打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

44:打てば響く 2012年10月28日分 転載
ビートル 10/28 09:58
なだいなだのサロン『打てば響く』2012年10月28日の記事を転載します。

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10月28日 常識で考えようの4

 石原新党など、マスコミは騒いで、このお騒がせマンの宣伝を手伝っています。今回、コメントの中で光ったのは、田中真紀子文科相の「石原慎太郎、かっこ悪い暴走老人」。よくいうね、この人。
 みなさん年をとっても「暴走老人」にならないように注意しましょう。

常識で考えようの4。

 前回、いいたかったのは、「靖国に参拝するだけが能じゃないのですか。靖国とは何かを考えることの方が、もっと重要ではないのですか。なぜA級戦犯はすぐに合祀され、空襲の犠牲者の合祀は問題にもされてこなかったのですか。沖縄戦の市民の犠牲者の合祀は問題にされないのですか。軍から手榴弾を渡され、降伏せず自決した人たちが、合祀のリストに入らなかったのでしょうね」、そう、参拝派議員に質問をぶつけてくれるマスコミがなかったのが、一番寂しい事実だ、といいたかったのです。
 週刊朝日も週刊文春も週刊新潮も、みんなその点では全く変わりはない。情けないマスコミです。
 老人党掲示板で、前回このコラムに載せた感想に、いくつかの反応がありましたが、恩給問題に反論が偏ったのは残念でした。ぼくが提起したかったのは、靖国の問題で、軍人恩給や遺族年金の問題ではない。恩給返せ、などというのは、常識的に考えて、実現することが目的ではない。気持ちの問題で、合祀もされず、補償もなかった人たちのことを忘れないで、といいたかったのです。いまさら、返せなどといわない。そういうことを踏まえて未来を考えようというのが、ぼくの意図です。靖国は軍人と一般人の差別の象徴です。それを認識してもらいたかったのです。決して、中国や韓国の反応を考えてのことではないのです。日本人として、そのような形で、靖国への参拝の意味を、議員たちに問うてみたかったのです。すぐに、隣国の批判に耳を貸さないのが毅然とした態度だと思っている人たちに、国内からの批判もあるのですよ、それに耳をふさぐこともかっこいいのですか、といいたかった。まず国内問題であって、国際問題にすり替えないで、といいたかったのです。

 この問題は、掲示板に任せて、先に進みます。

 大震災の復興を阻んでいるのは、なにかです。ぼくは戦後の闇市焼け跡派の人間ですから、戦後の復興が、闇市のエネルギーによって成し遂げられるのを見てきました。今回の大震災では、被災者が完全に避難所生活の形で、管理されてしまって、難民キャンプに似た生活を強いられ、自分たちで勝手に行動して、焼け跡にバラックを立てて、闇市に物資を運んだ、戦後の戦災被害者のように振る舞えなかったことにあると考えています。もと住んでいた土地に、家を建てることも、許せばいい。あるいは買い取ってくれといわれたら、買い取ればいい。それを受け取って、安全なところに家を建てるのもよし、危険承知で、その場に家を建てるのもよし、です。
 3・11のような巨大大津波は、今の被災者たちが生きているあいだには、押し寄せてきません。ぼくは過度な安全確保の考え方が、エネルギーをそぎ、復興にブレーキになっていると考えます。いざという場合の避難場所を考えるだけで十分です。大津波が来ても、絶対安全なところに家を建てることを考えていたら、町は再建できません。これが常識的な考え方です。絶対の安全を保証するなどというのは、常識的な要求ではありません。飛行機に乗っても、自動車を運転しても、電車に乗っても、常にリスクは伴っている。しかし、それが常識の範囲にとどまる限り、肯定します。常識的なリスクなら、知っていて飛行機にも乗るし、電車にものります。毎日世界のどこかで、事故は起こっていますが。地震や津波だけが、リスクではないのです。
 自治体が、市民たちに、自由に行動を許し、避難所生活に必要としている同額のお金を、個人に現金で渡して、自活を援助していれば、もっと早く復興していたでしょう。たしかに、戦後の焼け跡に立ったバラックは、立派なものとはいえなかった。安全ともいえなかった。でも、そこでの生活は、のびのびしていたのです。
 これがぼくたち闇市焼跡派の常識です。

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