打てば響く(『なだいなだのサロン』コラム) 転載

48:打てば響く 2012年12月13日分 転載
ビートル 12/13 19:52
 なだいなだのサロン『打てば響く』2012年12月13日の記事を転載します。

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12月13日 マニフェストか、過去に対する責任か

 選挙となると、マスコミは、各党のマニフェストに目を向けさせようとする。マスコミも協力する。これでは選挙民が、マニフェストなどを比べて選択しているような錯覚に陥っても無理はない。
 騙されてはいけない。選挙は、これまでの政治の責任を問うものだ。これまでの中には、今の政府ばかりでなく、これまでの政府も含む。
 子供の精神発達の程度を調べるときに、何かモノを見せると、今持っているモノを放り出して新しいものに向かうかどうかを見る。新しいものを出されても、すぐに飛びつかなくなれば、かなり成長した証拠になる。つまり、赤ん坊の時代は今に支配されるが、成長するにつれ、原因結果を、少しさかのぼって考えられるようになるということだ。
 選挙に当てはめれば、目の前に出てきたものに、機械的に飛びつくのではなく、時間の幅をとって、原因と結果を考えて投票しないと、今まで左、今度は右の、簡単な選択になってしまう。政治は逆風に間切って帆を操りながら前に進むヨットのようでなければならない。右に振れるにしても、前進がなければならない。
 日本再生を訴える政党は、こういう視点で見れば、その前の与党であり、今の日本の破産状態に、責任がある政党だ。壊れた日本を直すというなら、日本がどう壊れ、それに政党がどう関わり、今、どのような状態にあるか、見てから考えることだ。それに対し、どのような責任があるかをはっきりさせるのが選挙だ。日本がまるで民主党の四年間で壊れたというのは、間違いだ。日本が前の長い支配政党に壊されたから、民主党が出てきた。しかし、この党が半分、前の支配政党のような部分を持っていたから、何も変えられないどころか、旧支配政党のやりたくてできなかった増税に手を貸してしまったのだ。
 その民主党をただし、さらに前へと前進させるビジョンを有権者は持つべきだ。一旦多党化してもいいだろう。

 老人党を立ち上げたとき、ぼくは、落とすことを考えよう、われわれにできることは、だれを選ぶかではなく、だれを落とすかだと、選挙に対する考えを変えるように提案した。
 自民党の政治を終わらせるために、たまたま民主党に票を入れるよう勧めたのであった。民主党のマニフェストに賛成したからではない。
 これからの世界の展望を示さず、自分たちの世界政治の中での位置を示さず、目先の個々の問題を書き連ねただけのマニフェストだなんて、読む価値がない。読むなら、その幼稚さを批判するためであって、期待などするためではない。
 これまで、政治家が過去に何をなしてきたかを考えず、公約なる口約束、つまり口約ばかりに目がいってしまっていた。だから、政治が変わらなかったのだ。
 大震災とそれに続く原発災害で、今や、政治家たちが、過去に何をしたかが見えてきた。最近起こった、中央高速道トンネルの天井落下の災害もそうだ。あえて、事故などと呼ばず災害と呼んでおこう。
 だが、政治家は、今もって、自分からその責任を語ることをせず、もっぱら口約ばかり述べ立てる選挙をし続ける。ぼくたちの一票は、そういう政治家を落とすために使うべきだ。

 敦賀の原発は、活断層の真上に建てられていた。だれの責任だ。計画を立てたのは、どこの党か。建てられたのは、どの政党が政権の座にあった時か。安全を保証した学者はどこの大学の誰か。
 池田内閣の頃から計画され、佐藤内閣の時にゴーサインが出されたのではなかったか。
 建設したのはどこの大企業か。そこと結びつきの強かった政治家は誰か。調べれば分かるだろう。おそらくその政治家は死んでいるか、引退しているかだろう。だが、その二世は立候補しているだろう。二世という地位を利用して立候補するなら、親の責任も受け継ぐべきだろう。落とすべし。

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