打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

43:打てば響く 2012年10月20日分 転載
ビートル 10/20 11:09
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月20日の記事を転載します。

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10月20日 常識で考えようの3

 自民と民主の大臣まで加わっての、靖国参拝。
 日中関係、日韓関係をこじらせるようなことを、わざわざやってくれる。それが目的なのだろう。
 しかし、日本人のなかに、誰か、かれらの行為を喜んだり、感謝したりする人がいるだろうか。
 そうだ、少しはいたんだ。遺族会と旧軍人。旧軍人は、軍人年金をもらっていたし、遺族は遺族年金をもらっていた。しかも、国民に年金制度がいきわたる前。サンフランシスコ平和条約が結ばれたとたん、軍人年金、遺族年金が復活したのだ。
 戦後生まれのほとんどの人は、議員が靖国に行ってくれてありがとうなんて思う人はいない。これが常識ではなかろうか。ぼくの感覚はまちがっているかな。
 靖国に参拝する議員の会、などというものを作って、集団で行くところに「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の、批判を恐れる精神が見える。みんなで集団を作ってやらなければ、できないような、小心者の集まりだ。
 A級戦犯と呼ばれて東京裁判で裁かれた人たちが、靖国に入っている意味はなんだろう。祀ったのは戦後だから、ちゃんとどのような人たちがやったか分かっている。旧宮内庁系の人、旧軍隊系の厚生官僚、将軍たち。かれらは、生き残った自分たちの罪を、かれらを愛国者に仕立てて、自分の罪を消したかったのだろう。
 今の社会の常識で、例えば、会社を潰した人に感謝して年金を払うところがあるだろうか。退職金返せ、が常識だ。
 かれらは、国を守るどころか、日本という会社を潰し、何百万もの国民と言う名の社員まで巻き添えにして、沖縄の地上戦や、無差別空襲で死なせ、財産を失わせた。その責任者の代表が靖国に祀られ、空襲で死んだ犠牲者は祀られていないのだ。そのことを議員さんたちよ、どう思う。それを質問してくれる新聞記者、テレビ記者も皆無。だからぼくのような批判が常識にならない。その戦争犠牲の不公平な扱われ方の象徴が、靖国だということ。
 ちょっと過激になったかな。過激なのは常識でないか。でも、日本人は、この問題を深く考えてこなかったので、ぼくのような考え方が常識にならなかった。これから、それを常識にして行かねばならない。
 みなさん、靖国に参拝する議員という名は公表されている。その人の名前が出たら、「あ、この人が靖国に参拝したのね」と、公衆のまえでつぶやくようにしよう。東京駅で、選挙区に帰る姿をみたら、「あ、靖国に参拝した人だ。テレビに映っていた」とつぶやこう。「誰のためにやったのかね」とつぶやこう。「靖国は軍人でないと祀られないんだってよ。うちの爺さんは、空襲で死んだんだけど、そんなのではダメなんだって、とつぶやこう。そして人々の反応を見よう。本当に喜ぶ人が今時、いるのだろうか。
 ぼくは旧軍のエリートの学校にいた。そして軍人として尊敬できる人も、愛することのできる人もいた。
 だからこそ、国を守るために働いたという顔をして、生き残って年金をもらっていた人の偽善が許せないのだ。

 ぼくも怒ることがあるのだ。古賀なにがしという自民党の議員。好かん!

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