打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

37:打てば響く 2012年6月6日分 転載
ビートル 06/07 20:48
 なだいなだのサロンのコラム『打てば響く』2012年6月6日分の転載です。

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6月6日 オランド新フランス大統領就任の感想

 フランスの大統領選挙は、オランドの当選で終わった。
 オランドってだれ?フランスの社会党には、ユダヤ系のフランス人が多い。DSKことドミニク・ストロス・カーンがそうだ。元蔵相、IMF前専務理事で、有力大統領候補と目されていたが、セックススキャンダルで辞職した。それが間接的にオランド大統領に繋がった。DSKがコケたから、オランドが急浮上したのだ。外務大臣に就任したファビウス元首相もユダヤ系。保守のサルコジ前大統領もそうだった。サルコジと同じ党で、現幹事長のフランソワ・コぺもユダヤ系。ルーマニアからの移民でもある。サルコジはハンガリーからの移民である。今回は、ユダヤ系とユダヤ系の候補者の決選投票ということになったわけだ。新しい移民のユダヤ系と、フランスに何世代も前から住み着いているユダヤ系との戦いだ。DSKが候補だったとしても、ユダヤ系同士の対決ということになっていた。次の大統領選挙で自分の出番を狙っているコぺが、オランドに挑戦すれば、またユダヤ系対決になる。
 政治家以外にもフランスにはユダヤ人が多い。哲学者にも作家にも、ユダヤ人は多い。ベルナール・アンリ・レヴィーもそうだし、レヴィー・ストロースもそうだ。レヴィー・ストロースとベルナール・アンリ・レヴィーを並べたくないが。こうして、だれがユダヤ人というかユダヤ系というか、名を挙げているうちに、ユダヤ人があまりに多くて、ユダヤ人ということは、人ということに変わらないことに気がついた。
 人にいろいろあるように、ユダヤ人にもいろいろあるのだ。ともかく、今回のフランス大統領選挙はユダヤ人とユダヤ人との争いだっということになる。だが、この二人には仲間意識はないらしい。当選してからの引き継ぎも、実にそっけなかった。
 オランドという名前は、パリに亡命していたハインリッヒハイネ(かれもユダヤ人だ)の書いたものの中に出てくる。当時の銀行家で、資産家で、同時にアナーキストのサポーターだったということだ。ま、パリではマルクスがその後活躍するようになる時代だ。ぼくはオランドはこの銀行家の直接の子孫かと思ったが、遠い祖先にそういう人がいた、という程度の関係はあるかもしれない。はっきりしているのは、直接のかれの父親は耳鼻咽喉科の医者で、母親はソーシャルワーカーだということだ。
 かれは、どこか頼りない感じで、それゆえ、第一書記のポスト在任期間はミッテラン元大統領を抜いて、結党以来最長だったが、かれはその間、大統領候補としては二番手どころか、三番手、四番手だった。前回はかれの事実婚のパートナーでかれとの間に4人の子供のいるセゴレーヌ・ロワイヤルが大統領候補に推された。ロワイヤルがサルコジとの決選投票で落選したあと、二人は事実婚関係を解消した。オランドはセゴレーヌ・ロワイヤルを積極的に支援しな
かったが、今回、別れたあとだったが、セゴレーヌ・ロワイヤルは、積極的にかれを支援して、キャンペーン活動をした。しかし、早々に閣僚には入らないと表明した。

 オランドは、当選したあと、直ぐに大統領の給与と、大臣の給与を30%カットし、閣僚の半数は女性から選ぶという原則を決め、それを貫いた。給与カットするのは、予算もいらないから簡単にすぐに出来る。閣僚の半数を女性にするというのも、予算措置は不要だから、簡単にできる。党内のアンティ・フェミニストを黙らせるだけでいい。女性から要求されぬうちにやったのは、二重丸を上げてもいいだろう。
 かれが、財政締め付けよりも、経済成長を主張し、大統領就任直後のメルケルドイツ首相との会談でも妥協しなかったために、ユーロは売られ、記録的下値をつけたが、決して慌てなかったことには、丸をあげてもいい。いわゆる投機マネーの脅しに屈しない姿勢を見せたことで、しばらくは投機マネーも派手な動きは出来まい。そして投機マネーが短期に移動しないように、税をかけることに成功すれば、三重丸ぐらいやってもいいだろう。しかしこれは、そう簡単にはできまい。まず、下院議員選挙で勝つことが必要だ。その投票がまもなくある。
 フランス議会選挙の結果がどうなるか、大統領選挙以上に重要かもしれない。
 ま、日本の政治家と、比べてみるのもいいだろう。ぼくは決してオランドに期待はしていない。オランドを勝たせた、格差と失業を増大させてきたヨーロッパの状況こそが、圧力となって、かれを動かす力だからだ。主役はかれを選んだ国民だ。

38:打てば響く 2012年6月29日分 転載
ビートル 06/30 14:23
 なだいなだのサロン、コラム『打てば響く』2012年6月29日の記事を転載します。

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6月29日 松下政経塾の思想

 今度の、消費増税法をどう評価するか。衆院可決後の、各界の反応なるものを見れば直ぐに分かる。消費者はため息をついている。野田は、消費者のためには働かなかった。単純にテレビに出てくる顔を見ていれば、野田ドジョウの仕事が、だれのためか分かる。喜んだ人たち、満足した人たちは、だれだったか。財界は大満足だった。自分たちが、その分だけ課税を免れるからだ。消費者以外に困った人たちは?中小企業、ことに中小の商店や、飲食店だ。
 自民党、公明党はなぜ、野田に協力したのか。自分たちの働きを、喜んだ人たちに、見てもらうためだった。いい子でしょう、というわけだ。
 しかし、協力したのに、最大の功労者は野田だなどと、財界に評価されたら困る。それで、複雑な顔をしているのだ。三党協力しておいて、選挙はなんで争うというのか。
 次の選挙で、大企業の選挙に対する資金的係わりを、よく監視することだ。
 政党に寄付する余力があるなら、その分税金を払えばいい。国の財政を憂えるなら、まず税金を払え。政党はちゃんと政党への交付金をもらっているのだ。選挙はその範囲でやればいい。免税の寄付はいらない。
 公明党も、創価学会が、宗教を隠れ蓑に税金を払っていない点を突かれるのが怖いので、必死になって、消費税増税に賛成した。今、ハコモノをたくさん作っているのは創価学会だ。
 消費税を福祉と結びつけるなどというが、竹下内閣の消費税導入の口実は将来の福祉への備えだった。これまでの消費税が、目的以外に使われていたことがおかしい。
 そもそも、年金が不足したのは、運用の誤りで、ドル建て債券をたくさん買い込んで利子を儲けようとしたところにある。わずかの利子の儲け分など、ドル安でふっとんだ。その間違いを、消費税で補おうとしているだけだ。まず、その失敗の責任者を、はっきりさせることだ。
 ヨーロッパは、財政的な切り詰めだけを目指す、これまでの保守派の政策が見直されつつある。ユーロの導入は、財政の統合努力なしに、通貨の共通化を先取りしたものだ。その矛盾が今現れている。
 オランドがフランスの大統領になってから、財政赤字を増やさぬ努力をしながらも、公共投資を増やそうという方向を目指し始めた。
 日本も、真似をして、新幹線建設を進めるという、方針を明らかにしたが、それを税金から出すからいけない。今の銀行の定期預金より少し高めの新幹線建設国債を発行すればいい。そして、地方の新幹線は、郵便、宅急便に利用させればいい。東京大阪間は少々過密だが、それ以外の新幹線には余裕が十分にある。東北新幹線の貨物利用は、さほどの投資もせず、流通に大いに効果を上げられる。法律を少し変える必要はあるだろうが。
 新幹線は、国債の売れ具合によって進めればいい。ぼくは外債にはこりた。これからは日本の未来に投資する。そういう老人も多いはず。大損するより、インフレヘッジ位の安い金利でいい。老人が、若者の失業対策にも少しは役立てる。
 大まかな線だが、社会党、共産党あたりが、もう少し肉付けをして、次の選挙に国民に訴えて見たらどうか。
 大飯原発の再稼働でも、野田ドジョウは、財界のために泥にまみれて働いた。かれの決断で喜んだ顔を思い浮かべればいい。国家を第一に考え、国家なるもののために、国民に犠牲を強いる。その思想がどうやら松下政経塾出身者に共通のものらしい。

39:打てば響く 2012年8月11・12日分 転載
ビートル 08/12 23:00
なだいなだのサロン、コラム『打てば響く』2012年8月11日と12日の記事を転載します。


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8月11日 外交というもの

 外交にしばしば加えられる非難、《弱腰》について考えよう。竹島に李韓国大統領が上陸したことに対する日本の反応は、強硬な抗議声明の形をとった。それだけでは不十分だと思ってか、韓国駐在大使を一時引き揚げるという。外交関係を中断することになる。
 だが、これでどんな結果が期待できよう。相手の謝罪を引き出すことができるか。出来るはずがない。しばらくすると、大使を戻す、何かの口実を探すことになるだろう。もっと強腰ということになると、この島を実力で奪い返すことだ。石原都知事だったらやりかねない。しかし、それは戦争の始まりだ。小さな島が戦争の火種になる。
 昔だったら、とっくに戦争が始まっていただろう。だが日本には平和憲法がある。初めから戦争の手段は取れない。すると、だから、日本は舐められている、と非難するものが出てくる。だが、舐められているという人間は、じゃあ喧嘩を売るのだろうか。国際間の喧嘩は戦争だ。戦争をしろというのか。そこまでやれとは言っていないなどと、意見を引っ込める。それよりいい手段はないのか。
 こういう時は、首相談話で、「強硬な態度を取れ、舐められるな、という人がいるが、その人には、《右の頬を打たれたら、左の頬をだしなさい》といったイエスの言葉を返すしかない。小さい島に過ぎなくとも、領土問題は、実に厄介な問題で、昔は戦争の原因になった。これが愚行だということを我々は知っている。こういう問題こそ、武力ではなくて、両国の政治家が叡智と善意を絞って平和的に解決するしかない。今こそ、強硬な姿勢より、叡智を示すことが必要だ」と相手の大統領に呼びかけたらどうだ。もちろん狙いは韓国の世論だ。韓国の強硬な世論に、少しでも変化を起こすことができたら、領土問題を棚上げにすることもできる。これは日韓のあいだに刺さった刺だ。棚上げにして永久に平和的な関係を結ぼう、という落としどころしかありえない。それが、現代の世界の常識だ。
 強硬姿勢で、国民を感情的に煽るのは、いわゆるポピュリストの政治家だ。叡智のない政治では、出口が見つけられない。


8月12日 消費税増税の法案成立に際しての感想

 誰のための、消費税増税か。
 野田政権は、結局は、増税のための保守大連合を実現した。マスコミは野田を実行力のある政治家という評価をしているようだ。風向きに敏感な橋下大阪市長まで、急に実行力があると野田を褒めはじめた。
 だが、これから、老人には、確実に、より厳しい時代がやってくる。高額の年金をもらっている人をのぞいて、年金だけで生活している人の大部分は、収入は増えず、支出は確実に増える。生活保護以下の年金しか収入のない老人は、切り詰める余裕もない。
 マスコミの小沢叩きは激しかったがそれらの老人のことを思えば、ぼくは小沢の論理の方を支持する。

 消費税増税の根拠は、医療費が確実に増え続けるという予測である。それゆえ福祉財源確保の必要があるとの論理はおかしい。右肩上がりの成長が続かないことは明白なのに、なぜ医療費だけが右肩上がりで増え続けるのか。医療費のどの部分が本当に必要なのかを、考えるときがきているのだ。意識のなくなった人間に胃瘻を作って生かし続けることによって、莫大な医療費が費やされる。これをどう考えるかだ。
 老人の中には、自分にはもう、延命措置はしてくれるな、と思っている人が多い。ぼくの周りの老人と話しても、大部分の人間は、おれには不要だという。積極的に安楽死を考えなくても、消極的な安楽死である、過剰な延命措置の拒否は是とする人が多い。この過剰な延命措置のために、どれだけの医療費が消えているか。
 こうした未来の医療のありかたを考えれば、医療費は右肩上がりの増加を続けることはない。もう一つ、クスリの値段は適正かどうかだ。ぼくは現在、前立腺がん治療のために、日に一錠の錠剤を投与され、毎月一回の注射を受けている。三割負担の代金が月に二万数千円だ。一ヶ月一回の通院だけで、五万円ほどのがん治療費が、健康保険に請求されていることになる。薬代がいかに大きいかが分かる。消費者が、この薬価の透明性を要求することはできないか。ぼくは、医療費増大の裏で薬会社がかなりの利益を上げていると見る。圧縮する余地は大いにある。医療費が増大するから増税だ、という論理には飛躍がありすぎるのだ。
 しかし、未来を考えたら、いつまでも財政赤字を増やすわけにはいかないという論理はどうだ。老人も国民全体も、未来につけを回すなという論理に弱い。少子高齢化を叫ばれると、自分が原因のように、罪を感じてしまう。そう考えるように、マスコミで洗脳されてきた。未来につけを回さないという論理には説得力がある。だが、アフガン復興の援助を約束するなどということの方が、未来につけを回すことではないのか。
 ついこの間のアフガンの復興援助のための約束は、どうしてもしなければならない約束か。復興が必要になったのは、アフガンに天災があったためか。アフガンを戦争で破壊したのはだれだ。アメリカだ。自己責任の原理からいえば、アメリカが復興費を負担すべきだ。それなのにアメリカにいい子ぶって、世界に寄付金の奉加帳回しの役割を買って出たのは野田内閣ではないか。そのためには筆頭の寄付額を約束せねばならない。だから日本が世界で二位の額を約束せねばならなかった。その金はどこから出てくるのだ。税金だ。
 ユーロ危機対策に膨大な基金への参加を約束する。どこから金が出る。税金だ。防衛費には戦闘機、イージス艦など、税金が湯水のごとく使われている。増税の前に、これらの支出を削減することが、つまりそれらの必要のない平和をを未来のためにつくることが、未来の世代につけを回さないことになるのではないか。
 日本はまだ、リーマンショックによってどれだけの金融資産を失ったかを総括していない。年金支払いが赤字になっているのは、年金の運用の上で大きな失敗があったからだ。本来は、年金の原資は日本の未来のために投資すべきだったのだ。それを、金融商品という紙切れに等しいものを買い込み、アメリカの資金運用銀行に国民の貯金を差し出して、ドル安でまんまと数割を取られてしまった。これはぼくの実感だが、資金運用だなどと大銀行の勧めにのって、外債を買い、資産を何割も減らした経験のあるものにはわかるだろう。
 消費税増税の論理は、こう考えていけば大きな欠陥がある。マスコミの野田政権支持の論理に騙されてはいけない。実感が大切だ。これ以上の増税に、老人の生活が耐えられるか、まずそこから出発せねばならない。まず増税ありき、の考え方は間違っている。小沢の論理の方が、今回は正しい。

40:打てば響く 2012年9月1日分 転載
ビートル 09/01 21:50
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年9月1日の記事を転載します。

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9月1日 緑の党ができた

 老人党の議論が国会の方に向きすぎているあいだに、重要な政治的事件が起こりました。緑の党の結成です。
 集まったのは、政治の手垢のついていない、新鮮なメンバーたちです。ということは生まれて初めて聞く名前の人が多いということです。しかし、欧米の環境政党「緑の党」と国際的に連帯をするそうですし、橋下大阪市長のようなスタンドプレーの好きな人達ではなさそうです。
 いま、メンバーたちは、反原発で首相官邸を取り巻いているグループに加わっている。実行力もある。
 ぼくは、鎌倉で環境運動をしてきたこともあり、緑の党を支持しよう、育てていこうと思います。
 環境問題は一国で解決できるものではない。日本の原子力事故の影響は、国境の内部にとどまらない。世界の環境を地球上の緑の党の同志と考えるようになれば、国境にある小さな島の領有権を争うなんて馬鹿なことは出来なくなります。
 緑の党的には、国際的に共同の自然として考えていく手段しかない。国境を超えなければいけないのです。彼らなら、平和的にそれが可能です。
 強硬派の議論なんて、子どもの議論と思えるようになります。
 元気のいい老人党は、これに加わったらどうでしょう。

41:打てば響く 2012年10月2日分 転載
ビートル 10/02 22:34
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月2日の記事を転載します。

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10月2日 感想というより決意


 老人党の掲示板を見ていると、老人党が曲がり角に来ていることを感じる。仲間の一人から、「これでいいのか」と活を入れられた。ぼくも、これではいけないことを十分に知っていた。だが、怠けていた。ぼくがメルマガに毎回登場するようでなければいけないのだ。それが一番の解決法。しかし、それには時間的にも精神的にも大きな負担増が強いられる。それで躊躇っていた。だが、何をためらう。今は、日本にとっても最大の危機。ぼくの人生も残り少ない。今、頑張らなくてどうする。
 ぼくは、腹をくくった。

 常連化した一部の人たちの、老人の一番悪いところが出た、独りよがりの議論などに、老人党を代表させていてはいけない。これではマンネリもいいところだ。

 話は飛ぶが、ぼくは現在「常識哲学」についての本を執筆中だ。スコットランドで起きた「コモンセンス」を社会の本にしようと考える哲学だ。18世紀に生まれ、経済学者として後世に名を残すアダム・スミスもこの運動に属した。
 この哲学運動は、アメリカ独立とフランス革命を置き土産にして、一旦は消える。トーマス・ペイン(バラク・オバマが大統領就任演説で引用した)のベストセラー「コモンセンス」の中の、「アメリカ独立は今や常識(コモンセンス)です」の一言がなかったら、アメリカの独立があったかどうかわからない。フランス革命を弁護した、200万部のベストセラー「ヒューマンライツ(人間の基本的諸権利)」は人権を常識として定着させた。かれはアメリカ独立の直後に奴隷を解放する州憲法の起草者になっている。
 この思想が、欧米では消えていくのに反して、明治以降の日本に、常識という訳語を得て生まれ変わり、定着した。日本にもともとあった論語の「中庸」の思想とぴったりだったからだ。常識は社会の基本原理となったという具合だ。

 ぼくは、老人党は常識の党であらねばならぬと考える。しかし、同時に常識は進化することも忘れてはならない。「今の非常識」がやがて「未来の常識」となることもある。未来を先取りする非常識は大いにあっていい。それが話題を提供して議論が繰り返されることが、老人党の掲示板のあり方だ。自民党の総裁に安倍がいいか、石破がいいか、石原がいいか、などという議論は三文の価値もない。だれの演説を聞いても最低で、日本の政治家の思想的な貧困さを競っているだけではなかったか。それにのせられていては、日本のマスコミの宣伝にのせられて不毛な議論をしているだけのことになる。

 日本の防衛大臣が、アメリカの使いばしりになっているのは一目瞭然だ。日本から大臣の給料を出すのは無駄。初めから説得などできないのに、沖縄に説得に赴くのは、旅費の無駄。公費を使う価値がない。これ常識。戦後大臣を「公僕」と呼ぶことが流行った。今は「アメ僕」。アメリカの強引な政策に、無理に協力するために税金を使って右往左往しているだけ。
 これが国民の常識。しかし日本のテレビはその常識をインタービューで声として出させない。

42:打てば響く 2012年10月10日分 転載
ビートル 10/10 19:10
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月10日の記事を転載します。

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10月10日 常識で考えようの2

 安倍自民党総裁が、民主党野田総裁と、公明党山口代表の三党首会談を受け入れるかどうかの意見を聞かれ、三党合意での近いうちに解散するという、意味は、「常識」では年内を指す、という談話を発表した。
 ちょうどいいタイミングでの「常識」発言だ。安倍総裁にジャーナリストが「常識」ってなんですか。と質問してくれたら、なお良かったが、ほとんどのジャーナリストが「常識とはなんだろう」と考えたこともなかったらしく、当然そのような質問は出なかった。

 常識が、明治の初期、英語のコモンセンスの訳語として作られたことは、たいていの辞書に書かれている。しかし、この訳語の漢字のイメージが、非常に強かったので、コモンセンスの訳語は独り歩きして、日本では独特の意味を持つようになった。
 というのはぼくの考えだ。
 常識という言葉を使う時には、自分の仲間だけの常識か、もっと広い常識か、世界に広げられる常識か、を考えるようにする。これがぼくの原則だ。医者の常識、世間では非常識という場合がしばしばあった。政治家の常識は、国民にとっての非常識であることもしばしばだった。

 そういうことを踏まえたうえで、常識で考えよう。
 尖閣問題とはなんだったのだろう。日本は、尖閣諸島を実効支配していた。中国も台湾も、自国の領土だという主張をしてきたが、だからといって、日本の実効支配を実力で覆そうとはしなかった。小平は、《尖閣問題は棚上げだ》と指示していた。問題を片付けようとして失うものを考えれば、棚上げの方がずっと利益があるという、計算のできる現実主義の政治家だった。かれクラスの政治家が、中国にいなくなったのは残念だ。
 野田が、小平の言葉を知っていたかどうか。知らなかったのだろう。馬鹿な政治家を首相に仰ぐ不幸をしみじみと感じる。20何億で、国有化したために、中国に進出していた企業は、軒並み大打撃を受けた。中国も受けている。日本の地方の観光業も、軒並み大打撃を受けている。これは日本のジャーナリズムがあまり報じない。ANAが中国人予約4万席のキャンセルを受けたという報道があっただけ。北海道のホテルなど、中国からの団体客で、なんとか不況をしのいできた。この事件でキャンセルが続けば、持ちこたえられないところも出てくるだろう。じわりと効いてくるボディブローだ。
 その損失は、税収にも響く。そこで消費税値上げなどをやったら、息の根を止められる中小企業も多いだろう。国民の生活が第一の小沢が首相だったら、やっぱり石原都知事に振り回されて同じバカをやっただろうか。石原に買わせればよかった。そして、職権乱用で訴えればよかった。都が尖閣を所有することを都民に判断させればよかったのだ。かれがお騒がせマンであることは、中国にも知れ渡っている。それに困ったふりをしていればよかったのだ。
 韓国語を習い、中国語を習い、観光客を呼び込んできた、日本の地方の観光業者の常識で考えれば、今回の事件はそのように総括されるのではなかろうか。

43:打てば響く 2012年10月20日分 転載
ビートル 10/20 11:09
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月20日の記事を転載します。

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10月20日 常識で考えようの3

 自民と民主の大臣まで加わっての、靖国参拝。
 日中関係、日韓関係をこじらせるようなことを、わざわざやってくれる。それが目的なのだろう。
 しかし、日本人のなかに、誰か、かれらの行為を喜んだり、感謝したりする人がいるだろうか。
 そうだ、少しはいたんだ。遺族会と旧軍人。旧軍人は、軍人年金をもらっていたし、遺族は遺族年金をもらっていた。しかも、国民に年金制度がいきわたる前。サンフランシスコ平和条約が結ばれたとたん、軍人年金、遺族年金が復活したのだ。
 戦後生まれのほとんどの人は、議員が靖国に行ってくれてありがとうなんて思う人はいない。これが常識ではなかろうか。ぼくの感覚はまちがっているかな。
 靖国に参拝する議員の会、などというものを作って、集団で行くところに「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の、批判を恐れる精神が見える。みんなで集団を作ってやらなければ、できないような、小心者の集まりだ。
 A級戦犯と呼ばれて東京裁判で裁かれた人たちが、靖国に入っている意味はなんだろう。祀ったのは戦後だから、ちゃんとどのような人たちがやったか分かっている。旧宮内庁系の人、旧軍隊系の厚生官僚、将軍たち。かれらは、生き残った自分たちの罪を、かれらを愛国者に仕立てて、自分の罪を消したかったのだろう。
 今の社会の常識で、例えば、会社を潰した人に感謝して年金を払うところがあるだろうか。退職金返せ、が常識だ。
 かれらは、国を守るどころか、日本という会社を潰し、何百万もの国民と言う名の社員まで巻き添えにして、沖縄の地上戦や、無差別空襲で死なせ、財産を失わせた。その責任者の代表が靖国に祀られ、空襲で死んだ犠牲者は祀られていないのだ。そのことを議員さんたちよ、どう思う。それを質問してくれる新聞記者、テレビ記者も皆無。だからぼくのような批判が常識にならない。その戦争犠牲の不公平な扱われ方の象徴が、靖国だということ。
 ちょっと過激になったかな。過激なのは常識でないか。でも、日本人は、この問題を深く考えてこなかったので、ぼくのような考え方が常識にならなかった。これから、それを常識にして行かねばならない。
 みなさん、靖国に参拝する議員という名は公表されている。その人の名前が出たら、「あ、この人が靖国に参拝したのね」と、公衆のまえでつぶやくようにしよう。東京駅で、選挙区に帰る姿をみたら、「あ、靖国に参拝した人だ。テレビに映っていた」とつぶやこう。「誰のためにやったのかね」とつぶやこう。「靖国は軍人でないと祀られないんだってよ。うちの爺さんは、空襲で死んだんだけど、そんなのではダメなんだって、とつぶやこう。そして人々の反応を見よう。本当に喜ぶ人が今時、いるのだろうか。
 ぼくは旧軍のエリートの学校にいた。そして軍人として尊敬できる人も、愛することのできる人もいた。
 だからこそ、国を守るために働いたという顔をして、生き残って年金をもらっていた人の偽善が許せないのだ。

 ぼくも怒ることがあるのだ。古賀なにがしという自民党の議員。好かん!

44:打てば響く 2012年10月28日分 転載
ビートル 10/28 09:58
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月28日の記事を転載します。

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10月28日 常識で考えようの4

 石原新党など、マスコミは騒いで、このお騒がせマンの宣伝を手伝っています。今回、コメントの中で光ったのは、田中真紀子文科相の「石原慎太郎、かっこ悪い暴走老人」。よくいうね、この人。
 みなさん年をとっても「暴走老人」にならないように注意しましょう。

常識で考えようの4。

 前回、いいたかったのは、「靖国に参拝するだけが能じゃないのですか。靖国とは何かを考えることの方が、もっと重要ではないのですか。なぜA級戦犯はすぐに合祀され、空襲の犠牲者の合祀は問題にもされてこなかったのですか。沖縄戦の市民の犠牲者の合祀は問題にされないのですか。軍から手榴弾を渡され、降伏せず自決した人たちが、合祀のリストに入らなかったのでしょうね」、そう、参拝派議員に質問をぶつけてくれるマスコミがなかったのが、一番寂しい事実だ、といいたかったのです。
 週刊朝日も週刊文春も週刊新潮も、みんなその点では全く変わりはない。情けないマスコミです。
 老人党掲示板で、前回このコラムに載せた感想に、いくつかの反応がありましたが、恩給問題に反論が偏ったのは残念でした。ぼくが提起したかったのは、靖国の問題で、軍人恩給や遺族年金の問題ではない。恩給返せ、などというのは、常識的に考えて、実現することが目的ではない。気持ちの問題で、合祀もされず、補償もなかった人たちのことを忘れないで、といいたかったのです。いまさら、返せなどといわない。そういうことを踏まえて未来を考えようというのが、ぼくの意図です。靖国は軍人と一般人の差別の象徴です。それを認識してもらいたかったのです。決して、中国や韓国の反応を考えてのことではないのです。日本人として、そのような形で、靖国への参拝の意味を、議員たちに問うてみたかったのです。すぐに、隣国の批判に耳を貸さないのが毅然とした態度だと思っている人たちに、国内からの批判もあるのですよ、それに耳をふさぐこともかっこいいのですか、といいたかった。まず国内問題であって、国際問題にすり替えないで、といいたかったのです。

 この問題は、掲示板に任せて、先に進みます。

 大震災の復興を阻んでいるのは、なにかです。ぼくは戦後の闇市焼け跡派の人間ですから、戦後の復興が、闇市のエネルギーによって成し遂げられるのを見てきました。今回の大震災では、被災者が完全に避難所生活の形で、管理されてしまって、難民キャンプに似た生活を強いられ、自分たちで勝手に行動して、焼け跡にバラックを立てて、闇市に物資を運んだ、戦後の戦災被害者のように振る舞えなかったことにあると考えています。もと住んでいた土地に、家を建てることも、許せばいい。あるいは買い取ってくれといわれたら、買い取ればいい。それを受け取って、安全なところに家を建てるのもよし、危険承知で、その場に家を建てるのもよし、です。
 3・11のような巨大大津波は、今の被災者たちが生きているあいだには、押し寄せてきません。ぼくは過度な安全確保の考え方が、エネルギーをそぎ、復興にブレーキになっていると考えます。いざという場合の避難場所を考えるだけで十分です。大津波が来ても、絶対安全なところに家を建てることを考えていたら、町は再建できません。これが常識的な考え方です。絶対の安全を保証するなどというのは、常識的な要求ではありません。飛行機に乗っても、自動車を運転しても、電車に乗っても、常にリスクは伴っている。しかし、それが常識の範囲にとどまる限り、肯定します。常識的なリスクなら、知っていて飛行機にも乗るし、電車にものります。毎日世界のどこかで、事故は起こっていますが。地震や津波だけが、リスクではないのです。
 自治体が、市民たちに、自由に行動を許し、避難所生活に必要としている同額のお金を、個人に現金で渡して、自活を援助していれば、もっと早く復興していたでしょう。たしかに、戦後の焼け跡に立ったバラックは、立派なものとはいえなかった。安全ともいえなかった。でも、そこでの生活は、のびのびしていたのです。
 これがぼくたち闇市焼跡派の常識です。

45:打てば響く 2012年11月3日分 転載
ビートル 11/03 21:46
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年11月3日の記事を転載します。

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11月3日 常識で考えようの5

 ちょっとこれまでと調子を変えます。
 短い読書の感想です。

 みなさん、今、ベストセラーになっている『戦後史の正体』孫崎享著を読まれましたか。是非読むことをお勧めします。
 ぼくも薄々そうであろうと感じていたことが、実例の引用付きで、裏打ちされています。やっぱりそうだったのか、と納得することばかりです。
 読むと、日本人の、戦後に関する常識が、完全に覆されます。痛快といいたくなるほどです。

 かれを次の東京都知事選に立候補させようという動きがあるようですが、本当だったら面白いですね。ぼくは20年ほど前に鎌倉に移住し、東京都民ではなくなってしまったので、投票できないのが残念ですが、かれが都知事になれば、石原慎太郎や、橋下大阪市長とは比べ物にならない、存在感のある首長になるでしょう。ぼくはベストセラーは眉につばをつけて読む方ですが、この本の論理性には、帽子を脱ぎます。
 しかもこの本を書いたのが、かつての外務省国際情報局長で、防衛大の教授という肩書きを持った人だとは!
 こんな肩書きを持った人の本を、ぼくが進んで読むことはなかったでしょう。ベストセラーになって、本屋で平積みにされて、ぼくの目にとまったから、立ち読みした。それがきっかけで読むことになりました。するとあまりに面白くて、やめられなくなってしまったのです。
 これまでだったら、ぼくは元外務省官僚とか防衛大の教授という肩書きを見たら、手に取る前に、敬遠してしまったでしょう。ぼくのこうした肩書きを持った人たちへの偏見が大きかったことを、証明されたようで、ちょっと反省しています。

46:打てば響く 2012年11月17日分 転載
ビートル 11/17 13:01
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年11月17日の記事を転載します。

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11月17日

「窮鼠猫を噛む解散」と見えて、実は「あとは野となれ山となれ解散」

 とうとう年内解散ということになった。
 今回は、どこに投票するか、選挙民は迷うだろう。ぼくだって迷う。単独の党が過半数を占めることはないだろう。
 記録的な低投票率になる可能性もある。その正反対もありうる。自公政権の復活の可能性は高いが、もう、それにはうんざり、という有権者も多いから、前回の民主党のように、自民が大勝ちすることはないと思う。

 さて、野田という政治家だが、おそらく「政治家になる以上は総理大臣をやってみたい」と思って生きてきた人なのであろう。松下政経塾に入ったのも、民主党に入ったのも、自民党に入るより、近道という計算があったのだろう。そして首相になった。だが、この人には、首相になって、何をしたいのか、そのイメージがなかった。政治家になってからは、ひたすら政治技術を学んだ。今回のような敵も味方も虚を突かれるような解散をしたのは、そのような技術を学んできた結果だろう。かつては、こういう技術は、政界の寝業師と呼ばれた人たちに属していた。その技術を、かれはプロ並みに磨いた。
 だが、解散のあとを、かれは考えていないだろう。民主党はこんな解散をすれば、消滅するだろう。選挙後にいくつかに分解し、小沢のもとに走るもの、自民に走るもの、維新に走るもの、いろいろと出てくるだろう。しかし、かれにとっては、総理になるまでは必要な存在であったが、民主党はもう必要はない。かれは政治生命を賭けるといっていたが、実は、総理大臣になってしまったのだから、これからの政治生命など、問題にならなかったのだ。だから民主党の生命も賭けたのだろう。
 だろうと、推定しているように書いているが、ぼくの頭の中では、ほとんど確信に近い。
 政治家を職業としてやる人間が増えてくれば、かれのような首相が選ばれても、当然だ。
 だが、日本人にとっては、不幸なことだ。

 こんどの選挙では、どこに投票したらいいか、大いに迷うだろう。それについては、この次に書こう。
 が、群雄割拠して、政権の空白状態が起きるかもしれないが、今のような政府なら、政府などない方がいいかもしれない。ベルギーなど、541日間、選挙後に内閣を作ることができなかった記録もある。しかし、ベルギーの経済は、ごく普通に機能していた。日本に、たくさんのベルギーのチョコレート屋が店を開いているし、スーパーでもベルギーの絨毯は、よく売れている。高級スーパーではベルギー輸入の、ビスケットが売れている。フランス製よりよく売れている。政府はダメでも、商売の方は、けっこう頑張っているのだ。
 541日の政治空白は、さすがにギネスブックに載せられるほどの記録であったが、政府なんて、意外と不必要であることの証明にもなった。その間、選挙で負けた前の内閣が、541日も延々と代行を続けてしまったのだ。政治空白、さあ、大変、などとあわてふためかないこと。

 今回の解散で示した、野田という政治家、昔の「政界の寝業師」という修飾語を思い出してしまった。追い詰められたかれには、それが唯一の選択肢だったのかもしれないが、党首討論の形で、解散の言葉を飛び出させたのは、演出の上手さと認めてもよかろう。
 かつてのバカヤロー解散などというものを、経験しているぼくたちにとっては、さして、驚きもしなかった。「おやおや、政治のプロだとか、政界の寝業師などという修飾語を付けて呼ばれる政治家が、まだ残っておったわい」
 今回の解散、後世のために名をつけるとすれば「窮鼠猫を噛む解散」というところだろうか。
 ともかく、かれ自身にとっては最良と思われる選択だったろう。ちょっぴり野党を慌てさせたし、石原や、橋下たちも、慌てさせたし、民主党の傷口が、これ以上大きく開かないようにブレーキをかけた。あと一日遅れれば、党内の反対派に首相の座を降りるように迫られただろう。
 だが、寝業師の政治家をもったことを、国民が誇りに思えるだろうか。国民はいうだろう。寝業師なんていらない。
 欲しいのは、哲学をもった政治家だ。

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