打てば響く
(過去記事2010年)

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 12月26日  




12月26日 そろそろ一年の総括の時

最近の感想を書きます。
 長い間、コラムの更新をしなかったことをお詫びします。
ホームページ作成に使っているソフトを完全にマスターできず、人だよりだか
らです。
もう少し勉強します。
これに平行してヤフーブログに「ぼんやりおやじ」という名前でも感想を公開
することにします。こちらの方が簡単そうに見えるので。
これを使い、より頻繁に、日記的に感想を述べるようにします。(実行できる
かどうか?意地でも実行するぞ!) 
さて、最近の情勢について、抱いている感想です。

   毅然たる態度
最近、耳にすることが多くなった言葉。「毅然たる態度」。今の政治家も好き
だし、ジャーナリストも好きなようです。しかし、よく考えてみるといいですが、
毅然とした態度って、どういう態度なのですか。大阪商人には、この言葉が
似合うかな。毅然とした態度とは、武士に似合う言葉ですね。武士なんて、
何も出来ない人間ばかりだった。毅然とした態度しか売りになるものがなか
った。いわば、何も出来ない人間の強がっている態度が、毅然ではないです
か。尖閣諸島の問題で、いったいなにが出来る?少しでも譲歩すれば、弱
腰だの、売国奴だの、といわれる。だから、政治家も外交官も何もできな
い。侵入してくる漁船に、武力を行使する。大砲をぶっ放す。死者が出よう
が、それが、「毅然」だろうか。
北方領土も毅然としていたら、なにも売るところがないと思う。その点、刑務
所行きになってしまったが、鈴木宗男の考えていたことは、現実的だったと
思う。菅内閣は、外交の上では、まったく自民党と代わり映えしない。

   民主党に対する期待
「政権が変わることに期待していたけれど、民主党もダメだね」
と、ぼくに話しかけてくる人がいます。「政権交代を!」という老人党の主張を
「民主党支持」と誤解していたのでしょう。ぼくたちは先の先を考えましょう。
「ダメな政権は、選挙でどんどん交代させ、それによって、政治全体をよくし
ていこう」「民意の風が吹きぬけるようにしよう」
こうして、二度か三度、政権交代が行われれば、日本がチョッピリ変わるか
もしれない、という希望を抱いているのです。だから、失望するのは、何度も
政権を交代させた後まで待ちましょう。
老人党は戦術の党ではなく戦略の党です。長い目で見る党といってもいいで
しょう。そのかわりしつこくなくてはいけません。
これは、自分に対し、反省を込めて言っています。もう少しぼく自身が、発言
すべきだったなと思います。こんなに長い間、更新までに時間が空いたこと
は、まったく申し訳ない。いいわけしたいけどしません。
ではヤフーブログの方もよろしく。

「ぼんやりおやじのブログ」



5月6日 抑止力なんていってちゃだめ。

 鳩山君、君は「沖縄の皆さんにお願いしたい、日本全体のために、米軍の
海兵隊基地は、抑止力として必要だ、だから県外移設は実現できない」とい
う。お願いする方向が、間違っているのではないかね。抑止力という観点か
らすると、海兵隊を沖縄から移すことはできないという考えになってきたとい
うが、戦後六〇年の間、どんな戦争を抑止してきたの? アメリカは、だれに
頼まれて、どこでだれと戦ってきたの? ベトナム、イラク、アフガニスタン、
みな日本を守るためだったの? 出撃するとき、日本の許可を得たの?
 お願いだから、間違いに早く気がついて!
 あなたは日本の首相なのだから、沖縄県民のために、オバマにいうべきな
の。
「オバマさん、お願いだから、米軍基地をどこか別のところに移してください。
沖縄の人があれほど嫌がっています。移そうとした徳之島の人たちも、嫌
だ、といっています。わたしは、八方ふさがりです。今、日本のどこに喜んで
海兵隊を迎え入れるところがあるでしょう。なだ いなだ という変なじいさん
が《大赤字の関空に海兵隊をそっくり移したら》といいますが、その関空への
移転という迷案だって、ジョークがジョークでなくなったら、大阪でも大きな反
対運動が起きるでしょう。この現実に目を向けてください。来てくれといって
いるテニアン移設を考えてください」と。
 そして、かれの前で日本式土下座をしておねがいしてごらんなさい。「まあ
まあ、それだけはやめて」とオバマも閉口するでしょう。そして引っ張りあげ
てくれるでしょう。それを国辱などという人はいませんよ。世界のジャーナリス
トは喜びます。
 そしてあなたは、このパフォーマンスの後、日本国首相を辞職すればいい
のです。そうすれば政治生命はうしなわれることはありません。勇気のいる
ことです。肝っ玉のいることです。
 そのあと、あなたは、選挙民から「帰ってきて」と声がかかります。その時
は、国内問題のどんな難問だって片付けることが出来るでしょう。



4月11日 与謝野新党「立ち上がれ日本(ニッポン)」の感想です。

日本はなく、あるのは日本主義というイデオロギー

 与謝野、平沼の新党に名前をつけたら、といわれて「じじい民党」と答えま
したが、石原慎太郎のネーミングといわれていますが「立ち上がれ日本」に
なったそうです。老人たちの集まりだから、老人が応援しませんかといわれ
ましたが、老人党は記憶がいい。与謝野は麻生内閣の金融財政担当の責
任者で「二万円ばら撒き」をやった当事者であり、後期高齢者保険制度を作
った自民党の有力議員だった、ことを忘れていない。政治家の未来に向け
た美辞麗句に迷わされず、70にもなる人間は「やってきたこれまでの行動
で判断する」。だまされるほどの馬鹿ではない。と答えました。尋ねてきた新
聞記者には、麻生内閣で与謝野が何大臣だったか忘れたの、老人より記憶
力が悪いね、アルツハイマーかね、と皮肉をいってやりましたが、もちろんこ
れは新聞にのりません。
 ぼくの推測では、この新党は、小泉純一郎を担いだ「文春、読売系」のジャ
ーナリズムのサポートを受けての新党でしょう。
 「日本」とは何でしょう。一つにまとめようというイデオロギーです。しかも自
分たちだけが正しい、選挙で勝った民主党に任せていたら亡国だ、その裏
側には連立を組んだ少数の社会主義者に引きずられているから亡国だ、と
いう選挙無視の考えが見えます。民主党が勝ったのは、自民党こそが自分
たちの生活をズタズタにしてきた、という選挙民の怒りであり、国民総中流の
国から一千万の貧困層に落とされた人たちの意識だったことを、見ようとし
ない人たちです。日本を敗戦に導いた職業軍人たちに、平和条約締結と同
時に恩給を復活した自民党の右派、国のために命を捧げる、会社のために
絶対服従で命をささげる、反対するものは国賊だとか、非日本人だとか、の
レッテルを貼る。排除主義の全体主義、その時代の日本はまとまりがあった
と郷愁を感じている人々でしょう。あるのは現実の日本でなく、個々を全体の
ために奉仕させるカタカナのニッポン主義のみです。日本はたくさんの人た
ちの集りです。それを右と左の大きな流れを交代させて、ヨットのように向か
い風にもかかわらず帆を滑らせ前進する現実の日本という民主主義の国で
す。「ニッポンチャチャチャ、金メダル」の浮かれたテレビジャーナリズムの
日本ではありません。
 文春は出版不況の今、まだ日本で売れる、という計算があるのでしょう。
読売もそうでしょう。テレビもオリンピックでまだ稼げるなら、日本で稼げるか
もしれないと思っているのかもしれません。
 俺と一緒に立て、といっても自民党の若手さえついてこない連中に、立ち
上がらせる日本というものがあるでしょうか。



4月5日 最近の感想です

老人党は忘れていない

 去年の九月に、総選挙で大勝して、民主党政権が発足してから、半年が
過ぎました。
 まだ半年か!と感じる人もいるし、もう半年も!と感じる人もいるでしょう。
この内閣は、公約だった「子ども手当て」や「高校授業料無料化」は、早々と
実行しましたが、老人に対して約束した、「後期高齢者医療保険の廃止」の
方は、何時になるか分からない状態です。次の総選挙まで、今の中途半端
な《待ち》の状態が、ずっと続いてしまう可能性が高いですね。
 でも民主党よ。老人は忘れっぽいからと思っていると間違いですよ。確か
に、個人個人としての老人は忘れっぽい。しかし、老人党のようなグループ
になると、忘れっぽくなくなるのです。一人が忘れても、他の誰かが必ず思い
出させてくれます。老人は忘れていないですよ。次の選挙が怖いですよ、と
脅しをかけたいところですが、二大政党時代になると予測していたのに、自
民党が崩壊してしまったのが誤算、闘わぬ前に、自分でこけてしまうのは、
自分でも格好悪いと思わないのですかね。しかも、公明党が自民党を見限
って民主に擦り寄ってきています。接戦のときに、発言力が強まる老人党と
しては、この状況は想定外です。
 「連立している社民党よ、後期高齢者問題を取り上げろ。老人の票を拾う
チャンスだぞ」とでもいっておきましょう。ともかく老人党がこの問題を忘れて
いないことは強調しておきましょう。

「茜色の雲」

 最近、辻井喬の「茜色の雲」という小説を読みました。小説と銘打っている
が、ほぼ大平正芳の忠実な伝記といってよいでしょう。外相のときに佐藤内
閣による沖縄返還時の置き土産的密約を知って悩むところがあります。岡
田外相に密約問題のヒントを与えたのは、この著者ではないかという気がし
ます。戦後日本の前半の政治史の小説化といってもいいでしょう。小説とし
て読めてしまうので、読み出したら、途中でやめられない。ほとんどの関係
者が実名で登場します。数人だけが、本名でない。だからこそ、こいつはだ
れだ、このいやな野郎は!と詮索したくなりますが、それも読者を巻き込む
ための著者の術かもしれません。六〇年安保の時代を政権の側の視線で
見せてくれます。そしてあの時代の自分の記憶も、けっこう希薄になってきて
いることを思い知らされました。鮮明に覚えていたつもりだったことが、思い
違いだったりして。
 元青嵐会のメンバーが、定年で追い出される時代なんですねえ。



2月13日 感想

へそ曲がりな見方

悪役の存在感

あまり詳しくは書きません。いずれ、「婦人之友」か「ちくま」か「日教組新聞」
でとりあげて書くつもりですから。

 朝青龍引退。

 相撲協会は、きっと後悔するでしょう。朝青龍は悪役でしたが、強烈な個性
がないと演じられないのが悪役です。こんな才能を持った相撲取りは、何十
年に一人現れるかどうかでしょう。そして悪役がいない芝居はつまらない。
相撲協会にとって、朝青龍は得難い宝物だった。そのことに気がついていな
い。気がついた時に後悔しても遅い。朝青龍のいない場所はつまらなくな
る。そしてファンも遠ざかる。

 この引退を仕掛けたのは、横綱審議会ですが、審議会は偽善者の集まり
のように見えます。横綱の品位などというけれど、本当に横綱らしい横綱だ
った双葉山も、完璧ではなかった。戦後自分が信仰した爾光尊を警察から
守ろうとして、暴力をふるった過去があります。それから復帰して、大相撲の
理事長になった。大鵬だって、新宿のバーだったかで、芥川比呂志(比呂志
の方が挑発したらしいが)と、あわやけんかというところまでいった話を聞い
たことがあります。

 それに、ともかく強くなければ、なれないのが横綱。品位だけで横綱になれ
るものではありません。

 審議会の面々で、品位の感じられる人がどれだけいるかです。ぼくには偽
善者の集まりに見えます。

 それに相撲協会の理事選。あれは談合そのもの。自由選挙ではありませ
ん。あれほど品のない選挙はありません。談合そのものです。談合こそ日本
の国技ということなのでしょうか。
 政治の世界でも、倫理とか、道義的責任とかを、野党もジャーナリストも問
題にしますが、振り返って、その人たちは道義的に、倫理的に一点のやまし
さもなくいえるのでしょうか。イエスが売春婦に石を投げている人たちに問う
た言葉を思い出すがいいのです。

 この言葉は、本人が「自分は法的に罪を問われないが、道義的な責任は
痛感している」という。そういう場合に据わりのいい。自民公明の連中の口か
ら出ると、言葉が居心地の悪さを感じるでしょう。台詞は、口を選ぶのです。
他人の台詞か自分の台詞か、考えて物をいわねばいけません。

 話は飛びます。小沢の不起訴を、ぼくはテレビの報道の前日、アメリカの
キャンベル国務次官補が、小沢と会談したというニュースを見て予知しまし
た。「起訴はないな」と。翌日起訴される人に、アメリカの国務次官補が大使
を連れて会うことはない。ニュースに注意していると、かなり予知できる部分
があります。ということは沖縄基地の問題も、希望が見えてくるということで
す。かれも政界では朝青龍のような悪役です。かれなら、アメリカと沖縄基
地問題で駆け引きできるでしょう。岡田も北沢もまったくダメ。官房長官もお
かしくなった。国務次官補も、結局は相手は小沢だな、と判断したのでしょ
う。

 清濁合わせのんで、日本の未来を考えて、誰が必要かを見る。有権者は
そこまで賢くならねばいけません。



1月13日 年初の感想

 社会の記憶力

 2010年の年初の感想です。型通りの挨拶は一切省かせていただき、そ
のかわり、この一年、あまり活動的でなかったことをお詫びします。サイトの
更新ももう少し頻繁にできるはずだった、などと新年を迎えてまたまた反省
を繰り返しているところです。

 さて《なださんは頼りないなあ》と思われているのではないでしょうか。社会
で事件が起きたとき、それについてのぼくの意見を知りたいと思っても、ぜ
んぜんホームページに反応が現れなかったですものね。また老人党のサイ
トで論争が起こっていても、反応なしでしたからね。

 しかし、故意に沈黙していた訳ではありません。反応がのろいだけです。
反応しようとしているうちに、のろくさだから、次の事件や次の論争にみなさ
んの関心も移ってしまう。せっかく準備した文章が間延びしたものになって、
結局止めにするという流れになっていただけです。ですから改善の見込みが
ない訳はありません。

 しかし、負け惜しみではありませんが、のろくさにもいい点があります。少な
くともぼくはそう思っています。反応なんて、ただ早ければいいというもので
はありません。ゆっくりと熟考して反応することだって、同じくらい大切です。
ぼくは、どちらかというと、反応が鈍い方ですが、それでもそこがぼくの得意
とするところなのだと考えています。人それぞれ得意があるのもいいでしょ
う。
 今、ぼくはパリにいます。子どもたちは皆フランスに住んでいるので、一年
に一度、格安航空券で、家族を訪ねるのが習慣になっています。それで今
はパリです。外国から日本を見つめるというのも、思考のリフレッシュには役
立ちます。

 さて話は少し戻ります。年を取るに連れて記憶力が衰えます。そこで対策
として、出来るだけメモをするような習慣を身につけました。しかし、メモを取
るのはいいが、しばしばそのメモ帳をどこかに忘れるということがあります。
これは困る。でも、偶然再発見した時の喜びもまたいいものです。そして今
の今、メモ帳の裏の部分を、またメモ帳として使ってエコしようとして、去年の
今頃のメモを見つけたところです。

 去年の今頃、どのような事件があったか、みなさんは覚えていますか。意
外と覚えていないのではないかと推測します。単なるぼくの思い込みではな
いでしょう。というのは一年前のことを記事にし続けているマスコミをあまり見
かけないからです。記憶力の低下は老人だけのものではないようです。現代
社会もまた記憶力の低下があるようです。社会が、忘れてはならないことを
忘れていることがよくありますから。

 一年前の今頃、イスラエル軍のガザに侵攻し、世界がイスラエルの非難を
繰り返していました。メモにはそう書いてあります。日本人には、パレスティ
ナ問題は遠いところで起こっているという意識がありますから、とっくに忘れ
ているのではないでしょうか。ぼくとしては忘れてはならないと思っています。

 それならマードフはどうでしょう。これも丁度一年前に起こった事件でした。
これは日本人にもおおいに関わりのある問題です。どうですか。この名前も
覚えていない人がけっこういるのではないですか。正直にいうとぼくも忘れて
いました。それは年ですから仕方ないでしょう。でも、社会が忘れてしまって
はいけません。ぼくは、メモを偶然見つけて思い出しました。一年経ったこと
で、かえってよく理解できるようになったような感じがします。そしてますます
思うのです。これは忘れてしまってはいけないと。

 しかし、ぼくとは逆に、早く忘れて欲しいと思う人がいます。というのは、資
本主義の根幹に触れる事件だからです。

 マードフは巨額詐欺事件という名前を付けられて整理されています。もう裁
判も終わって(なにしろ早い裁判だった)、150年の禁固(アメリカの裁判官
は、150年の禁固などという判決を下すときどんな顔をしているのでしょう)
という判決が下っています。そして株式市場は、こんな事件がなかったかの
ごとく、当時の株価をとりもどしています。

 でもこれは、巨額詐欺事件、ねずみ講の特別巨大なもの、とは本質的に
違うものです。メモを見直すと、詐欺に引っかかった被害者は、れっきとした
金融機関がほとんどです。スコットランド・ロイヤルバンクが500億円以上、
スペインサンタンデル銀行が2700億円、BNPパリバが430億円、英国H
SBCが1350億円。野村証券も被害者に顔を出します。ぼくのメモでは27
5億円。幸いにも、日本の民営化した郵貯銀行の名前がありませんが、もう
ちょっと民営化が早ければ、きっと被害者のリストに名前を連ねていたでしょ
う。こんなところに、巨大銀行が多額のお金を預けていたのです。かれを単
なるねずみ講の詐欺犯だと思いますか。かれは当時としては、ごく普通のビ
ジネスをしていたのです。大きなネズミではありません。かれがネズミなら、
今の金融システムは、ネズミだらけということになります。

 かれはナスダックの元会長ですよ。これが詐欺というのなら、アメリカの社
会は、なぜそれを正式なビジネスとして、長年の間認めて来たかです。ニュ
ーヨークタイムズは、かれのビジネスの提灯持ちのような記事を載せたとい
われています。まさかニューヨークタイムズが意図的にねずみ講詐欺に加担
していたということはないでしょう。そう信じます。すると結論は、結果は詐欺
事件となったが、それはあくまでも結果であって、そうなる前はれっきとした
ビジネスだったということです。上に並べたれっきとした金融機関は、マード
フにもうけさせてもらっていたというわけです。資本主義の落とし子などでは
ありません。金融資本主義そのものだったのです。実体経済とは全く関係な
く、大銀行同士がもたれ合い、お金をぐるぐる回して、株価をつり上げ、そこ
からもうけを得ていた。そして結局は、年金とか、老後の資金として蓄えてい
たお金が、ババを引かされる結果になった、ということです。

 銀行の本当の仕事は投資です。真面目な起業家を発掘して投資し、企業
の成功から利益を上げる。これが投資です。集めた金を丸投げして、ファン
ドとやらにばくちをさせる。これが投機です。ルーレットと変わりがありませ
ん。全ての金融機関が、このような投機に走っているのが、現代の資本主
義です。資本主義はこんなにも変質していた。無理な株価のつり上げはバブ
ルです。いつかはかならずはじけます。はじけた時に、贖罪の羊ならぬ、ね
ずみにされたのがマードフだった。今、メモを見つめながら、そう考えていま
す。この事件は資本主義が反省するまで忘れてはいけない。そうではありま
せんか。