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12月12日

また、間隔があいてしまいました。失礼しました。
現在の感想を書きます。
まず日本についての感想

ある新聞の記者が電話をかけてきました。
「鳩山内閣は混乱しているようですが、どう見られますか」
「混乱してはいけないですか。良寛和尚式にいえば、混乱する時は混乱しな
さいです。その必要があるから混乱する。それともあなたがたジャーナリスト
は、一糸乱れず行進する閲兵式風の軍隊のように、内閣も整然と行進して
いなくてはいけないとお考えですか」
「いいえ。ま、少しの混乱はあっても仕方ないですか」
「そもそも、沖縄問題は、そんなに緊急性のある問題ですか。それよりも沖
縄の未来がかかっているのです。じっくり考えるべき問題ですね」
「でも、日米同盟はどうなりますか。日米関係は最悪になると心配する人も
います」
「心配する人もいますなんて、白々しい。あなたが、そう思っているのではな
いですか」
「いやあ、白々しいなんて・・・。そういわれれば、最悪とはどういうことなのか
な」
「関係というからには、二つの当事者がいます。アメリカと日本です。アメリカ
にとっては、これまでの自公民政権のように、ハイハイということを聞いてく
れる政府がなくなったのは、痛いでしょう。日本はどうですか。昔の冷戦時代
にはアメリカに依存する理由もたくさんあったでしょう。今は、昔よりも緊急に
依存する必要のある状況ですか。強引に早く結論を出せと迫って、日本の
国民を怒らせて、決定的にアメリカとの同盟関係にヒビがはいったら、困る
のはむしろアメリカの方でしょう。冷戦構造が壊れた今は、日本にとって、沖
縄の基地をどうするか、日本にとってどういう意味があるか、考えるに良い
時期ではないですか。敗戦後60年もたっているのです。アメリカによる沖縄
の占領状態を終わらせる機会は今をおいてありませんよ」
「沖縄の気持ちも分かるけど、国益を考えれば」
「沖縄に我慢してもらう他はない、とその人はいうのですか」
「まあ、そのようなことを」
「自民党の有力政治家がこれまでいっていたのとおなじですね」
「国益はどうなってもいいのですか」
「その国益という考え方が問題ですよ。沖縄は日本ではないのですか。沖縄
はつねに日本の国益のために犠牲にされて来た。アメリカの基地が本当に
必要なら、日本の本土が少しは犠牲になればいい。それに都合のいいこと
もある。今、関空が大赤字です。アメリカに関空の一部を基地として使わせ
れば一石二鳥ではないですか。日本の防衛のためという国益のためにな
ら、それくらいの犠牲を本土も払うべきです。しかも関空の危機を救う。そし
て沖縄県民のこれまでの苦しみを本土の人間も味わってみるのもいいでは
ないですか。アメリカは日本の防衛のために沖縄の基地が必要なのではな
い。勝手に起こしたアフガニスタンやイラクでの戦争をサポートするために重
要なのです。海兵隊は日本から、アフガンに出発するのではないですか。日
本の防衛に必要なのでしょうか」
「でも、アメリカが、そう簡単に譲歩するとは考えられませんが」
「簡単に譲歩をしないでしょう。だから長くかかる。しかし、長引けば困るのは
アメリカです。だから、早く決めろという圧力をかけているのです。ここは《政
権の内部事情が複雑なので、結論を出すのに時間がかかる。もう少し待っ
てくれ、時間をかしてくれ》といっている方が得策です。信頼関係を損なうとい
う人がいるようですが、信頼関係とはなにですか。日本の国民に対し、核持
ち込みに関して、歴代の総理大臣に嘘をつかせていたのは、日本を信頼し
ていたからですか。少なくとも日本の国民を信頼していなかったことになりま
す。鳩山内閣は、国民の皆さんと一緒にやって行きたいといっています。保
守合同の時にCIAから岸は金銭的援助を受けました。岸は信頼されていた
のですね。国民は信頼されていなかった。政府間の密約などが交わされる
信頼関係を、まだ続けたいと思いますか」
「ナダさんは過激ですね」
「いやいや、おとなしいものです。むしろ外交は原則ではない、駆け引きだと
いうことを、若い政治家たちのいいたいだけです。喧嘩の仕方も知らないで
大人になった連中に教えたいのです」
「喧嘩の仕方ですか」
「そうです」
「喧嘩したらアメリカとの友好関係はどうなりますか」
「喧嘩は友好関係を損ないません。喧嘩友達はながい友情の関係のかたち
です。ともかくいまの政治は、混沌としているから面白い。どっちに転ぶか分
からない。そのスリルをしばらく味わっていましょう。それより小沢幹事長の、
二個中隊ぐらいの議員やその他の人々を引き連れての、訪中をどう思いま
すか」
ぼくは逆質問しました。あいては首を傾げていました。
「じゃあ、ぼくの見方をいいます。小沢は、日本の外交が、東アジア重視に方
向を転換するぞ、というアメリカに対するプレッシャーをかけたのです。アメリ
カに対する示威です。アメリカよ、ごりごり圧力をかければ、日本は中国との
同盟を結ぶかもしれないですよという警告ともとれますね」
「なるほど、鳩山首相に決断を遅らせるようにさせているのは、小沢幹事長
ではないかという気がしてきましたよ。だとしたら、かれはかなりやりますね」
「一筋縄では動かない。かれは日本のケ小平のような最高実力者の存在感
を持ってきましたね」

 ぼくの今の感想がこのやり取りに現れているので、ここに紹介します。
某紙のデスクは、記者の記事をボツにするかもしれないので。


10月5日 鳩山新内閣とバラク・オバマ自伝「マイ・ドリーム」

 感想です。
 九月十七日、鳩山新内閣が発足しました。それから、まだ二週間とちょっ
としか経っていないのですね。でも、もっと長い時間が過ぎたような印象で
す。
 内閣発足の日に、この感想は書き始めたのですが、締め切りの原稿など
で中断していました。「しばらくは、この内閣のやることを、じっと観察すること
にします。ぼくたち老人は、長い間の日本の政治を見てきたので、かなり政
治不信に陥っていますが、評価するには、しばらく待たねばならぬことは分
かっています。だから、待ってしばらくは見守りたいと思います。鳩山首相
が、国連総会出席の機会にアメリカに行き、そこでオバマ大統領と会見し、
どんなことをいうのか、総会ではどのような演説をするのか、などなど、見る
ことはたくさんあります」と書いたところで中断でした。
 その全てが、一応済んだところです。ま、かなり努力しているところは分か
りました。権力を掌握し、その権力を使って何をするのか、少しは見えてきま
した。
 天下り廃止には本腰を入れるようです。数年前、全家連(全国精神障害者
家族連合会)が破産しましたが、そこにも官僚が天下りし、補助金をもらい、
(もらうために無理な事業を起こし)借入金の返済ができなくなったのです。
小生の元患者で、病気からの回復後、この連合会の誕生に力をそそいだ人
が、事業拡大に反対して、天下り官僚に追い出され、告発の本を出しました
が、最近になって、ようやく検察が動いたようです。天下り官僚としては小物
ですが、少々の告発では検察は動きませんでした。天下り官僚が、せっかく
育った精神疾患の患者家族会の連合を、政治に巻き込んで潰してしまった
のです。
 政権交代で、検察すら、ちょっぴりは変わるかもしれません。

 それから、今、偶然本屋で手に取ったバラク・オバマ自伝「マイ・ドリーム」
を読んでいます。英語の本を買ったのですが、翻訳が出ていることを知り、
そちらを読んでいます。原書の初版はなんと1994年です。そして2004年
に改訂版が出た。日本語の訳も、2007年に出されたものです。大統領に
なったから、慌ててゴーストライターに書かせて出版させたような類いの本で
はありません。米民主党の大統領候補になる前に出されたのです。しかし、
これがすごく面白い本です。面白いという言葉が、貧弱に感じられるほど面
白いのです。バラク・オバマが、大統領選挙で勝つ前に、この本を読んでい
た人は幸せです。大統領に当選した人という偏見を持たずに、ある若い政
治家の自伝として、読んで純粋に感動できたのですから。大統領選挙の前
に書かれたこの本に、かれが若いころ、大麻や麻薬をのんでいたことがあ
ることも書かれているほど、正直な自伝です。
 今、あちこちにマーカーで線を引きながら読んでいます。読み始めたら、途
中でなかなかやめられない。アメリカ合衆国は大した人間を大統領に選んだ
ものです。この人に二〇年ほどアメリカ合衆国の大統領をやっていてもらい
たい、と思ってしまいます。でもアメリカ憲法がそれを許さない。
 残念です。もう読んでしまわれた人も多いと思いますが、読まれていない人
には、是非読むことをお勧めします。


8月31日

 選挙の結果を見ての感想です。
 ぼくたちがやろうとしていたこと、(自公を退陣させること、しかも徹底的に
敗北させること)は実現しました。それが第一ですが、その他にも、この選挙
にはどのような意味があったか、考えてみました。

 戦後六十五年経って、首相を有権者の投票で直接に決めることができま
した。単なる偶然か、鳩山一郎の孫を選ぶか、吉田茂の孫を選ぶか、という
選択になってしまいましたが、ともかく有権者のわれわれがキングメーカー
になれたのです。まだ、鳩山と吉田の影を引きずっていますが、二人の生き
た姿を見たことのある人は、有権者の中にも少なくなってきているでしょう。
 次の大きな意味は、公明の小選挙区での敗北です。代表と幹事長を落選
させたことです。これは浮動票と呼ばれていた層が、選挙に参加して、高い
投票率がえられた結果です。偉い人(ボス)の指示通りに投票するものを、
自分の考えで投票する人たちが、上回ったということです。民主主義にブレ
ーキをかけていた宗教票の限界を悟らせることになればと思います。宗教
は政治と切り離さなければなりません。
 それと、女性議員の数が一気に増えたことです。日本の政治も見た目が
華やかなものになるでしょう。戦後第一回の選挙で、日本に女性議員が初
めて登場したのを見た人間としては、それからが長かったなあという思いで
す。
 戦後、硬直してきた外交にも、柔軟性が戻ってくるのでは、と考えます。世
界で一番硬直した外交官が、日本の外務省の外交官でした。
 さて、前回にも触れましたが、これから高齢者の健保、年金の問題など、
解決可能な方策、制度の変更を考えていくときがきました。政権の選択の時
には、頭が熱くなって、意見の違いが罵りあいになったりしがちですが、今後
四年の時間があります。ゆっくりじっくり考えていきましょう。
 生活苦からの自殺をへらすこと、ワーキングプアの問題を解決すること
は、緊急の課題ですが、きびきびしたスピード感ある対策を打っていけば、
それができた政治家は、きっと名声を得ることでしょう。腕のみせどころで
す。
 ぼくたちはじっと見守りましょう。厳しい視線は、政権交代しても変えること
はありません。これが、とりあえずの感想です。
 ほっとしたら、ちょっぴり疲れが出ました。飄飄としているつもりでしたが、
あちこちに、かなり力が入っていたのでしょう。


8月28日 その次は

 いよいよ選挙が近づいてきました。
新聞やテレビなどの予想によると、どうやら政権交代が行われそうな雲行き
です。政権交代を、と主張し、後期高齢者健保は廃止を求めてきたぼくたち
ですが、これで、ようやく第一歩を踏み出すことになります。2003年の発足
から数えて、六年と数ヶ月、「もう」とも思えますし、「やっと」とも思えます。し
かし、これからが大変です。
 健保はだれがやっても解決の難しい問題です。アメリカでも、圧倒的な支
持を得て当選したオバマ大統領ですが、健保問題では、なかなか手こずっ
ているようです。
 ぼくは健保でかかれる病気を、ある程度制限する方向に進むべきだと思
います。いわゆる風邪引きは、医者にかかるなら自費で、かからないなら、
自分で薬剤師と相談して薬をのむ。クスリはのまないで、しょうが汁を飲むと
か、ねぎの熱いスープを飲むとかの、それぞれのおふくろ伝来の風邪の対
処法などをやるのもいい。そのかわり肺炎を起こしそうだったら、ためらわ
ず健保を使って医師の治療を受ける。擦りむき傷は、昔のように、親が消毒
薬を傷口に塗ってやればいいのです。アルコール依存の患者の治療は、酒
税から出させる、というのはぼくの40年来の主張です。このあたりでまじめ
に取り上げてもらってもいいですね。
 老人党は先をいきましょう。これから、そういう面で議論をリードする存在
になれたらいいですね。


8月4日

報告

 この欄で、軽井沢町長に、ゴミ問題で思いあまって手紙を書いたことを書
きましたが、その後の報告です。今日、数日遅れで(鎌倉は温度が上がら
ず、避暑に行く理由がなかったので遅れた)軽井沢の別荘に来ました。築四
十一年の別荘は、僅かの間に草のせいが伸び、ブヨにさされたくなかった
ら、明日は草刈りに専念しなければならないでしょう。さらに、風呂に問題が
起き、今日は風呂にも入れず、お湯が出ないので、皿洗いもお休み。
しかし、よいこともありました。
あの大きな袋に入った庭のゴミはどうなっているか、まず到着早々に、庭の
松の木の根元を見たのですが、消えていました。町役場の人が撤去してくれ
たらしいな、と直ぐに思いました。そして入り口のドアを開けると封筒が落ち
てきました。差出人「軽井沢町生活環境課防犯係」。封をあけると町長から
の小生への返事が書かれていました。ゴミは町で撤去した。今後も同じよう
な不法投棄があれば、電話をくれれば撤去するとのこと。手紙を書いた甲斐
はありました。
当然のこととは思うけど、老人は礼儀正しい。礼をいいます。町長、感謝しま
す。
ともかく一安心。近くにゴミ集積所がないことは町でも認識しているので、近
隣で話し合って、ここに置いてくれというところがあれば、設置するとのこと。
小生の隣は、空き地があり、所有者が草も刈らず、倒木も処理せず、ブヨの
隠れ家にもなっているので、地主に交渉して、ここに集積所を設置してもらえ
ないか、提案してみようと思います。
一応、解決のめどが立ちました。解決まで、時間がかかりそうですが。とも
かく、ダメでもともと、やってみること。手紙を書いたのは正解でした。

掲示板に寄せられた意見について

 選挙モードにスイッチが入ったせいか、掲示板がぐっとにぎやかになりまし
た。本来は老人党掲示板に送ってもらいたい書き込みが、多くなりました
が、選挙が終わるまで、我慢します。

怒りについて

 老人党を立ち上げたのは、老人が馬鹿にされているのを感じた怒りからで
した。
しかし、ただ怒りを相手かまわずぶっつければいいというもではありません。
掲示板にはそういう八つ当たり的なものがかなりあります。目的を達するに
は回り道することも必要です。目的地が目の前に見えているからといって、
真っすぐにすすめばいいわけではない。目的まで何が障害になるか地形を
観察するのが第一です。
そしてベースキャンプを何処に置くか、登攀のコースをどうするか、を研究し
なければいけない。しかも登坂途中で気象その他の条件を考えて、決断しな
ければならないこともある。
前にも書きましたが、自民と民主は八割がた同じ体質の人たちです。憲法
の問題、経済の基本問題など、危ない感じの人も民主には混じっています。
マニフェストにも気に入らないところがある。しかし、当面、政権交代が第一
歩とぼくなどは考える。鳩山も、マニフェストが実行できなければ、直ぐ下野
の覚悟であるといいます。こうして政権交代が何回か起きるうちに、能力の
ない二世三世議員は姿を消すでしょう。突然、ポピュリストの政治家が、ヒト
ラーやムソリーニのように出てくる可能性もあるから(最近の人気知事には
そんな感じを持たせる人もいる)、注意をしなければいけない。しかし、とりあ
えずの目標に、力を集中しなければ、第一歩を踏み出すことが出来ません。
怒りを直ぐに爆発させず、回り道が出来ることこそが知恵を持った老人にふ
さわしい。老人は、同時にどんな危険の芽にも、目配りも怠らない。怒りはそ
のように変えていかねば、政治を変える力にはなりません。
残念ながら、目標の峯に登るための作戦を描くようなマニフェストを書いてく
れるような政党は見当たりません。共産党も、分析は正しいし、遠い目標と
しては、多くの人が望むことを書いている。しかし、書かれていないのは、自
分たちの目標を達するには、どういう行程表が考えられるかだけです。しか
し、これが実用的には大切です。民主主義の現体制のもとでの行程表を書
くことが残されています。


7月30日 感想

軽井沢町長からは、未だに返事なし。八月一日に軽井沢に行き、現状を見
て、次の行動を考えます。
選挙間近ということもあって、原稿の依頼が多く、医事新報の巻頭コラム「プ
ラタナス」にも「老人の一票」という題で、老人党について書きました。全国の
医師の間に広く読まれている雑誌です。これまで医師会は、自民党の支持
者が圧倒的多数を占めてきた団体ですが、ここでも変動が起きているようで
す。
次の日曜日、八月二日の東京新聞に、老人党は今、というような題で、大き
くインタビュー記事が載ります。老人党発足当時、この新聞は、われわれを
大きく取り上げてくれましたが、当時の責任者は、二年半アメリカに転勤とな
り、特派員としてオバマの選挙に密着取材していました。最近日本に帰任さ
れ、再び老人党を追跡してくれることになりました。

さて、ここからが、本題です。

題は「民主党よ、焦るな」としましょう。
民主党はマニフェストを発表しましたが、このマニフェストを読んで、「鳩山
よ、民主党よ、焦るな」と声をかけたくなりました。そんなにばら撒かなけれ
ば、勝てないと思っているのか。待っているだけで、熟した果実が落ちるよう
に、政権は民主党の手に落ちてくるのに。このマニフェストは、票欲しさに、
ばら撒きの約束をしすぎています。有権者は、もう少し賢くなっています。こ
のマニフェストなど、あってもなくても、民主党に投票します。有権者は民主
党支持者としてではなく、この辺で政権交代させ、霞ヶ関のアカを落とさせよ
うと考えています。つまり、キングメーカーとして投票するのです。今こそ自分
たちの意志で、選挙で政権を選択できるのだ、という充実感をもって投票す
るのです。
高校教育を無償にするなどという約束は、ばら撒きです。麻生と同じことで
はないですか。勉強する気持ちの強い子どもで、家が貧しい人を、授業料を
免除するというのは分かります。資産家や政治家や高級官僚の息子や娘ま
で、無償にすることはありません。親が、塾通いに、高いお金を、払っている
子どもたちの授業料を無償にする必要はありません。限りある税金を、無駄
に使うことはない。全員にばら撒くより、援助を集中することがのぞましい。
同じ予算なら、本当に援助して喜ばれる人たちに、十分な額が行き渡るよう
にするべきです。「もらわねば損」という考え方より、余裕のある人が困って
いる人を助ける、助け合い、相互扶助の精神で、少ない予算をやりくりす
る。これでこそ、日本に住んでいてよかったということになります。愛国心な
んて説教しないでも、自然にこの国への愛情がわきます。困ったときに助け
てくれる、人への連帯感としてです。
年金も基礎年金をちょっぴり上げるだけでは意味がありません。ここにも相
互扶助の哲学が感じられません。人をまとめていく原理としての哲学が、助
け合いです。これまで競争して、格差社会を生んだのだから、別の方向に舵
を切ろう。有権者のその気持ちが分からないなら、民主党は、その点で、ま
だ成長しなければならないでしょう。
老人党の有権者は、美味しい約束を待っているのではありません。もう少し
政治的に成熟しています。他の有権者は、小泉登場のとき、英雄待望のよ
うな気持ちで、投票したかもしれません。しかし、今では、英雄待望のような
気分で、自民党に絶対多数を与え、日本を格差社会にしてしまったことを悔
いているでしょう。その人たちも、反省して、ちょっぴり政治的に成熟している
はずです。
民主党よ、老人党のこうした意見に、耳を傾ける余裕をもてますか。焦る必
要はないのです。




7月15日 東京都議会選挙結果をみての感想。及び軽井沢町長宛の手
紙。

いよいよ総選挙が迫ってきた。今度の総選挙は、かなりの泥仕合になるの
は避けられないと思う。ますます政治のイメージは悪くなり(ま実像に近くなる
と思えば大したことではないが)、泥仕合に巻き込まれないで、超然としてい
られる政治家がいたら、きっとその政治家の株は上がるだろう。だがそうし
た政治家が幾人いるか。
泥仕合にならないためには、まずヴィジョンを闘わせることだ。
マニフェストを書くなら、この国をどちらの方向に向けるかの長期ヴィジョン
と、とりあえず、今何をなそうと思っているか、という短期ヴィジョンをはっきり
分けて書くといい。たとえば、競争社会を続けるのか、相互扶助社会に向け
て舵を切るのか、大国日本というゴーマニズム的な虚栄心を抱き続けるの
か、そのために国内の弱者を切って棄てるのか、あくまでも実力はあっても
謙譲な姿勢で、近隣に先輩として接し、国内の調和ある社会を実現し、民主
主義のモデルになろうとするのか。そうした、国民に選択させる政治哲学を
示さなければならない。それによって、景気対策をではなく「いかなる景気対
策を」が選択の問題になってくる。麻生内閣の景気対策は、将来の日本を
考えるどころか、将来の日本に付をまわすだけの、ばら撒き景気対策だ。相
互扶助の精神に基づくならば、お金はもっとも困っている人のために使われ
ねばならぬ。予算が足りないときは、分捕り合戦ではなく、譲り合わなけれ
ばならない。そのために必要なのが、選択の基準となる日本の未来のビジョ
ンだ。
これが都議会選挙結果をみての感想。

次に個人的な問題であるが、軽井沢町長に宛てた手紙をこの欄で公開す
る。同じものを信濃日日新聞にも送るつもりだ。取り上げてくれればよし。く
れなくともよし。ともかく一石を投じたい。ちょっぴり皮肉を込めているが、ぼ
くたちには軽井沢に夏住めるかどうかの瀬戸際であり、内容は読んでくださ
ればお分りいただけるだろう。


軽井沢町長 佐藤雅義殿

前略、形式的季節の挨拶などは全部省略させていただき、用件のみを書き
ます。
先ず自己紹介からいたします。小生、中軽井沢(上の原)に別荘を立てて以
来四十年になります。現在八十歳です。業は作家で、なだ いなだというペ
ンネームを用いています。昨今は、ヴァーチャル政党老人党を、インターネ
ット上に立ち上げています。軽井沢は夏のみの住民ですが、町民税の滞納
など、一度もしたことがありません。
では用件に入らせていただきます。
先ず、お願いの件を申し上げます。一週間前、今年も軽井沢の小生の別荘
を開きに出かけましたが、今年もというべきか、小生の別荘の敷地に、ゴミ
が投げ捨てられておりました。散乱しておらず、大きな袋ごと入り口近くに、
松の幹の後に隠すように捨てられておりました。こうした不法投棄ゴミは、こ
れまで、それを集め、自分で処理場まで車で運んできましたが、前回は新幹
線利用でしたので、それもできませんでした。考えて見てください。八十の老
人が、その大きなゴミ袋を抱えて、どこにもって行けばいいのでしょう。近くの
集積所まで往復で一キロ半以上、痛い足を引きずっていく姿をご想像くださ
い。しかもその日は、収拾の時間は過ぎており、また分別していないゴミは、
持って行っても、捨てようがありませんでした。
お願いですから、この不法投棄のゴミを、町の手で処分してください。ゴミ不
法投棄は犯罪です。空き地に町の立てた看板にもそう書かれておりました。
放置されたゴミを放置したままにするのは、行政の犯罪とまではいかないに
しても、それに近いのではないかと思います。十年前には、こういうことはあ
りませんでした。これは町のゴミ行政の変化に関係があります。大きな別荘
団地は個々にゴミ集積場を持って管理していますが、それ以外の土地に住
む別荘族は、軽井沢を引き上げるときに出たゴミを持っていく場所がありま
せん。かつては小生の別荘から歩いて二百メートルのところにあった集積場
は、姿を消し、永住町民の住む、駅近くや公民館近くにまで、運ばねばなり
ません。しかも回収時間が朝早く、小生など、のろのろ歩いて数分遅れてし
まったために、もう集積場の扉が閉められていたころがありました。その結
果、生ゴミを持って、同じ道のりを戻らねばなりませんでした。老人にやさし
い行政です。こうすれば老人には運動になり、アスレチックジムに通うことな
く、活動能力を保存することができるという、高遠なお考えからでしょうか。
ま、そう皮肉もいいたくなります。
ゴミ不法投棄の根には、こういう別荘住民の都合や便利を全く考慮しない町
のゴミ行政があると考えられます。つまり犯罪を起こさせている原因の一つ
が、行政である、とわたしは考えます。
四十年欠かさず、税金をきちんと払ってきている夏季住民としては、このま
ま我慢しているわけにはいきません。何とか解決策を考えていただきたく、
お手紙を差し上げることにしました。
わたしとしては案があります。分別したゴミを回収する車を別荘地に巡回さ
せることです。時間を決めて決められた場所に停まる。こうすれば集積所を
新しく設置するよりも費用がかからず、高齢者としてはかなり助かります。若
い人が助かるのはもちろんのことです。
「最近の若い別荘族は」と、モラルの低下(困ったことではありますが)を批
判しても、解決にはなりません。どうしたら、有効に不法投棄を防げるかで
す。どのようにして、法規を守る普通の町民の生活を、不法投棄の犯罪被
害から救ってくれるかです。
前に、一度、ゴミ問題に関して、小さな雑誌に「軽井沢町長殿」と、公開の手
紙を書いたことがありましたが、小さなメディアだったせいか、お目に止まら
なかったのでしょう、お返事をいただけませんでした。今回は、小生も同年の
家内も、肉体的な限界にあり、忍耐の限度に来ています。家内はフランス人
ですが、ゴミの不法投棄がやまない軽井沢が、国際避暑地などと自慢でき
るかと怒っています。そしてわたしに、このゴミを持って町長室の前に不法遺
棄して来ましょう。でなければ座り込みをしましょう。わざと業務妨害で検挙さ
れて、裁判で争いましょう、と小生をけしかけていますが、小生もだんだんと
そのような直接行動が必要だという思いに傾きかけています。小生が町長
室にゴミ袋を抱いて座り込みし、町長殿とご対面ということになるかもしれま
せん。そうならないことを祈るのみです。とりあえず、この手紙の内容を検討
していただき、お返事をいただけることを、期待します。
こころのこもらぬ儀礼的美辞麗句など、一切いれない、用件のみのお手紙
ですので、無礼とお感じになられましたら、お詫びします。一日も早いご返事
と、問題の解決を、お願い申し上げます。

二〇〇九年七月十五日
軽井沢町夏季町民
なだ いなだ



6月1日 これから、何度も繰り返していう

 八十歳の誕生日まであと八日に迫った。そこで過去を振り返り、未来を見
ることにする。
 ぼくは中学生のときに、生意気な生徒だった。誰にだって議論を吹っかけ
た。校長にも質問した。校長は弁護士出身の細川という人だった。
「先生、数学では単位が同じものでなければ、足して総数を割っても平均に
はならないと教えます。先生の給与の平均は、四十人の先生のもらっている
給与を足して、四十で割れば給与の平均が出ますが、あるものの給与と別
のものの体重とまた別のものの給与とを足して、先生の総数で割っても、平
均にはなりません。牛と豚とニワトリの数を足して、家畜の平均頭数を出す
のは無意味です。それなのにどうして算数と国語と英語の点数を足して割っ
て、平均点といえるのでしょう。そもそも数学的には足してはいけないもので
す。その平均点で生徒の順位をつけるというのは、ますますもってけしから
ぬことです。ぼくのいうことは、間違ってはいますか」
 ぼくの中学では学年末、試験得点に基づいた学年全体の順位を、みなの
見えるところに(いや、皆に見せるためにだ)張り出すのが習慣だった。
 細川校長は、生意気な生徒の面会の要求を受け入れ、校長室で一対一で
話を聞いてくれた点で、今になって考えると、立派な人だったと思う。少なくと
もその一点では。そしてぼくに答えた。
「おまえは正しい」
これもなかなか勇気のある返事だったと思う。
「では、即刻、止めましょう。試験の後平均点を出すこと、それに基づいて順
位を決めることを」
だが、校長は、それはできないといった。
「なぜでしょうか」
「長い習慣だからだ」
「誤りに基づいた習慣は、陋習というものだと国語で習いました。陋習は改
めるべきだと昔の人もいっています」
「世の中の学校全体がやっていることを、うちだけ止めることはできない」
「やりましょう。やったら、世の中の陋習を破った日本最初の中学という名誉
は、わが中学のものとなります」
だが、それはできない、と校長ははっきりいった。
「おまえはまだ世の中を知らん。世の中の間違いを直すのは、お前の考えて
いる以上にむずかしいことだ」
ぼくは、その辺で引き下がった。なぜだかよく思い出せない。このことは「ク
レージードクターの回想」という本の中に書いた。今書いたのと正確に同じ言
葉によってではないが。いわばヴァージョン違いといっていい。
 世の中の間違いを変えることが、校長のいったようにむずかしいことは、こ
れまで生きてきてよく分かった。だが、今、思う。これは変えねばならぬ。死
ぬまでに、この世の中の誤りだけは正したい。センター試験などによって、
無意味な順位がつけられ、そのトップがエリートとして世の中を支配する国
では、本来多様である人間の価値が認められなくなっても当然である。
 最低でも、ぼくは文部大臣に、平均点で順位をつけることの数学的正統性
の有無の討論をして、返事をもらいたい。これからの日々をそれに賭けよ
う。しつこく、何度も迫っていくつもりだ。だれか、ぼくに手を貸してくれない
か。
 今の大臣など、阿呆の集りではないかと思うが、一人、東大の一番むずか
しいといわれる学部を、主席(一番)で卒業した大臣がいるそうだ。その大臣
に、答えてもらってもいい。


5月15日 老人は、民主の首がどうなろうと、がたがたしない

 後先になりますが、5月12日の文章を書いたあと、日本に電話して、小沢
の辞任を知りました。大騒ぎをしているようですが、ドレスデンのホテルで
は、どういうわけかインターネットが使えず、すぐに反応できませんでした。し
かし、その方がよかったのかも知れないと思っています。今はパリに戻りま
した。
 民主党の党首交代の機会に、自民党が乗じて総選挙に踏み切るか否か、
などという判断は、日本にいない身では、空気が読めないので、なにもいえ
ませんが、いまさらじたばたしても、仕方がありません。というより、老人はじ
たばたしないところが取り柄だと考えた方がいいでしょう。
 ぼくたちが、政権交代を望んでいるのは、民主党を支持しているからでは
ありません。だから最初から、目をつぶって、鼻をつまんででも、政権交代さ
せるために投票に行こう、といっているのです。ともかく日本に政権交代の
習慣を根付かせることが必要です。「責任政党」と名乗りながら、まったく責
任を取らない政党に、有権者は痛いお灸をすえる必要があるのです。今
は、そのことだけを考えていればいい。それで腰が据わります。
 ぼくがドレスデンに行く時乗った飛行機は、ドイツのデュッセルドルフ空港
のストライキで大幅に出発が遅れました。ドレスデンでは、ぼくが着く前々日
に、デモがあったみたいです。ヨーロッパの経済優等生だったドイツも、今は
苦しんでいます。それをこの小さな旅行の間にも感じました。今回の不況
は、麻生式ばらまきで回復させることが出来るような、生易しいものではあり
ません。小沢の失脚程度のことで、がたがたするのとは、次元が違う問題で
す。
 こちらは新型インフルエンザであまり騒いでいません。マスクをして歩いて
いる人を見かけません。ただ、やるべき人が、黙って対策を進めている。騒
ぐことはない。パニックだけは防げます。


5月12日 ドイツで考える

 パリからドレスデンへ、八十歳を目前にした一人旅です。何をやっても、こ
れが最後の‥?になるかも知れないな、という考えが頭をかすめます。こうし
て、ドイツにまでやってきました。
 この一年、踵の痛みに悩まされ、後輩の整形外科に「年ですよ、なんなら
踵にぶっとい注射でも打ちますか。痛いですよ」などと脅され、注射嫌いのぼ
くは、半分治ることを諦めていました。しかし、歩くと痛むし、歩かないと太
る。太ればまた踵が痛む、という下降スパイラルに陥っていました。とにかく
そこから脱却しなければならないと、近くにペインクリニックが開業したのを
知り、ぶっとい痛い注射を我慢してやってもらおうかと覚悟を決めてでかけま
した。するとペインクリニックの医者は笑いながら、一番細い針でやります。
ちくっとするくらいです、と局所に注射してくれました。そのあと、驚くほど痛み
が薄れ、歩けるようになりました。あの整形外科の医者め、「年だ」などとい
いおって!と自分の弱虫を棚に上げて、心の中で毒づきました。ともかくペイ
ンクリニックの注射のおかげて、今日も一万歩以上を歩けたという次第で
す。
 ドレスデンは、ぼくの私淑していた、エーリッヒ・ケストナーの生まれ育った
町です。ドイツの戦争が終る数日前に、連合国軍の空爆で「一日にして、と
いうよりは数時間で、地上から消え失せた」とケストナーはいっています。こ
とに、軍事施設のない、歴史的文化遺産の集中した古い街が標的にされま
した。この犯罪に連合国も気がついたようです。でも、けっして責任を認めよ
うとしませんでした。ケストナーは、他人に責任をなすり付けるだけで、だれ
も責任を認めようとしない、と嘆き、たとえ勝者の権力者であっても、罰しな
ければいけない、とかれにしてはかなり感情を生でぶっつけるような文章を
書いています。残念なことに、ケストナーはドレスデンが、ここまでの再建さ
れた姿を見ていません。

 そのドレスデンに来て、歩いてみて、ドイツ人の、意地というか、執念という
か、そういうものを感じています。やるとなったら、徹底してやる。麻生首相
は、ちょっとの間ドイツに来ていたようですが、きっと何も見なかったのでしょ
う。ドイツがエコカーへの買い替えを促進するために税金を使うことだけを真
似して得々としています。
 高速の料金を、上限千円まで引き下げて、無理矢理車を使わせ、ゴール
デンウイークには日本のあちこちで大渋滞を巻き起こさせましたが、これで
どれだけCO2排出を増大させたか。ドレスデン市は、中央駅から始まるプラ
ーガー大通りは、旧市街まで歩行者専用です。そこで市電が横切りますが、
その後もエルベ川の川岸まで歩行者天国です。エルベ川も、チェコではウル
タヴァ川と呼ばれている国際河川ですが、水は驚くほどきれいでした。
 こんなに美しく再建された町を子孫に残すことのできるドイツ人を、少し学
ばねばなりません。世界遺産の指定を受けましたが、破壊されてからの世
界遺産指定というのも珍しい。再建の仕方に示された、ドイツ人の文化哲学
に、世界遺産という勲章を与えられたようなものです。
 ぼくの住んでいる鎌倉も世界遺産として認められたくて運動していますが、
その一方で今の市長は、ミニ開発をどんどん認めて、緑を破壊し続けていま
す。なんて嘆いていても始まらない。そんな市長を再選させたのは、ぼくたち
の無力が原因なのですから。
 それにしてもドレスデンの緑の豊かさには圧倒されます。鎌倉時代に始ま
る古都ですが、文化遺産と緑のコンビネーションが絶妙です。あちこちの公
園には、一抱えも二抱えもある大木が、今新緑を芽吹かせています。


3月15日 「汚れた手」(サルトルの芝居の題)

 小沢の問題についてのぼくの意見は、まず「まあ、慌てるな」だ。小沢を買
いかぶってもいなければ、小沢に拒否感を抱いているわけでもない。かれも
二世の議員だし、自民党の系列、しかも旧田中派の流れを汲む政治家だ。
政権交代の役を担わせるにしても、それくらいの認識はある。

 今、西松建設からの献金問題で騒がれているが、慌てて辞任しないのは、
これまでの民主党の代表と違って、小沢が「しぶとさ」を持っているということ
だ。その「しぶとさ」は、どこから来るか。「献金を受けたのは俺一人じゃな
い。金は必ず自民の政治家にも渡っている。トンネルグループを作っての迂
回企業献金は、自民党の誰かも必ずやっている。待っていれば、かならず
情報が出てくる」という確信だ。

 サルトルの「汚れた手」という芝居の中で、レジスタンスの英雄的な指導者
を、裏切り者として暗殺の任務を負わされた若くて純粋な主人公に、「指導
者のだれかが手を汚さなくては、組織は動かない」という宿命を、暗殺者に
「おれのてはここまで汚れている」と手を差し出すところがあった。少し記憶
があいまいで、自分なりに解釈しすぎているかもしれないが、小沢にこの意
識があるかどうか。

 これまでの民主党の代表は、スキャンダルをささやかれると、すぐに辞任し
た。潔いように見えるが、早すぎた辞任だ。年金の未納問題のときも、民主
の菅はすぐ辞任してしまったが、「おれみたいな金には清潔な人間でも、過
ちをするのだから、ほかのものがやっていないはずがない。これは制度の
欠陥だ」としぶとく頑張ればよかったのだ。その後の展開をみれば、かれの
辞任の後、小沢にも、小泉にも未納の期間があることが、次々と発覚する。
だが、小泉はへらへら笑いながら、辞任しなかった。菅は、自分の辞任が早
すぎたことを悔いたのではないか。いざとなったら、小泉と差違えるつもりで
いればよかったのだ。

 小沢は、その点で、政界の金の流れの不透明さをよく知っている。企業献
金の規制をくぐる手の一つとして、OB会を通すことを考えたのは彼かもしれ
ないが、同時に、この手を自民の政治家が使わないはずはない、と確信して
いたのだろう。ぼくは更に、西松建設以外の企業も、この手を使っているに
違いないと思う。日本の優秀なジャーナリストが、嗅ぎまわってくれれば、い
ずれは他の企業のOB会なる存在が、明らかにされるだろう。アメリカの政
界のロビー活動に当たるものを、企業に直接関係のなくなったOBにやらせ
るというわけだ。

 もう一つの問題は、何故この時期に、しかも小沢を狙ったかだ。これはぼく
の勘だが、「日本には、第七艦隊だけで十分」という小沢の発言が引き金に
なったのだ。ぼくは第七艦隊も不要と考えるが、日本の官僚組織の中には、
「アメリカ依存」というか、「ほとんど中毒」の人もいて、小沢を刺せ、という力
を検察に働かせたのだろう。そんな面倒なことでもなく、検察の首脳の中に
「アメリカ依存」がいたのかもしれない。ぼくの勘だから、外れているかもしれ
ないが、あまりにもタイミングが合い過ぎているとぼくは思う。こういう仮説を
もって、事件を追いかけるジャーナリストがいてもいいのにと思う。

 ともかく法廷に取調べ時の、ビデオの提出が認められるようになったのだ
から、小沢の秘書の取調べの状況はビデオに撮ってあるのだろう。取調べ
は、ぶっ通しで何時間行われているか、そうしたことを明らかにするように、
ジャーナリストは要求するがいい。政治や汚職に関する取調べのビデオは、
法廷で公開するべきだろう。


1月6日 今年最初の感想です
 
  ゲルニカを覚えている人は?
 ピカソのゲルニカと題された有名な絵があります。本物を見た人は少ない
でしょうが、写真で見ている人は多いと思います。1937年4月、ナチドイツ
とファシズムのイタリアの空軍の爆撃機が、このスペインの小さな都市を爆
撃して、世界に衝撃を与え、それがきっかけで描かれたのが、ピカソのこの
作品です。
 それ以後、一般市民を巻き込む戦争に抗議する平和運動のシンボルとな
った絵です。タピストリーにもなって、国連安保理の会議場の前に飾られて
いるそうですが、戦争をする世界の指導者には、気になるようで、イラク攻撃
に踏み切って、パウエル国務長官(当時)が、記者会見をした時、カーテンを
引かせて、背後にあるこのタピストリーが、テレビの画面に映らないようにし
たそうです。今回、ガザ問題で安保理が開かれ、どのような決議が承認され
るかわかりませんが、記者会見が開かれるでしょう。その時、このタピスリー
が今回も隠されているかどうか、注目しましょう。
 ゲルニカ爆撃の数ヶ月後、日本軍は南京の空爆を行いました。その後、世
界は第二次世界大戦に突入し、ゲルニカや南京を非難した英米も、ドレスデ
ンの空爆や東京空爆などをするようになります。一見、ゲルニカの絵のよう
な芸術に、何の力があるかと思ってしまうような流れですが、しかし、人間に
良心が残っている限り、以前として、無視できない存在でもあるようです。絵
のTシャツを着てデモというのは、著作権の関係で出来ないでしょうが、現
在、字で「ゲルニカを思い出せ」と書いたTシャツを着て、デモをしたい気持ち
です。
 ゲルニカ!古ーいなどといわないでください。古いことをどんどん忘れるか
らこそ、戦争が起こり続けるのです。