2 | 【20】打てば響く 2007年11月6日分 転載 |
ビートル 運営スタッフ 2007-11-21 20:17:15
[返信] [編集] 11月6日 ちくまから出した、老人党宣言の本が、絶版になるそうです。もう歴史的な存在になってしまったのかもしれません。まだ読んでいない人は、ここで読んでみてください。書かれていることと、現在と比較してみることは、自分の口からいうのもなんですが、希望を与えるのではないかと思います。 安倍首相の突然の辞任からまだ2ヶ月もたっていないのにこのドタバタ騒ぎはなんでしょう。老人党宣言が出る前に、予測できた人はどれだけいるでしょうか。参院の与野党逆転の結果がこのような形になっていることは、当時の日本で老人党以外に考えられたでしょうか。 話は跳びます。 今回の小沢、福田会談とそれに続くお芝居には、おそらく、なにか裏があるのでしょう。数年たつと、あの時、実はこうだったという、裏面史が書かれるのでしょう。ただ、だれかの画策通りには、ことが運んでいないようです。画策しようにも、注目が集まってしまっていて、大胆な動きが取れないのでしょう。 ハラハラしたって血圧が上がるばかりです。老人党は、ここは高みの見物といきましょう。 遠いパキスタンで起きていることは、国際社会と呼ばれるところで、何かが画策されることがよく分かります。ムシャラフ軍人大統領の力が衰え、核を持つイスラム国家の権力が、イスラム過激派の手に、選挙の結果、民主主義的に移譲される可能性が何年か先に見えてきた。そこで海外亡命中のブット元首相とムシャラフ大統領の連合が画策されたとぼくは考えます。無理な連合です。ムシャラフ大統領の属する国軍はクーデタを起こし、ブット元首相の父を死刑にした(形式的には裁判で死刑の判決が出たのだが、当時の将軍独裁者ジア・ウル・ハク指示だったといわれる)、いわば彼女の親の仇の軍の代表です。彼女も亡命せざるを得なかった。互いに、簡単に打ち解けて連合できる相手ではないのです。もちろん進んで二人が協力し合うはずがない。裏で何かが画策されたのでしょう。帰国した途端、ブットの暗殺が企てられ、現在はムシャラフによって戒厳令が布告されています。軍政に逆戻り。反対派はみな拘束。ミャンマーを非難した国際社会なるものは、ムシャラフを非難していますが、ミャンマーへと同じような圧力をかけようとはしません。またまた二重基準です。 こういう情勢を見ていると、日本にも国際社会なるものから、何らかの画策がなされていると考えたくなります。 日本が国際貢献を求められているという言い回しを日本の政治家はするが、ずばり言えば、米国の一超大国体制への貢献のことです。世界で国際貢献を求められていないのは、米国だけです。小沢も、国連に協力して自衛隊を海外に送るというなら、なぜアフガニスタンで、アフリカのダルフールではないのでしょう。 中東の不安定状態は、イスラエルの建国から始まった。 友人のユダヤ系イギリス人の医者が、大阪での学会の帰りにぼくの家に寄って泊まっていきましたが、かれはイスラエルのパレスチナの67年の六日戦争の占領地から、軍隊を引き上げ、パレスチナ国家を認めることが、唯一の中東平和の解決策だといっていました。かれはエジプト生まれのラビの家系のユダヤ人です。アラブ系の人たちに友人も多い。 ぼくの叔母は、「67年の六日戦争は、勝ったのではなく最大の敗北だ」といっているよ。かれはそういいました。現在のイスラエルの政策に批判的な平和を願うユダヤ人も多いことを知りました。実は、イスラエルのことに触れて、40年来の友情を損ねてはと、かれの滞在中はイスラエルという言葉はださないようにしようと気を使っていたのですが、かれに先回りしていわれてしまい、ほっとしました。 閲覧 145103 |
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