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 【25633】今そこにある集団的自衛権の... 沈黙の朱夏 2014-9-24 9:53:57
 【25691】今そこにある集団的自衛権の... 沈黙の朱夏 2014-9-28 10:34:54
 【25659】Re: 一般とは? 〜 平和主... 沈黙の朱夏 2014-9-25 17:39:14
 【25665】Re: 一般とは? 〜 平和主... 沈黙の朱夏 2014-9-26 8:12:06

56 【25633】今そこにある集団的自衛権の問題点〜米国のシリア領空爆で《力でカタをつける時代》に?(@_@)
沈黙の朱夏    2014-9-24 9:53:57  [返信]

    時事ネタがもろに重なってきていますよ( ̄▽ ̄)b

    ついに米国がシリア領空爆に踏み切ったが、

    その行動が孕(はら)む問題の意味は大きいと観ている。

    大きく三つの意味がある。

    一つ、

    これこそまさに、国連(集団安全保障体制)の機能不全と表裏の関係にある、今そこにある《集団的自衛権の行使の在り方》だと言えるということ。・・・☆1
    ー    当事国の合意もなく空爆するようでは、自衛権を逸脱し、《なんでもあり》への扉を開いてしまっているということ。

    一つ、

    その集団的自衛権の行使において、それが正しい戦争であるという理屈がつけられるならまだしも、そこに何らかの《建設》に向けての展望が見い出せないばかりか、軍事的に何をもって作戦終了とするのか《出口戦略》すら明確でない。・・・☆2
    ー    行動しないより行動したほうがよいという判断はそこにあるが、行動の結果については考えられていなくて、《出たとこ勝負》になってしまっているということ。

    一つ、

    なんでもありで出たとこ勝負となれば、それは《戦争の敷居》を下げてしまうということ。・・・☆3
    ー    何らかの閉塞した状況を打開するため戦争を仕掛けるという行動を助長してしまう。冒険的機会主義を助長する。《力でカタをつける時代》への扉をいよいよもって開いてしまったのであろう、ということ。


    -----------------

    以下に補足、追記しておきたい。

    上記の☆1箇所、これは《正当性》の問題である(↓)。
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20140923-00039349/
    (木村正人、「シリアを空爆した米国と有志国の正当性は?」、2014/09/23)
    ー   注記。論者の木村氏は産経OBの在英ジャーナリストである。

    >> ICJ(国際司法裁判所)は、「武力攻撃の発生」が自衛権行されている使の要件であることを確認する一方で、集団的自衛権を行使するには、武力攻撃を受けた国による「事実の宣言」と「他国への援助要請」が必要であるとの判断を示した。国際法上、第三国が自分の判断で集団的自衛権を行使することはできないという歯止めをかけた。

    従って、正統性に疑問符がつくのであるが、

    自衛権の行使に際しては、a)その範囲を巡って常に正統性の問題を避けて通れないこと、b)そして今回のシリア空爆にはその問題が集約/露呈されているということ。

    次いで上記の☆2箇所。木村氏も指摘しているが秩序回復に向けての《建設的展望》であり、問題としてのその《不在》である(↓)。
    http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPKBN0H60RO20140911?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0
    (ロイター、コラム、「出口戦略なき米国のイスラム国掃討作戦」、2014/09/11)
    >> 問題は中東の政治状況だ。中東は、宗派戦争の動乱のさなかにある。イスラム教スンニ派とシーア派の間だけでなく、双方の穏健派と急進派の間にも対立がある。一部の国(シリアやイラク)は内戦状態で、他の国(イランやサウジアラビア)は国際紛争の火種を抱える。一部地域のテロリスト集団(アルカイダ、ヒズボラ、ハマス)は、別の場所の不安定化要因となっている。その複雑さは気が遠くなるほどだ。

    政治的に複雑であり混迷しており、掃討作戦の結果のその先に出口を見出しにくい。また、地上部隊の派遣という選択肢を除外している以上、域内の秩序や治安回復への構想はなく、軍事作戦としても完結していないのである。
    ー    自衛概念から逸脱しているだけでなく、正戦論にも成り得ていない。出口戦略がはっきりしないということは、行動した結果がどういうものかを想定し切れていないということであり、それはよく分からない結果についてはその責任は負いかねるという《二重結果論》である。

    最後に上記の☆3箇所。正統性が怪しく出口戦略が明確でない戦争を遂行すると、戦争の敷居が下がる。しかも、有力な大国がはからずもそれを率先してしまえば《乱世》を迎えるという重大な懸念である(↓)。
    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40498?page=2
    (現代ビジネス、長谷川、「・・・世界は急速にバラけてきた」、2014/09/19)

    >> 見逃せないのは、そもそも他国の領土を攻撃する正統性をどう確保するのか、という問題だ。米国はシリアのアサド政権と対立しているから、アサド大統領が米国の空爆を認めるわけもない。シリアを後押しするロシアは国連安全保障理事会決議なしの攻撃は認められない、という立場だ。
    >> クリミアに侵攻したロシアがそれを言う資格があるか、という問題はある。それでも米国がシリア空爆に踏み切れば、世界は文字通り「力でカタをつける」ガチンコ対決の時代に入っていく。


    -----------------

    追記しておきましょう。

    紛争や戦争もどきが国際社会では頻発しているので、あまり良くない意味で我々は慣れてしまうわけだけれど、

    今回の米国によるシリア領空爆の持つ意味は大きいですよ( ̄▽ ̄)b
    ー     だから上記のように、どちらかと言えば保守系の現実主義の論者たちからその行動が危ぶまれてきた。

    -----------------

    そもそものスレッドのお題に立ち返っておきましょう。

    こう指摘しています(↓)。

    ======再掲始め=======

    こちらのスレッドのお題の《一般とは?》というのは、

    下記のスレ主さん(=タミゾールさん)の【問】と海のYeahさんによる【答】に、既に収斂している。


    【問】
    > 上記の紛争地域の人口って地球人口の何%でしょうか?ウクライナを落としてますし、中国の海洋進出も無視してますけど。80%超えてのなら・・・。 

    【答】
    >> イスラエルやアメリカが、イラクやシリアやガザを空爆する。中国が、ベトナムやフィリピンや我々日本の領土領海を侵す。それらの行為の背後には、その国の何百万、何千万の国民の「同意」や「了解」があるんですよ。
    >> 当たり前の話ですが。どこの国も同じ。「我々の事情や決定は、相手国のそれより優先されるべきである」という暗黙の、または明白な了解。事情や決定の部分に、権益だの神だの民族だのが入っても同じです。
    >> 更に言えば紛争当事国だけでなく、当事国の決定を、国益を共有するという理由で支持・黙認した国とその国民も、同じ立場に立つ。そう考えれば、私が「そういう考えの方が世界ではむしろ一般的」と言った意味が分かるでしょう
    >> 【他国の為に自国の犠牲を受け入れる、なんてケースは基本的に存在しない】のです。それくらいのリアリティは持っていないといけません。

     提示されている解答の核心を《スルー》してしまっているから、堂々巡りになる。スルーしているだけでなく、平和主義の掲示版の趣旨に適う、適わないへと論点が拡散し、あるいはすり替えられて、個人の投稿の適格性に及んでしまってるわけである。重要な論点が《スルー》されるのはおかしいと観ているし、逆に、スルーするに足る重要な論点が他にあるということであれば、是非ともそれを示して頂きたいし、それをずっと眺めながら待っている。← 再確認の箇所

    上記の海のYeahさんによる解答については、その通りである、ということで私は同意します。なぜなら、それらが実際に《観測》されることだからです。

    ======再掲終わり======

    〜であるべきだという話と、〜であるという話は、

    区別されなければなりません( ̄▽ ̄)b

    〜であるという話は、《認識》です。

    〜であるべきだという話は、《判断》ですが、判断する上では《認識》が先立ちます。

    いずれにせよ重要なのは、《認識》です( ̄▽ ̄)b

    -----------------

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62 【25659】Re: 一般とは? 〜 平和主義とは何か・その5
沈黙の朱夏    2014-9-25 17:39:14  [返信] [編集]

    続きの《その5》です。

    《その4》はややこしいので後回し。
    ー    但し、基調として憲法9条を原理的に《擁護》するという方針に変わりなし。むしろ本稿では、《非武装論》を異なる視点で結果的に擁護するとなる。

    設問に入りましょう。

    【問】
    我々は、社会の有り様を認識できる。特に科学的に認識することができて、その認識のもとで、社会を改革しうる。

    《はい》でしょうか? 《いいえ》でしょうか?

    ・・・

    ・・・

    【答】
    答えはどちらでもいいんですが、設問の趣旨としては、そう考える、つまり科学的認識が可能だとするのが《マルクス主義》であるということを、確認するというところにある。

    最初に《認識論》ありき。とはいえ、認識論を意識せず、社会改革論を唱えることが往々にしてある。

    ありますよね( ̄▽ ̄)b

    認識論すらなくして社会改革論を唱えられるなんておかしい、

    そう言いたいのでは、ない。

    それなくしてそれが成り立つということは、

    理性によらず常識による、ということでもある( ̄▽ ̄)b
    ー    他方で、常識によらず、政治的な動機によっても立論できる。道徳論でその動機について論じたのがカントでした。

    以上は前置き。

    遅漏じゃあヽ( ̄▽ ̄)ノ

    ではさくさくと絶頂に昇り詰めていきましょう。

    設問の趣旨はシンプル。

    《戦争》を消滅させるにはどうするか? ですから。

    設問は僅か四つです。

    【問1】
    戦争を消滅させるには、徹底して大規模なそして同時的な《全面武装解除》を行うことである。

    《はい》でしょうか? 《いいえ》でしょうか?

    ・・・

    ・・・

    次、(笑

    【問2】
    戦争を消滅させるには、社会集団の成員の《集団愛》を消去することである。

    《はい》でしょうか? 《いいえ》でしょうか?

    ・・・

    ・・・


    これはまとまる原理の反対の、まとまらない原理をなんらかの方法により、ヒトに実装してしまう、ということです。

    次、

    【問3】
    戦争を消滅させるには、害のないそして象徴的な《戦争代理物》となる何かを発明することである。

    《はい》でしょうか? 《いいえ》でしょうか?

    ・・・

    ・・・


    スポーツ以上の何か、となる。

    次、

    【問4】
    戦争を消滅させるには、知性により攻撃性をコントロールする。我々のこの状態(破滅と隣り合わせの状況)を作り出したのは、知性であるから、知性により知性をコントロールすべきである。

    《はい》でしょうか? 《いいえ》でしょうか?

    ・・・

    ・・・

    (如何でしょうか?)

    ネタバレすると、

    上記は、私が尊敬する動物行動学者であるデズモンド・モリスがその(著名な)著書である「裸のサル」、

    その5章・《闘い》で、我々はヒト猿が滅亡を免れるにはそうした選択肢を真面目に検討せざるを得ないとして、提示している提案です。

    もっともそれらは抜本的に解決するならそうだ、ということなので、

    政治的現実性を差し置いてのこと。

    とはいえ、我々の時代における戦争は、自滅と隣り合わせであるのでモリスは、

    これらをそういう《方向》で我々は《併用》すべきではないか、と提示しています。

    どれもが即時実現することは難しいが、

    方向性はそれであり、それぞれが現実との見合いで漸次的にしか進められない以上、

    それらを、それ以外の提案を含めて、進めるべきであろうし、道程は険しいが怠るべきではない。

    そういう主張です。

    ・・・

    ・・・

    設問に対する私自身の答えは全て《はい》です。

    どれもこれも無理っぽいですけどね( ̄▽ ̄)b

    もちろん、非武装は無理ですよ、相手の都合というものがあるから。

    それは現実主義です。

    同時に、あ〜、放置していたらそれもヤバいだろう、

    それも、現実主義です( ̄▽ ̄)b

    非武装論は現実的ではないが現実的でもある。

    現実主義と理想主義は必ずしも対立するものではない。

    どちらも人間の考えること( ̄▽ ̄)b

    構成的理念、統整的理念について言及したけれど、

    それらは優劣ではなくて、

    区分する必要があるということです。

    統整的理念とは、定める方向となります。

    非武装論は原理的にも、(違った意味での)現実主義的にも、イキであるというのが私の意見です。

    憲法9条の擁護論になっているでしょうヽ( ̄▽ ̄)ノ

    それを構成的理念と錯誤すると、

    現実主義により反論を受けるというより、理想主義が自ら閉じてしまうことで貴重なものを自ら手放すことになる、かもしれないと、柔らかく釘を刺しておきましょう( ̄▽ ̄)b

    -----------------

    追記しておきましょう。

    モリスが我々ヒトの闘争行動をどう観ているかと言えば、以下の通りです。

    ◇動物は順位制や縄張り行動を通じて優位を示すことを攻撃の目標とするのであって、破壊や殺戮を目的とするのではない。

    ◇我々ヒトも動物であり、闘争行動は基本的に他の動物と異なってはいない。

    ◇しかし、我々ヒトに備わっている《群れの協力性》と攻撃方法における《遠隔攻撃能力》とが結合した結果、競争者は敗北させられるにとどまらず、無差別的に殺されるようになった。

    こうした認識を前提に、我々が自滅のジレンマを脱するには?というのが、上記の四つの方向性(処方箋)です。

    -----------------

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67 【25665】Re: 一般とは? 〜 平和主義とは何か・その4
沈黙の朱夏    2014-9-26 8:12:06  [返信] [編集]

    平和主義とは何か、《その2》の続きであるとともに、「常識哲学」からの続きです。

    ==================

    なだいなだ
    "常識があればみんな平和を求めます" 

    トマス・リード
    "エピクロス派を除いて、古代の学派はみな、honestumとutileを区別した。 ちょうどわれわれが、ある人にとっての義務と利益とを区別するように"

    ==================

    常識哲学の祖であるトマス・リードは、美徳と利便、義務と利益の《区別》を説きました。

    その美徳や義務、利便や利益をキーワードに、

    本稿ではスレッドを跨いでの平和主義と常識哲学とを合流させます。

    さて、《その2》では、平和主義とは何かについて、近刊でのこちら(↓)を取りあげました。
    http://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/03/102207.html
    (松元雅和/関西大学、「平和主義とは何か〜政治哲学で考える戦争と平和」、2013/03,中公新書)

    著者によるこうした問題提起(↓)には、十分に意義があると観たからです。

    >> 平和を愛さない人はいないだろう。だが平和主義となるとどうだろうか。今日では単なる理想論と片付けられがちだが、実はその思想や実践は多様である。
    >> 本書は、「愛する人が襲われても無抵抗でよいのか」「正しい戦争もあるはず」「平和主義は非現実的だ」「虐殺を武力で止めないのは無責任」といった批判に丁寧に答え、説得力ある平和主義の姿を探る。
    >> 感情論やレッテル貼りに陥らず、戦争と平和について明晰に考えるために。

    その上で著者の論に肯定的な書評を紹介しました。こちら(↓)でした。
    http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013052600007.html
    (朝日、萱野/津田塾大学、「平和主義とは何か〜政治哲学で考える戦争と平和」、松元雅和著、2013/03、中公新書)

    本稿では、逆に、現実主義の立場から、松元氏の論に対して批判的な評論を取りあげて観ます。こちら(↓)です。
    http://d.hatena.ne.jp/Donoso/touch/20130506/136783870806 20:11
    (Valdegamas侯日常、「われわれは今や全員が平和主義者である?〜松元雅和・平和主義とは何か」)

    個人さん(専門家?)による優れた論考であり、全体に目を通されることを勧めますが、

    松元氏の平和論(平和優先主義)に対して批判的な論者(現実主義)が、論争上《抗し難い魅力》としている後半部の箇所につき、限定して紹介し、論評を加えてみましょう。

    >> むしろ本書において魅力を感じさせるのは、義務論のキレのよさである。
    >> あるべき立場を変えず、「正しいことをしようとして、結果的に予期せぬ犠牲が出るのは仕方ない」とする二重結果論の濫用の危うさを指摘し、極めて限定的な(およそ戦場では成り立たない)条件のみを認める。
    >> その厳格さは確かに実用性という点では問題をはらんでいるが、著者自身がカントの義務論は「帰結主義に対する一種の制約要因(p.67)」であると指摘するとおり、帰結主義で行動することへの迷いや躊躇といった、「感覚的な重み」を与えるものであり、これこそは平和主義の力の源泉たりえるのではないかと感じられた。

    《義務論》とは、松元氏が実用的でないとして切り捨てた/却下した《絶対平和主義》の拠って立つところのものです。

    松元氏は義務論に基づく絶対平和主義を却下しながらも義務論を評価していて、《二重結果論》の危うさ等を指摘している。

    そして論者は、松元氏が絶対平和主義の却下とともに遠ざけた義務論は、松元氏が立脚する《帰結主義》を牽制しうるではないか? それこそがむしろ平和主義の《力の源泉》ではないのか? としているわけです。

    帰結主義とは理性の働きである、と常識哲学の項にて申し述べました。

    論者は、義務論の与える《感覚的な重み》に、帰結主義(理性の働き)を躊躇(ためら)わせる力がある、と指摘している。

    トマス・リードは、理性に先立ち直観的に判断する能力が我々には先験的に備わっていて、それを《常識》としていました。

    帰結主義を牽制する義務論と、理性を補完する常識とは、

    パラレルの関係にあると私は観ています。
    ー    前者が平和主義、後者が常識哲学です( ̄▽ ̄)b


    >> むしろ評者が抗しがたいと感じたのは、著者が実用性の点から切り捨てた、トルストイ的な絶対平和主義であった。ひたすらに戦争を人間のとるべき態度ではないものとし、義務論にしたがって戦争を拒否する思想、これは義務論の性質もあって極めて堅固なものである。二重結果すら否定するそれは結果責任を是とするオーソドックスな政治のあり方とは相いれないものであるし、その意味で政治の現場で敗北する可能性は否定できない。政治が秩序と暴力を司るものである限り、絶対平和主義は個人が採用する態度という枠を出ることがない、非政治的なイデオロギーと言えるかもしれない。

    >> しかしながら、著者が指摘するとおり、義務論の真骨頂が帰結主義を制約し、「感覚的な重み」を与えることにあるとすれば、このような態度を貫き通す立場があること、人間がいることの方が、彼ら自身にたとえ実用性がなくとも重要であると思われた。このような人間が存在し、その立場が人間の精神に訴えることを政治的人間が意識するならば、政治のあり方には何らかのニュアンスの変化が与えられるからだ。あまりにもナイーブな話かもしれないが、非平和主義者たる私は、実用性を訴える平和優先主義なるものより、このような態度をどのようにくみ取るかの方が、アートとしての政治の課題のように感じられた。

    絶対平和主義が個人的信条の域を出ない非政治的イデオロギーであるにせよ、

    帰結主義と義務論との《関係》において捉え直してみれば、

    それは、帰結主義と結んだ平和優先主義より潜在的に魅力的であり、

    捨て難い、としているわけです(↑)。マイ読解。

    また、ここでなされている論というのは、

    《その3》で紹介したマガジン9条での絶対平和主義論、

    そこでの構成的理念と統整的理念の区別を巡る主張とパラレルである、と私は観ています。

    絶対平和主義は原理的にも、(違った意味での)現実主義的にも、イキであるというのが私の意見です。

    憲法9条の擁護論になっているはず( ̄▽ ̄)b

    蛇足ながら、それを構成的理念と錯誤すると、或いは政治的イデオロギーとしてもて遊ぶようであれば、

    現実主義により反論を受けるというより、理想主義が自ら閉じてしまうことで貴重なものを自ら手放すことになる、かもしれないと、柔らかく釘を刺しておきましょう。

    -----------------

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79 【25691】今そこにある集団的自衛権の問題点〜力でカタをつけようにも出口なし
沈黙の朱夏    2014-9-28 10:34:54  [返信] [編集]

    力でカタをつけようにも終わりが見えない戦争に踏み込んでしまったという指摘がなされている(↓)。

    http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPKCN0HL02V20140926?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0
    (ロイター、コラム、「米国が踏み出した終わりなき戦争」、2014/09/26)

    > 読者の頭が混乱するのも無理はない。しかし事態を理解するのに十分な時間はある。メイビル作戦部長が言うように、この戦争は何年も続くだろうからだ。

    > 当事者にも結果が想像できない戦争は、出口のない戦争だ。シリアやイラクの各組織は、どれも簡単に負けるようには見えないが、どこか1つが突出して強いようにも見えない。米国の介入がなければ、現在の対立は一段と激しくなるだけだろう。ただ米国の介入について言えば、国防総省でさえ出口を予測しようとしていない。

    > シリアでの空爆に踏み切ったことで、この戦争はオバマ大統領の戦争となり、次の大統領の戦争、そしてわれわれの戦争になった。われわれは、恒久平和のための終わらない戦争に足を踏み入れたのだ。

    恒久平和のための終わらない戦争、と形容している(↑)。

    そうだ、と観ているし、同時に、

    米国や欧州諸国、湾岸諸国が対イスラム国で協調してその殲滅を図ろうとしているが、

    それは《巨大な趨勢》に抗するということでもあるので、

    恒久的な解決には全く至らないと観る。叩いても叩いても終わりはない。

    戦争を紛争と呼称を変えても、戦争は戦争だ。

    しかも構造的に根深く、終わりのない戦争が起こっている。

    先進国間での戦争は、軍事から経済に転位して見かけ起きなくなったが、世界で見るなら方向性は逆である。平和から戦争へである。

    その戦争には出口がないから、国際平和貢献や国際紛争解決支援等の名目で、安易に軍隊を、同盟国に対しても国連に対しても供出すべきではないと考える。

    従って、国際平和貢献論に即した外務省主導の積極的平和主義には、反対である。

    抗しがたい《巨大な趨勢》というのは、世界の《人口動態》である(↓)。
    ー    およそ4年前の投稿であるが、加筆し再掲載としておく。

    戦後の戦勝国による国際秩序が人口圧力で綻(ほころ)んでいる。

    特に、英仏による中東アフリカ地域での《人工的な縄張り》、つまり、民族や宗教というエスニックな単位を意図的に無視して国境線引きを行ったことが、

    今日の人口圧力のもとでの地域の混乱を助長する《遠因》〜火種〜として作用している。

    戦後体制での人工的な国境線を再編しないと収まらない。
    ー    人工的に線引きされたイラクで何度選挙をしようともシーア派政権が出来るのは当たり前だ。

    しかし、欧米はそれらの人工物を《戦後秩序》として守る姿勢なのであるから、収まらない。


    ========再掲始め=========

    「世界」がどうなるかは、法則によっては導けないが、現状をもとに一定期間に渡り、ある側面についての予測が可能である。それが《人口》だ。

    人口に注目するのは、「地政学」(ジオポリティックス)とともに「戦略人口統計(SD)」の考え方を支持するからだ(↓)。

    http://www.nikkei.co.jp/neteye5/sunohara/20070513n9a5d000_13.html
    (日経ネットアイ)
    ー   加筆注記。今現在リンク切れ。

    また、進化生物学の知見により、ヒト(雄)の性質が、人口構造を通じて、《集団社会心理》に強い影響を及ぼすと観るからだ。

    http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000265_all.html
    (出所:長谷川、「ヒトがヒトを殺すとき〜進化論からのアプローチ」)
    ー   加筆注記。暴力や戦争は、ヒトの問題というより、専ら、ヒトの雄=《男》の問題です( ̄▽ ̄)b


    【世界人口の近過去、現在、近未来...の姿】

    まず、近過去→現在でどうだったか?であるが、「世界各国人口規模の推移」(1950vs2005)は、こう(↓)なっている。
    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1166.html
    (出所:社会実情データ)
    >>1950年 
    >>世界人口は25億人に達した。中国とインドは既に最も人口の多い国であった。ヨーロッパや北米のような先進国の人口は約3分の1であった。 

    >>2005年 
    >>世界人口は2.5倍の64億人に達した。ヨーロッパの人口増はおだやかであり、人口増の多くはアジアとアフリカで生じた。後進国は4分の3の人口を抱えるに至った 「人口爆発」は、いわゆる先進国でのそれは20世紀前半をピークに下降局面に入り、変わって途上国でのそれが進展している。

    次に、現在→近未来でどうなるか?であるが、こちら(↓)に基づいて計算すると、
    http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/1_Future/1_doukou/1-1-A12.htm
    (出所:国立社会保障人口問題研究所)

    2025年に世界人口は79億人に達し、うち先進国の人口が12.5億人(16%)、途上国の人口が66.5億人(84%)となる。(2000年でのそれは、先進国20%、途上国80%である。)

    そして、こうした傾向は、人口が90億人に達する2050年まで続く。

    確実に言えることは、先進国での人口は、マイナーなものとなる。 (票決主義によるなら少数派)

    途上国では、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、中東と各地域が人口増加に寄与する。

    中国を除くと、文化的には、「宗教文化圏地域」での人口が増加し、それが多数派となる。近似的に、アフリカ、中東、東部アジアとインドを除くその他のアジアを、広義の「イスラム文化圏」とみなすと、それら地域が世界人口に占める比率は、推計で30-35%に達する。

    それは、1950年時点での先進国の世界人口比と同等となる。

    広義のイスラム文化圏とみなす、という仮定(見積もり方)の妥当性については、ハンチントンを併せ参照(↓)。p28-p32。
    URL省略。
    (サミュエル=ハンチントン、「文明の衝突と21世紀の日本、2000、集英社)

    ただし、ハンチントンは、文化を捨象し過ぎているから、松岡(↓)を併せ参照。むしろ、私見に近い。
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1083.html
    (松岡、千夜千冊、「文明の衝突」)

    >>そこばかりを見ると、さまざまなエスニック・ステートとナショナル・ステートの摩擦や衝突が看過されるし、またその文明の衝突の勝ち負けを予想することがそんなに大事なことかという気にもなってくる。

    >>なんといっても、それでは文化を軽視することになる。


    人口から推測される近未来の世界の姿は、

    趨勢1) 途上国がなおいっそうの多数派を形成する。(票決主義によるなら多数派)

    趨勢2) そして、それら地域では、労働人口、青壮年人口が多い。

    趨勢3) これは、資源制約・環境制約が働かなければ、経済的観点では「成長」を意味する。他方で、戦略人口統計(SD)と進化生物学の観点では、地域社会での「不安定な政情」がなおも続くことを意味する。
    ー   加筆注記。成長とは《人口ボーナス》と言います。社会経済が安定していれば、プラスに働く。そうでない場合、社会秩序にマイナスに働く。

    趨勢4) 文化的観点からは、広義の宗教人口とその影響力の拡大を意味する。特に《イスラム文化》が影響力を強める。

    趨勢5) 経済的観点からは、偏在した石油資源を埋蔵する中東地域では、不安定な政情がなおも続く。(進化生物学の観点で、当該地域において偏った原理主義運動が生じていることは、故なきことではない。)

    など。

    また、以上から、派生する問題としては、

    問題1) 人工的な国民国家群は、より小さなエスニックな単位での、分裂による再編を迫られるだろう、 (先行する事例が、バルカン半島諸国)
    ー   加筆注記。その後で言えば、目下の中東でのシリアやイラク、ウクライナなども同様。或いは、スコットランド独立運動や欧州地域内でのそれも同様。

    問題2) あるいは逆に、人工的な国民国家群をシビックな理念・理想で束ねようとする場合、それが西欧的な価値のもとで行われるとは、限らない。
    ー   加筆注記。例えば、最近で言えば、ロシアの行動である。そして、《イスラム国》である。

    問題3) 西欧的理念で国民国家を束ねようとするシビックな価値と、宗教の中でも「汎宗教的」であるイスラムのシビックな価値とが衝突する(しているし、し続ける)。
    ー   加筆注記。極端な形で現れているのがイスラム国。

    問題4) 特に、西欧由来の近代憲法における政教分離の「二重規範」は、宗教=法=世俗法であるイスラム諸国にとっては、受容しがたい。
    ー   加筆注記。一連のアラブの春にせよ、議会制民主主義を形式的に導入しても、イスラムの保守政党が与党とあることが当然に起こり得て、その場合は政教一致を志向する。

    など。

    個々人のレベルでの、宗教を信じる信じないは、全く「関係ない」。人口の動きと、人口の分布に即した文化の分布というものから、そうなる、(控えめに言って、そうなるだろう)ということだ。


    ======== 再掲終わり =========

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