくは合理的な説得を試み戦わせる場としての法廷である。・・・★3
従来、原発訴訟では、司法側がそのようには法廷を設定していないから、

手続き論に終始し、原告側も被告側も法廷闘争に終始するかそうせざるを得なかった。


ー  原告側の感情的反原発と被告側の政治的原発推進とのせめぎ合いが重ねられてきたと言えるだろう。
今回の地裁判断は、司法の舞台が質的に転換し(★2、★3)、それに被告側がついて来ることができなかった(★1)、そうした最初の事例であると観る。

科学的論争と合理的説得の場としての法廷を設定する以上、

そこでの判断/判決が科学的に合理的か否かの内容は世論や上告を通じて問われ続ける。


ー  司法自体がその判断の合理性についての批判に曝されるわけだ。従来はそこに踏み込むことを司法全体が組織的に避けてきたから、その方針転換は画期性があると言ってよいだろう。

感情的満足、政治的説得から、合理的説得へ、・・・★★
それが正しい在り方であるから、(私見)今回の司法判断には、大きな価値があると観ている。

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