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12月13日 マニフェストか、過去に対する責任か

 選挙となると、マスコミは、各党のマニフェストに目を向けさせようとする。マス
コミも協力する。これでは選挙民が、マニフェストなどを比べて選択しているよう
な錯覚に陥っても無理はない。
 騙されてはいけない。選挙は、これまでの政治の責任を問うものだ。これまで
の中には、今の政府ばかりでなく、これまでの政府も含む。
 子供の精神発達の程度を調べるときに、何かモノを見せると、今持っている
モノを放り出して新しいものに向かうかどうかを見る。新しいものを出されても、
すぐに飛びつかなくなれば、かなり成長した証拠になる。つまり、赤ん坊の時代
は今に支配されるが、成長するにつれ、原因結果を、少しさかのぼって考えら
れるようになるということだ。
 選挙に当てはめれば、目の前に出てきたものに、機械的に飛びつくのではな
く、時間の幅をとって、原因と結果を考えて投票しないと、今まで左、今度は右
の、簡単な選択になってしまう。政治は逆風に間切って帆を操りながら前に進
むヨットのようでなければならない。右に振れるにしても、前進がなければなら
ない。
 日本再生を訴える政党は、こういう視点で見れば、その前の与党であり、今
の日本の破産状態に、責任がある政党だ。壊れた日本を直すというなら、日本
がどう壊れ、それに政党がどう関わり、今、どのような状態にあるか、見てから
考えることだ。それに対し、どのような責任があるかをはっきりさせるのが選挙
だ。日本がまるで民主党の四年間で壊れたというのは、間違いだ。日本が前
の長い支配政党に壊されたから、民主党が出てきた。しかし、この党が半分、
前の支配政党のような部分を持っていたから、何も変えられないどころか、旧
支配政党のやりたくてできなかった増税に手を貸してしまったのだ。
 その民主党をただし、さらに前へと前進させるビジョンを有権者は持つべき
だ。一旦多党化してもいいだろう。

 老人党を立ち上げたとき、ぼくは、落とすことを考えよう、われわれにできるこ
とは、だれを選ぶかではなく、だれを落とすかだと、選挙に対する考えを変える
ように提案した。
 自民党の政治を終わらせるために、たまたま民主党に票を入れるよう勧めた
のであった。民主党のマニフェストに賛成したからではない。
 これからの世界の展望を示さず、自分たちの世界政治の中での位置を示さ
ず、目先の個々の問題を書き連ねただけのマニフェストだなんて、読む価値が
ない。読むなら、その幼稚さを批判するためであって、期待などするためではな
い。
 これまで、政治家が過去に何をなしてきたかを考えず、公約なる口約束、つ
まり口約ばかりに目がいってしまっていた。だから、政治が変わらなかったの
だ。
 大震災とそれに続く原発災害で、今や、政治家たちが、過去に何をしたかが
見えてきた。最近起こった、中央高速道トンネルの天井落下の災害もそうだ。
あえて、事故などと呼ばず災害と呼んでおこう。
 だが、政治家は、今もって、自分からその責任を語ることをせず、もっぱら口
約ばかり述べ立てる選挙をし続ける。ぼくたちの一票は、そういう政治家を落と
すために使うべきだ。

 敦賀の原発は、活断層の真上に建てられていた。だれの責任だ。計画を立
てたのは、どこの党か。建てられたのは、どの政党が政権の座にあった時か。
安全を保証した学者はどこの大学の誰か。
 池田内閣の頃から計画され、佐藤内閣の時にゴーサインが出されたのでは
なかったか。
 建設したのはどこの大企業か。そこと結びつきの強かった政治家は誰か。調
べれば分かるだろう。おそらくその政治家は死んでいるか、引退しているかだ
ろう。だが、その二世は立候補しているだろう。二世という地位を利用して立候
補するなら、親の責任も受け継ぐべきだろう。落とすべし。


11月28日 口先だけにしてもらいたい

 まだ選挙の告示はされていないのに、各党首の街頭演説がニュースの大半
を占める。それにいちいちまともに反応していたら、消耗する。まずは傍観とい
うところ。

 といいながら、この間の安倍自民党総裁の発表した「憲法9条改正。自衛隊
は国防軍に。インフレ目標(物価上昇)2パーセント、成長率名目3パーセント、
建設国債を日銀に引受させる」などなどの自民党マニフェストには、一言コメン
トしたくなった。しかし、そう思ったのはぼくだけでなく、いろんなところから飛び
出したのが、面白かった。

 マニフェストの発表直後、公明党の山口党首が憮然とした顔で、まず、「憲法
9条の改正は必要ない。自衛隊を国防軍と呼び変える必要もなし。建設国債引
き受けのための日銀法の改正も必要ない」という反応を見せた。公明党も安倍
総裁の突出ぶりには困惑しているようだ。創価学会から、「憲法9条改正には、
賛成できない」との突き上げもあるのだろう。公明党は自身が、右傾した自民
党と自公連合を続ける理由があるかどうか、考えざるをえないだろう。

 それに「建設国債を日銀に引受させるための日銀法改正や、物価上昇2パ
ーセント」については、日経連の米倉会長からも否定的な意見が表明された。
財界の代表から賛成できないと発言されたら、寄付をもらいにくかろう。それに
対して、安倍総裁は、「経団連は勉強が足りない」と批判を返している。喧嘩を
売った形だ。この突出ぶりというか、はしゃぎ過ぎというかは、前回内閣を投げ
出したのが「うつ」の状態とすれば、「そう」に近い、といえそうだ。どちらかという
と、自陣営と考えていた人たちに首をかしげられて、ついには「この発言で円安
に振れ、株価が上がった。勝負あった」などとぶつに至っては、もう暴走だ。傾
げた首がもげそうだ。まわりの人たちは、この総裁の袖を引っ張って、ブレーキ
をかけるのに必死なのではないか。
 そもそも、デフレの反対がインフレ、インフレにすればデフレから脱却できる
などという考えは、野党第一党のマニフェストとしてはお粗末すぎる。2パーセ
ントの物価上昇を目標にするなどというのは、年金は増えず、物価が2パーセ
ント上昇すれば、年金生活者を直撃する。公務員も、中小企業の労働者も、つ
まり国民の半数以上が、賃上げは望めない状況だから、2パーセントの物価上
昇は、2パーセントのデフレを体験するようなものだ。円安になれば、大手の輸
出産業は助かるかもしれないが、輸入で飯を食うものにとっては、それだけ損
失になるのだ。海外旅行者は円高を喜びこそすれ、円安に万歳する気持ちは
なかろう。こんなにハッキリと円の強さを実感できる外国旅行者も、数百万人を
数える時代なのだ。
 輸出と輸入がほぼ半々なら、世界から批判も受けない。極端な輸出超過は、
世界の批判を招く。その分、内需を呼び起こしたいところだが、物価高で、給料
はそのままだったら、消費者マインドは冷え込むばかりではないか。デフレの
反対のインフレになどと思っても、日本経済の舵取りは、決して易しくも単純で
もない。高校生程度の頭の政治家には、荷が重すぎる。うまくいかなくなって、
また途中で放り出すのは、本人の勝手かもしれないが、国民の方は迷惑千万
な話だ。
 株価が口先だけで上がるなら、口先だけにしてもらいたい。それで、もう十分
だ。


11月17日

「窮鼠猫を噛む解散」と見えて、実は「あとは野となれ山となれ解散」

 とうとう年内解散ということになった。
 今回は、どこに投票するか、選挙民は迷うだろう。ぼくだって迷う。単独の党
が過半数を占めることはないだろう。
 記録的な低投票率になる可能性もある。その正反対もありうる。自公政権の
復活の可能性は高いが、もう、それにはうんざり、という有権者も多いから、前
回の民主党のように、自民が大勝ちすることはないと思う。

 さて、野田という政治家だが、おそらく「政治家になる以上は総理大臣をやっ
てみたい」と思って生きてきた人なのであろう。松下政経塾に入ったのも、民主
党に入ったのも、自民党に入るより、近道という計算があったのだろう。そして
首相になった。だが、この人には、首相になって、何をしたいのか、そのイメー
ジがなかった。政治家になってからは、ひたすら政治技術を学んだ。今回のよ
うな敵も味方も虚を突かれるような解散をしたのは、そのような技術を学んでき
た結果だろう。かつては、こういう技術は、政界の寝業師と呼ばれた人たちに
属していた。その技術を、かれはプロ並みに磨いた。
 だが、解散のあとを、かれは考えていないだろう。民主党はこんな解散をす
れば、消滅するだろう。選挙後にいくつかに分解し、小沢のもとに走るもの、自
民に走るもの、維新に走るもの、いろいろと出てくるだろう。しかし、かれにとっ
ては、総理になるまでは必要な存在であったが、民主党はもう必要はない。か
れは政治生命を賭けるといっていたが、実は、総理大臣になってしまったのだ
から、これからの政治生命など、問題にならなかったのだ。だから民主党の生
命も賭けたのだろう。
 だろうと、推定しているように書いているが、ぼくの頭の中では、ほとんど確信
に近い。
 政治家を職業としてやる人間が増えてくれば、かれのような首相が選ばれて
も、当然だ。
 だが、日本人にとっては、不幸なことだ。

 こんどの選挙では、どこに投票したらいいか、大いに迷うだろう。それについ
ては、この次に書こう。
 が、群雄割拠して、政権の空白状態が起きるかもしれないが、今のような政
府なら、政府などない方がいいかもしれない。ベルギーなど、541日間、選挙後
に内閣を作ることができなかった記録もある。しかし、ベルギーの経済は、ごく
普通に機能していた。日本に、たくさんのベルギーのチョコレート屋が店を開い
ているし、スーパーでもベルギーの絨毯は、よく売れている。高級スーパーでは
ベルギー輸入の、ビスケットが売れている。フランス製よりよく売れている。政
府はダメでも、商売の方は、けっこう頑張っているのだ。
 541日の政治空白は、さすがにギネスブックに載せられるほどの記録であっ
たが、政府なんて、意外と不必要であることの証明にもなった。その間、選挙で
負けた前の内閣が、541日も延々と代行を続けてしまったのだ。政治空白、さ
あ、大変、などとあわてふためかないこと。

 今回の解散で示した、野田という政治家、昔の「政界の寝業師」という修飾語
を思い出してしまった。追い詰められたかれには、それが唯一の選択肢だった
のかもしれないが、党首討論の形で、解散の言葉を飛び出させたのは、演出
の上手さと認めてもよかろう。
 かつてのバカヤロー解散などというものを、経験しているぼくたちにとっては、
さして、驚きもしなかった。「おやおや、政治のプロだとか、政界の寝業師などと
いう修飾語を付けて呼ばれる政治家が、まだ残っておったわい」
 今回の解散、後世のために名をつけるとすれば「窮鼠猫を噛む解散」というと
ころだろうか。
 ともかく、かれ自身にとっては最良と思われる選択だったろう。ちょっぴり野党
を慌てさせたし、石原や、橋下たちも、慌てさせたし、民主党の傷口が、これ以
上大きく開かないようにブレーキをかけた。あと一日遅れれば、党内の反対派
に首相の座を降りるように迫られただろう。
 だが、寝業師の政治家をもったことを、国民が誇りに思えるだろうか。国民は
いうだろう。寝業師なんていらない。
 欲しいのは、哲学をもった政治家だ。


11月3日 常識で考えようの5

 ちょっとこれまでと調子を変えます。
 短い読書の感想です。

 みなさん、今、ベストセラーになっている『戦後史の正体』孫崎享著を読まれ
ましたか。是非読むことをお勧めします。
 ぼくも薄々そうであろうと感じていたことが、実例の引用付きで、裏打ちされて
います。やっぱりそうだったのか、と納得することばかりです。
 読むと、日本人の、戦後に関する常識が、完全に覆されます。痛快といいたく
なるほどです。

 かれを次の東京都知事選に立候補させようという動きがあるようですが、本
当だったら面白いですね。ぼくは20年ほど前に鎌倉に移住し、東京都民では
なくなってしまったので、投票できないのが残念ですが、かれが都知事になれ
ば、石原慎太郎や、橋下大阪市長とは比べ物にならない、存在感のある首長
になるでしょう。ぼくはベストセラーは眉につばをつけて読む方ですが、この本
の論理性には、帽子を脱ぎます。
 しかもこの本を書いたのが、かつての外務省国際情報局長で、防衛大の教
授という肩書きを持った人だとは!
 こんな肩書きを持った人の本を、ぼくが進んで読むことはなかったでしょう。ベ
ストセラーになって、本屋で平積みにされて、ぼくの目にとまったから、立ち読
みした。それがきっかけで読むことになりました。するとあまりに面白くて、やめ
られなくなってしまったのです。
 これまでだったら、ぼくは元外務省官僚とか防衛大の教授という肩書きを見
たら、手に取る前に、敬遠してしまったでしょう。ぼくのこうした肩書きを持った
人たちへの偏見が大きかったことを、証明されたようで、ちょっと反省していま
す。


10月28日 常識で考えようの4

 石原新党など、マスコミは騒いで、このお騒がせマンの宣伝を手伝っていま
す。今回、コメントの中で光ったのは、田中真紀子文科相の「石原慎太郎、か
っこ悪い暴走老人」。よくいうね、この人。
 みなさん年をとっても「暴走老人」にならないように注意しましょう。

常識で考えようの4。

 前回、いいたかったのは、「靖国に参拝するだけが能じゃないのですか。靖
国とは何かを考えることの方が、もっと重要ではないのですか。なぜA級戦犯
はすぐに合祀され、空襲の犠牲者の合祀は問題にもされてこなかったのです
か。沖縄戦の市民の犠牲者の合祀は問題にされないのですか。軍から手榴弾
を渡され、降伏せず自決した人たちが、合祀のリストに入らなかったのでしょう
ね」、そう、参拝派議員に質問をぶつけてくれるマスコミがなかったのが、一番
寂しい事実だ、といいたかったのです。
 週刊朝日も週刊文春も週刊新潮も、みんなその点では全く変わりはない。情
けないマスコミです。
 老人党掲示板で、前回このコラムに載せた感想に、いくつかの反応がありま
したが、恩給問題に反論が偏ったのは残念でした。ぼくが提起したかったの
は、靖国の問題で、軍人恩給や遺族年金の問題ではない。恩給返せ、などと
いうのは、常識的に考えて、実現することが目的ではない。気持ちの問題で、
合祀もされず、補償もなかった人たちのことを忘れないで、といいたかったので
す。いまさら、返せなどといわない。そういうことを踏まえて未来を考えようという
のが、ぼくの意図です。靖国は軍人と一般人の差別の象徴です。それを認識し
てもらいたかったのです。決して、中国や韓国の反応を考えてのことではない
のです。日本人として、そのような形で、靖国への参拝の意味を、議員たちに
問うてみたかったのです。すぐに、隣国の批判に耳を貸さないのが毅然とした
態度だと思っている人たちに、国内からの批判もあるのですよ、それに耳をふ
さぐこともかっこいいのですか、といいたかった。まず国内問題であって、国際
問題にすり替えないで、といいたかったのです。

 この問題は、掲示板に任せて、先に進みます。

 大震災の復興を阻んでいるのは、なにかです。ぼくは戦後の闇市焼け跡派
の人間ですから、戦後の復興が、闇市のエネルギーによって成し遂げられるの
を見てきました。今回の大震災では、被災者が完全に避難所生活の形で、管
理されてしまって、難民キャンプに似た生活を強いられ、自分たちで勝手に行
動して、焼け跡にバラックを立てて、闇市に物資を運んだ、戦後の戦災被害者
のように振る舞えなかったことにあると考えています。もと住んでいた土地に、
家を建てることも、許せばいい。あるいは買い取ってくれといわれたら、買い取
ればいい。それを受け取って、安全なところに家を建てるのもよし、危険承知
で、その場に家を建てるのもよし、です。
 3・11のような巨大大津波は、今の被災者たちが生きているあいだには、押
し寄せてきません。ぼくは過度な安全確保の考え方が、エネルギーをそぎ、復
興にブレーキになっていると考えます。いざという場合の避難場所を考えるだ
けで十分です。大津波が来ても、絶対安全なところに家を建てることを考えて
いたら、町は再建できません。これが常識的な考え方です。絶対の安全を保証
するなどというのは、常識的な要求ではありません。飛行機に乗っても、自動
車を運転しても、電車に乗っても、常にリスクは伴っている。しかし、それが常
識の範囲にとどまる限り、肯定します。常識的なリスクなら、知っていて飛行機
にも乗るし、電車にものります。毎日世界のどこかで、事故は起こっています
が。地震や津波だけが、リスクではないのです。
 自治体が、市民たちに、自由に行動を許し、避難所生活に必要としている同
額のお金を、個人に現金で渡して、自活を援助していれば、もっと早く復興して
いたでしょう。たしかに、戦後の焼け跡に立ったバラックは、立派なものとはい
えなかった。安全ともいえなかった。でも、そこでの生活は、のびのびしていた
のです。
 これがぼくたち闇市焼跡派の常識です。


10月20日 常識で考えようの3

 自民と民主の大臣まで加わっての、靖国参拝。
 日中関係、日韓関係をこじらせるようなことを、わざわざやってくれる。それが
目的なのだろう。
 しかし、日本人のなかに、誰か、かれらの行為を喜んだり、感謝したりする人
がいるだろうか。
 そうだ、少しはいたんだ。遺族会と旧軍人。旧軍人は、軍人年金をもらってい
たし、遺族は遺族年金をもらっていた。しかも、国民に年金制度がいきわたる
前。サンフランシスコ平和条約が結ばれたとたん、軍人年金、遺族年金が復活
したのだ。
 戦後生まれのほとんどの人は、議員が靖国に行ってくれてありがとうなんて
思う人はいない。これが常識ではなかろうか。ぼくの感覚はまちがっているか
な。
 靖国に参拝する議員の会、などというものを作って、集団で行くところに「赤信
号みんなで渡れば怖くない」式の、批判を恐れる精神が見える。みんなで集団
を作ってやらなければ、できないような、小心者の集まりだ。
 A級戦犯と呼ばれて東京裁判で裁かれた人たちが、靖国に入っている意味
はなんだろう。祀ったのは戦後だから、ちゃんとどのような人たちがやったか分
かっている。旧宮内庁系の人、旧軍隊系の厚生官僚、将軍たち。かれらは、生
き残った自分たちの罪を、かれらを愛国者に仕立てて、自分の罪を消したかっ
たのだろう。
 今の社会の常識で、例えば、会社を潰した人に感謝して年金を払うところが
あるだろうか。退職金返せ、が常識だ。
 かれらは、国を守るどころか、日本という会社を潰し、何百万もの国民と言う
名の社員まで巻き添えにして、沖縄の地上戦や、無差別空襲で死なせ、財産
を失わせた。その責任者の代表が靖国に祀られ、空襲で死んだ犠牲者は祀ら
れていないのだ。そのことを議員さんたちよ、どう思う。それを質問してくれる新
聞記者、テレビ記者も皆無。だからぼくのような批判が常識にならない。その戦
争犠牲の不公平な扱われ方の象徴が、靖国だということ。
 ちょっと過激になったかな。過激なのは常識でないか。でも、日本人は、この
問題を深く考えてこなかったので、ぼくのような考え方が常識にならなかった。
これから、それを常識にして行かねばならない。
 みなさん、靖国に参拝する議員という名は公表されている。その人の名前が
出たら、「あ、この人が靖国に参拝したのね」と、公衆のまえでつぶやくようにし
よう。東京駅で、選挙区に帰る姿をみたら、「あ、靖国に参拝した人だ。テレビ
に映っていた」とつぶやこう。「誰のためにやったのかね」とつぶやこう。「靖国
は軍人でないと祀られないんだってよ。うちの爺さんは、空襲で死んだんだけ
ど、そんなのではダメなんだって、とつぶやこう。そして人々の反応を見よう。本
当に喜ぶ人が今時、いるのだろうか。
 ぼくは旧軍のエリートの学校にいた。そして軍人として尊敬できる人も、愛す
ることのできる人もいた。
 だからこそ、国を守るために働いたという顔をして、生き残って年金をもらっ
ていた人の偽善が許せないのだ。

 ぼくも怒ることがあるのだ。古賀なにがしという自民党の議員。好かん!


10月10日 常識で考えようの2

 安倍自民党総裁が、民主党野田総裁と、公明党山口代表の三党首会談を
受け入れるかどうかの意見を聞かれ、三党合意での近いうちに解散するとい
う、意味は、「常識」では年内を指す、という談話を発表した。
 ちょうどいいタイミングでの「常識」発言だ。安倍総裁にジャーナリストが「常
識」ってなんですか。と質問してくれたら、なお良かったが、ほとんどのジャーナ
リストが「常識とはなんだろう」と考えたこともなかったらしく、当然そのような質
問は出なかった。
 常識が、明治の初期、英語のコモンセンスの訳語として作られたことは、たい
ていの辞書に書かれている。しかし、この訳語の漢字のイメージが、非常に強
かったので、コモンセンスの訳語は独り歩きして、日本では独特の意味を持つ
ようになった。
 というのはぼくの考えだ。
 常識という言葉を使う時には、自分の仲間だけの常識か、もっと広い常識
か、世界に広げられる常識か、を考えるようにする。これがぼくの原則だ。医者
の常識、世間では非常識という場合がしばしばあった。政治家の常識は、国民
にとっての非常識であることもしばしばだった。

 そういうことを踏まえたうえで、常識で考えよう。
 尖閣問題とはなんだったのだろう。日本は、尖閣諸島を実効支配していた。
中国も台湾も、自国の領土だという主張をしてきたが、だからといって、日本の
実効支配を実力で覆そうとはしなかった。ケ小平は、《尖閣問題は棚上げだ》と
指示していた。問題を片付けようとして失うものを考えれば、棚上げの方がず
っと利益があるという、計算のできる現実主義の政治家だった。かれクラスの
政治家が、中国にいなくなったのは残念だ。
 野田が、ケ小平の言葉を知っていたかどうか。知らなかったのだろう。馬鹿な
政治家を首相に仰ぐ不幸をしみじみと感じる。20何億で、国有化したために、
中国に進出していた企業は、軒並み大打撃を受けた。中国も受けている。日
本の地方の観光業も、軒並み大打撃を受けている。これは日本のジャーナリ
ズムがあまり報じない。ANAが中国人予約4万席のキャンセルを受けたという
報道があっただけ。北海道のホテルなど、中国からの団体客で、なんとか不況
をしのいできた。この事件でキャンセルが続けば、持ちこたえられないところも
出てくるだろう。じわりと効いてくるボディブローだ。
 その損失は、税収にも響く。そこで消費税値上げなどをやったら、息の根を
止められる中小企業も多いだろう。国民の生活が第一の小沢が首相だった
ら、やっぱり石原都知事に振り回されて同じバカをやっただろうか。石原に買
わせればよかった。そして、職権乱用で訴えればよかった。都が尖閣を所有す
ることを都民に判断させればよかったのだ。かれがお騒がせマンであること
は、中国にも知れ渡っている。それに困ったふりをしていればよかったのだ。
 韓国語を習い、中国語を習い、観光客を呼び込んできた、日本の地方の観
光業者の常識で考えれば、今回の事件はそのように総括されるのではなかろ
うか。


10月2日 感想というより決意

 老人党の掲示板を見ていると、老人党が曲がり角に来ていることを感じる。
仲間の一人から、「これでいいのか」と活を入れられた。ぼくも、これではいけな
いことを十分に知っていた。だが、怠けていた。ぼくがメルマガに毎回登場する
ようでなければいけないのだ。それが一番の解決法。しかし、それには時間的
にも精神的にも大きな負担増が強いられる。それで躊躇っていた。だが、何を
ためらう。今は、日本にとっても最大の危機。ぼくの人生も残り少ない。今、頑
張らなくてどうする。
 ぼくは、腹をくくった。

 常連化した一部の人たちの、老人の一番悪いところが出た、独りよがりの議
論などに、老人党を代表させていてはいけない。これではマンネリもいいところ
だ。

 話は飛ぶが、ぼくは現在「常識哲学」についての本を執筆中だ。スコットランド
で起きた「コモンセンス」を社会の本にしようと考える哲学だ。18世紀に生ま
れ、経済学者として後世に名を残すアダム・スミスもこの運動に属した。
 この哲学運動は、アメリカ独立とフランス革命を置き土産にして、一旦は消え
る。トーマス・ペイン(バラク・オバマが大統領就任演説で引用した)のベストセ
ラー「コモンセンス」の中の、「アメリカ独立は今や常識(コモンセンス)です」の
一言がなかったら、アメリカの独立があったかどうかわからない。フランス革命
を弁護した、200万部のベストセラー「ヒューマンライツ(人間の基本的諸権利)」
は人権を常識として定着させた。かれはアメリカ独立の直後に奴隷を解放する
州憲法の起草者になっている。
 この思想が、欧米では消えていくのに反して、明治以降の日本に、常識という
訳語を得て生まれ変わり、定着した。日本にもともとあった論語の「中庸」の思
想とぴったりだったからだ。常識は社会の基本原理となったという具合だ。

 ぼくは、老人党は常識の党であらねばならぬと考える。しかし、同時に常識は
進化することも忘れてはならない。「今の非常識」がやがて「未来の常識」となる
こともある。未来を先取りする非常識は大いにあっていい。それが話題を提供
して議論が繰り返されることが、老人党の掲示板のあり方だ。自民党の総裁に
安倍がいいか、石破がいいか、石原がいいか、などという議論は三文の価値も
ない。だれの演説を聞いても最低で、日本の政治家の思想的な貧困さを競っ
ているだけではなかったか。それにのせられていては、日本のマスコミの宣伝
にのせられて不毛な議論をしているだけのことになる。

 日本の防衛大臣が、アメリカの使いばしりになっているのは一目瞭然だ。日
本から大臣の給料を出すのは無駄。初めから説得などできないのに、沖縄に
説得に赴くのは、旅費の無駄。公費を使う価値がない。これ常識。戦後大臣を
「公僕」と呼ぶことが流行った。今は「アメ僕」。アメリカの強引な政策に、無理
に協力するために税金を使って右往左往しているだけ。
 これが国民の常識。しかし日本のテレビはその常識をインタービューで声とし
て出させない。


9月1日 緑の党ができた

 老人党の議論が国会の方に向きすぎているあいだに、重要な政治的事件が
起こりました。緑の党の結成です。
 集まったのは、政治の手垢のついていない、新鮮なメンバーたちです。という
ことは生まれて初めて聞く名前の人が多いということです。しかし、欧米の環境
政党「緑の党」と国際的に連帯をするそうですし、橋下大阪市長のようなスタン
ドプレーの好きな人達ではなさそうです。
 いま、メンバーたちは、反原発で首相官邸を取り巻いているグループに加わ
っている。実行力もある。
 ぼくは、鎌倉で環境運動をしてきたこともあり、緑の党を支持しよう、育ててい
こうと思います。
 環境問題は一国で解決できるものではない。日本の原子力事故の影響は、
国境の内部にとどまらない。世界の環境を地球上の緑の党の同志と考えるよ
うになれば、国境にある小さな島の領有権を争うなんて馬鹿なことは出来なくな
ります。
 緑の党的には、国際的に共同の自然として考えていく手段しかない。国境を
超えなければいけないのです。彼らなら、平和的にそれが可能です。
 強硬派の議論なんて、子どもの議論と思えるようになります。
 元気のいい老人党は、これに加わったらどうでしょう。


8月12日 消費税増税の法案成立に際しての感想

 誰のための、消費税増税か。
 野田政権は、結局は、増税のための保守大連合を実現した。マスコミは野田
を実行力のある政治家という評価をしているようだ。風向きに敏感な橋下大阪
市長まで、急に実行力があると野田を褒めはじめた。
 だが、これから、老人には、確実に、より厳しい時代がやってくる。高額の年
金をもらっている人をのぞいて、年金だけで生活している人の大部分は、収入
は増えず、支出は確実に増える。生活保護以下の年金しか収入のない老人
は、切り詰める余裕もない。
 マスコミの小沢叩きは激しかったがそれらの老人のことを思えば、ぼくは小沢
の論理の方を支持する。

 消費税増税の根拠は、医療費が確実に増え続けるという予測である。それ
ゆえ福祉財源確保の必要があるとの論理はおかしい。右肩上がりの成長が続
かないことは明白なのに、なぜ医療費だけが右肩上がりで増え続けるのか。医
療費のどの部分が本当に必要なのかを、考えるときがきているのだ。意識の
なくなった人間に胃瘻を作って生かし続けることによって、莫大な医療費が費
やされる。これをどう考えるかだ。
 老人の中には、自分にはもう、延命措置はしてくれるな、と思っている人が多
い。ぼくの周りの老人と話しても、大部分の人間は、おれには不要だという。積
極的に安楽死を考えなくても、消極的な安楽死である、過剰な延命措置の拒否
は是とする人が多い。この過剰な延命措置のために、どれだけの医療費が消
えているか。
 こうした未来の医療のありかたを考えれば、医療費は右肩上がりの増加を続
けることはない。もう一つ、クスリの値段は適正かどうかだ。ぼくは現在、前立
腺がん治療のために、日に一錠の錠剤を投与され、毎月一回の注射を受けて
いる。三割負担の代金が月に二万数千円だ。一ヶ月一回の通院だけで、五万
円ほどのがん治療費が、健康保険に請求されていることになる。薬代がいか
に大きいかが分かる。消費者が、この薬価の透明性を要求することはできない
か。ぼくは、医療費増大の裏で薬会社がかなりの利益を上げていると見る。圧
縮する余地は大いにある。医療費が増大するから増税だ、という論理には飛
躍がありすぎるのだ。
 しかし、未来を考えたら、いつまでも財政赤字を増やすわけにはいかないとい
う論理はどうだ。老人も国民全体も、未来につけを回すなという論理に弱い。少
子高齢化を叫ばれると、自分が原因のように、罪を感じてしまう。そう考えるよ
うに、マスコミで洗脳されてきた。未来につけを回さないという論理には説得力
がある。だが、アフガン復興の援助を約束するなどということの方が、未来につ
けを回すことではないのか。
 ついこの間のアフガンの復興援助のための約束は、どうしてもしなければな
らない約束か。復興が必要になったのは、アフガンに天災があったためか。ア
フガンを戦争で破壊したのはだれだ。アメリカだ。自己責任の原理からいえ
ば、アメリカが復興費を負担すべきだ。それなのにアメリカにいい子ぶって、世
界に寄付金の奉加帳回しの役割を買って出たのは野田内閣ではないか。その
ためには筆頭の寄付額を約束せねばならない。だから日本が世界で二位の額
を約束せねばならなかった。その金はどこから出てくるのだ。税金だ。
 ユーロ危機対策に膨大な基金への参加を約束する。どこから金が出る。税
金だ。防衛費には戦闘機、イージス艦など、税金が湯水のごとく使われてい
る。増税の前に、これらの支出を削減することが、つまりそれらの必要のない
平和をを未来のためにつくることが、未来の世代につけを回さないことになる
のではないか。
 日本はまだ、リーマンショックによってどれだけの金融資産を失ったかを総括
していない。年金支払いが赤字になっているのは、年金の運用の上で大きな失
敗があったからだ。本来は、年金の原資は日本の未来のために投資すべきだ
ったのだ。それを、金融商品という紙切れに等しいものを買い込み、アメリカの
資金運用銀行に国民の貯金を差し出して、ドル安でまんまと数割を取られてし
まった。これはぼくの実感だが、資金運用だなどと大銀行の勧めにのって、外
債を買い、資産を何割も減らした経験のあるものにはわかるだろう。
 消費税増税の論理は、こう考えていけば大きな欠陥がある。マスコミの野田
政権支持の論理に騙されてはいけない。実感が大切だ。これ以上の増税に、
老人の生活が耐えられるか、まずそこから出発せねばならない。まず増税あり
き、の考え方は間違っている。小沢の論理の方が、今回は正しい。


8月11日 外交というもの

 外交にしばしば加えられる非難、《弱腰》について考えよう。竹島に李韓国大
統領が上陸したことに対する日本の反応は、強硬な抗議声明の形をとった。そ
れだけでは不十分だと思ってか、韓国駐在大使を一時引き揚げるという。外交
関係を中断することになる。
 だが、これでどんな結果が期待できよう。相手の謝罪を引き出すことができる
か。出来るはずがない。しばらくすると、大使を戻す、何かの口実を探すことに
なるだろう。もっと強腰ということになると、この島を実力で奪い返すことだ。石
原都知事だったらやりかねない。しかし、それは戦争の始まりだ。小さな島が
戦争の火種になる。
 昔だったら、とっくに戦争が始まっていただろう。だが日本には平和憲法があ
る。初めから戦争の手段は取れない。すると、だから、日本は舐められてい
る、と非難するものが出てくる。だが、舐められているという人間は、じゃあ喧
嘩を売るのだろうか。国際間の喧嘩は戦争だ。戦争をしろというのか。そこまで
やれとは言っていないなどと、意見を引っ込める。それよりいい手段はないの
か。
 こういう時は、首相談話で、「強硬な態度を取れ、舐められるな、という人がい
るが、その人には、《右の頬を打たれたら、左の頬をだしなさい》といったイエス
の言葉を返すしかない。小さい島に過ぎなくとも、領土問題は、実に厄介な問
題で、昔は戦争の原因になった。これが愚行だということを我々は知っている。
こういう問題こそ、武力ではなくて、両国の政治家が叡智と善意を絞って平和
的に解決するしかない。今こそ、強硬な姿勢より、叡智を示すことが必要だ」と
相手の大統領に呼びかけたらどうだ。もちろん狙いは韓国の世論だ。韓国の
強硬な世論に、少しでも変化を起こすことができたら、領土問題を棚上げにす
ることもできる。これは日韓のあいだに刺さった刺だ。棚上げにして永久に平
和的な関係を結ぼう、という落としどころしかありえない。それが、現代の世界
の常識だ。
 強硬姿勢で、国民を感情的に煽るのは、いわゆるポピュリストの政治家だ。
叡智のない政治では、出口が見つけられない。


6月29日 松下政経塾の思想

 今度の、消費増税法をどう評価するか。衆院可決後の、各界の反応なるもの
を見れば直ぐに分かる。消費者はため息をついている。野田は、消費者のた
めには働かなかった。単純にテレビに出てくる顔を見ていれば、野田ドジョウの
仕事が、だれのためか分かる。喜んだ人たち、満足した人たちは、だれだった
か。財界は大満足だった。自分たちが、その分だけ課税を免れるからだ。消費
者以外に困った人たちは?中小企業、ことに中小の商店や、飲食店だ。
 自民党、公明党はなぜ、野田に協力したのか。自分たちの働きを、喜んだ人
たちに、見てもらうためだった。いい子でしょう、というわけだ。
 しかし、協力したのに、最大の功労者は野田だなどと、財界に評価されたら
困る。それで、複雑な顔をしているのだ。三党協力しておいて、選挙はなんで争
うというのか。
 次の選挙で、大企業の選挙に対する資金的係わりを、よく監視することだ。
政党に寄付する余力があるなら、その分税金を払えばいい。国の財政を憂え
るなら、まず税金を払え。政党はちゃんと政党への交付金をもらっているのだ。
選挙はその範囲でやればいい。免税の寄付はいらない。
 公明党も、創価学会が、宗教を隠れ蓑に税金を払っていない点を突かれる
のが怖いので、必死になって、消費税増税に賛成した。今、ハコモノをたくさん
作っているのは創価学会だ。
 消費税を福祉と結びつけるなどというが、竹下内閣の消費税導入の口実は
将来の福祉への備えだった。これまでの消費税が、目的以外に使われていた
ことがおかしい。
 そもそも、年金が不足したのは、運用の誤りで、ドル建て債券をたくさん買い
込んで利子を儲けようとしたところにある。わずかの利子の儲け分など、ドル安
でふっとんだ。その間違いを、消費税で補おうとしているだけだ。まず、その失
敗の責任者を、はっきりさせることだ。
 ヨーロッパは、財政的な切り詰めだけを目指す、これまでの保守派の政策が
見直されつつある。ユーロの導入は、財政の統合努力なしに、通貨の共通化
を先取りしたものだ。その矛盾が今現れている。
 オランドがフランスの大統領になってから、財政赤字を増やさぬ努力をしなが
らも、公共投資を増やそうという方向を目指し始めた。
 日本も、真似をして、新幹線建設を進めるという、方針を明らかにしたが、そ
れを税金から出すからいけない。今の銀行の定期預金より少し高めの新幹線
建設国債を発行すればいい。そして、地方の新幹線は、郵便、宅急便に利用
させればいい。東京大阪間は少々過密だが、それ以外の新幹線には余裕が
十分にある。東北新幹線の貨物利用は、さほどの投資もせず、流通に大いに
効果を上げられる。法律を少し変える必要はあるだろうが。
 新幹線は、国債の売れ具合によって進めればいい。ぼくは外債にはこりた。
これからは日本の未来に投資する。そういう老人も多いはず。大損するより、
インフレヘッジ位の安い金利でいい。老人が、若者の失業対策にも少しは役立
てる。
 大まかな線だが、社会党、共産党あたりが、もう少し肉付けをして、次の選挙
に国民に訴えて見たらどうか。
 大飯原発の再稼働でも、野田ドジョウは、財界のために泥にまみれて働い
た。かれの決断で喜んだ顔を思い浮かべればいい。国家を第一に考え、国家
なるもののために、国民に犠牲を強いる。その思想がどうやら松下政経塾出
身者に共通のものらしい。


6月6日 オランド新フランス大統領就任の感想

 フランスの大統領選挙は、オランドの当選で終わった。
 オランドってだれ?フランスの社会党には、ユダヤ系のフランス人が多い。
DSKことドミニク・ストロス・カーンがそうだ。元蔵相、IMF前専務理事で、有力
大統領候補と目されていたが、セックススキャンダルで辞職した。それが間接
的にオランド大統領に繋がった。DSKがコケたから、オランドが急浮上したの
だ。外務大臣に就任したファビウス元首相もユダヤ系。保守のサルコジ前大統
領もそうだった。サルコジと同じ党で、現幹事長のフランソワ・コぺもユダヤ系。
ルーマニアからの移民でもある。サルコジはハンガリーからの移民である。今
回は、ユダヤ系とユダヤ系の候補者の決選投票ということになったわけだ。新
しい移民のユダヤ系と、フランスに何世代も前から住み着いているユダヤ系と
の戦いだ。DSKが候補だったとしても、ユダヤ系同士の対決ということになって
いた。次の大統領選挙で自分の出番を狙っているコぺが、オランドに挑戦すれ
ば、またユダヤ系対決になる。
 政治家以外にもフランスにはユダヤ人が多い。哲学者にも作家にも、ユダヤ
人は多い。ベルナール・アンリ・レヴィーもそうだし、レヴィー・ストロースもそう
だ。レヴィー・ストロースとベルナール・アンリ・レヴィーを並べたくないが。こうし
て、だれがユダヤ人というかユダヤ系というか、名を挙げているうちに、ユダヤ
人があまりに多くて、ユダヤ人ということは、人ということに変わらないことに気
がついた。
 人にいろいろあるように、ユダヤ人にもいろいろあるのだ。ともかく、今回のフ
ランス大統領選挙はユダヤ人とユダヤ人との争いだっということになる。だが、
この二人には仲間意識はないらしい。当選してからの引き継ぎも、実にそっけ
なかった。
 オランドという名前は、パリに亡命していたハインリッヒハイネ(かれもユダヤ
人だ)の書いたものの中に出てくる。当時の銀行家で、資産家で、同時にアナ
ーキストのサポーターだったということだ。ま、パリではマルクスがその後活躍
するようになる時代だ。ぼくはオランドはこの銀行家の直接の子孫かと思った
が、遠い祖先にそういう人がいた、という程度の関係はあるかもしれない。はっ
きりしているのは、直接のかれの父親は耳鼻咽喉科の医者で、母親はソーシ
ャルワーカーだということだ。
 かれは、どこか頼りない感じで、それゆえ、第一書記のポスト在任期間はミッ
テラン元大統領を抜いて、結党以来最長だったが、かれはその間、大統領候
補としては二番手どころか、三番手、四番手だった。前回はかれの事実婚の
パートナーでかれとの間に4人の子供のいるセゴレーヌ・ロワイヤルが大統領
候補に推された。ロワイヤルがサルコジとの決選投票で落選したあと、二人は
事実婚関係を解消した。オランドはセゴレーヌ・ロワイヤルを積極的に支援しな
かったが、今回、別れたあとだったが、セゴレーヌ・ロワイヤルは、積極的にか
れを支援して、キャンペーン活動をした。しかし、早々に閣僚には入らないと表
明した。

 オランドは、当選したあと、直ぐに大統領の給与と、大臣の給与を30%カット
し、閣僚の半数は女性から選ぶという原則を決め、それを貫いた。給与カット
するのは、予算もいらないから簡単にすぐに出来る。閣僚の半数を女性にする
というのも、予算措置は不要だから、簡単にできる。党内のアンティ・フェミニス
トを黙らせるだけでいい。女性から要求されぬうちにやったのは、二重丸を上
げてもいいだろう。
 かれが、財政締め付けよりも、経済成長を主張し、大統領就任直後のメルケ
ルドイツ首相との会談でも妥協しなかったために、ユーロは売られ、記録的下
値をつけたが、決して慌てなかったことには、丸をあげてもいい。いわゆる投機
マネーの脅しに屈しない姿勢を見せたことで、しばらくは投機マネーも派手な動
きは出来まい。そして投機マネーが短期に移動しないように、税をかけることに
成功すれば、三重丸ぐらいやってもいいだろう。しかしこれは、そう簡単にはで
きまい。まず、下院議員選挙で勝つことが必要だ。その投票がまもなくある。
 フランス議会選挙の結果がどうなるか、大統領選挙以上に重要かもしれな
い。
 ま、日本の政治家と、比べてみるのもいいだろう。ぼくは決してオランドに期
待はしていない。オランドを勝たせた、格差と失業を増大させてきたヨーロッパ
の状況こそが、圧力となって、かれを動かす力だからだ。主役はかれを選んだ
国民だ。


4月10日 ぼくは怒っている。

 消費者物価が下がっているだと!たわごとだ。こんなヴァーチャルな数字に
騙されるな!コメとコンピュータと自動車を足して割って、物価の平均だと。
 消費者物価がデフレで下がった分、公務員給与を下げ、それに比例して年
金を下げるということだ。驚いたことに、年金(ぼくはもらっていない)受給者の
老人たちから、強力な反対意見が現れない。みな、諦めムードなのだろうか。
これではますますデフレになるばかりだ。消費者物価が下がっているなどと、い
っている政治家官僚は、どこに目をつけているのだろう。スーパーに買い物に
行ってみろ。
 はっきりしているのは、かれらが現実には目を向けていないことだ。自動車だ
とかコンピュータだとか、数年に一度(ぼくなど自動車は10数年に一度だ)の
買う物と、コメだとか野菜だとか毎日買うものを混ぜて出したヴァーチャルな平
均の数値だけを見ていっているのだろう。庶民の感覚、毎日生きるために買い
物をしているものの感覚では、ガソリンが値上がりし、野菜も値上がりし、肉も
魚も値上がりし、値上がりの瞬間風速は、もう大変なインフレといっていい。
 このあいだ、ゆとり教育で、数学の基礎ができていない大学生が増えたと、
数学者が記者会見を開いて、警告していた。その問題の一つが平均の問題だ
った。「あるグループの平均値は、グループの大多数の値に一致する。正しい
か、間違いか」正解は間違いだが、最近の大学生は正しいと答えるそうだ。こ
の数学者たちは、コントロールをとったのだろうか。それとも大学生にだけ質問
して、ゆとり教育の結果学力が低下したと結論したのだろうか。ぼくは、この数
学者の学力がかなり低下していることを憂えた。コントロールの値と比べないで
結論を出すなんて研究者として論外だ。実は、この問題には、多くの人が引っ
かかるのだ。大金持ちが仲間にくわわると、そのグループの平均所得は実感
より上の方にずれる。それなのに、大多数がその所得だと思い違いしているも
のが多い。政治家官僚に特に多いのだ。日銀総裁に同じ質問をしたらどうだろ
う。間違いに気が付けば、年間1%のインフレ等という努力目標を、持ち出すは
ずがない。日銀が円の守護者でなくなるのなら、総裁の給料を返上しなさい。
喜んでいるのは大企業のための政治家、自称どじょう総理大臣くらいだ。庶民
はインフレに大反対だ。インフレ率1%。定期預金の利率を据え置くなら、庶民
の貯金は確実に1%目減りする勘定だ。だれが賛成する。
 アダムスミスは、経済の目的は、国民の大多数を富ませることであって、平
均値で富ませることではない。国民の大多数を富ませることであって、国を富
ませることではない。国を強くすることでもない、と考えていた。倫理感の強いど
ころか、倫理学の教授であったアダムスミスを読み直してみるがいい。「一将功
なりて万骨枯る」ではいけない、国が富んで、国民の大多数が疲弊するのはい
けない。アメリカの住民は宗主国の王様を富ませるためにあるのではない。独
立しなさいと、自身は英国民であったかれが、アメリカに独立を勧めたのだ。国
民飢えて、ロケット上がるの北朝鮮のことを、インフレを目標とすると口走る今
の日本の指導者が批判できるか。
 あまり腹が立ったので、すこしまとまりがなくなった。でも、もう少し、みなも怒
った方がいい。


3月22日 感想

 婦人之友の次号の原稿を送った。
 日本の代表的な銀行の勧めで、アメリカの生命保険を買い、利子は日本の
銀行利子の数倍付いたが、この円高ドル安で、結果的に大損をした。普通預
金に入れっぱなしの貯金に目をつけられ、資産運用しろと勧められ、しつこい
勧誘についにイエスといってしまった結果が、数百万円の損。最近の一年の収
入に当たる額だ。もう資産運用等という言葉は聞きたくない。
 この経験から、投資顧問会社に年金運用を任せるよりは、日本の未来を買
え。日本のインフラに投資しろ。年金は、お金を長い間積立て、寝かせて、未
来で受け取るものだ。自分の老後を任せる日本に投資し、より住みやすくする
目的に使ってもらうのが利口だ。自分の老後を任せる若い世代の職を確保す
ることもできれば、一石二鳥。
 赤字国債ではなく、新幹線やローカル線などの建設のための国債を買えば
いい。新幹線など、札幌まで、早く開通させるがいい。山陰、北陸の新幹線も、
どんどん建設をすすめる。税金から出すのではなく、年金基金から出せばいい
のだ。アメリカの生命保険や国債などのいわゆる金融商品を売り買いして、利
益を出そう等という連中にお金を預けるな。という趣旨のエッセイ。

 ちくまの連載の原稿は、現在進行中のフランス大統領選挙のジャン・リュッ
ク・メランション候補について書いた。
 年末・正月をフランスで過ごしたが、その時「ジャン・リュック・メランション候補
に聞く」というフランス2局の番組を視聴して、初めてかれの映像に接する。そ
の前に、かれの著書は少し読んでいた。そのとき、過去の、群衆を前にしての
演説や、政治討論などの映像の抜粋も紹介された。視聴して、昔からぼくが抱
いていた政治家像ぴったりの人間を彼の中に見た。ユーモアのある政治家、
難しい政治経済の状況をやさしく説明できる政治家。そういう状況で、ぼくたち
に、今何をなすべきかを示せる政治家。しかし、かれは共産党に支持されてい
るという理由で、フランスのマスコミからボイコットされ、かれの主張は、ほとん
どメディアを通じては国民に届かなかった。だが、おもしろおかしい、肩のこらな
い、元気の出る演説で、少しずつ支持を広げ、今では無視できない存在になっ
てきた。この番組を見た視聴者が、かれに魅了され、支持率が倍増したとい
う。
 正月以来、ぼくはかれの記事をおい続けている。つい最近は、大統領選挙開
始に合わせ、バスチーユ広場へ、という決起集会を開いた。その日集まったの
は12万人。メーデーでも集まらないような人が集まった。
 4月の22日の投票日まで、あとひと月ある。その間に、かれが上位三人との
差をどこまで縮めることができるか。リレーでも、下から上がってきて、上位を
一人二人と抜き去るシーンを見ると、誰でも興奮する。今度のフランス大統領
選挙では、そういう興奮を感じることが出来るかもしれない。抜いてくれれば、
ストレスは最大限発散できるだろう。ギリギリまで迫ってくれても、かなりの発散
が可能だ。旧ソビエトの崩壊後、うっとおしい空気の中でずっと生き続けてきた
労働者たちも、久々に、応援できる対象が見つかった。
 日本にも、こんなタイプの政治家が、左派から出てきて欲しい。自民、民主に
飽きた日本の大衆が、日本のル・ペンのような橋下大阪市長に騙されるのを
防ぐためにも。


2月20日

 感想です。
 最近の日本における出来事を見ながら、82歳の老人として、感想を書きま
す。
 橋下大阪市長と維新の会の勢いが止まりません。かれは確かに大衆受けす
る存在です。かれなら、なにかやってくれるのではないか、と現在の霞が関の
政治家に絶望感を抱く人たちは、大阪に目を向けたくなります。「大阪都を」と
いう主張は、大阪府より、大阪市の方が存在感がある現状では、一体化によっ
て行政の簡素化になるのは確実だから、きっと税金が安くなるだろうという期待
を抱かせます。しかし、そこまではいいとして、勢いに乗って、国政にまで、乗り
出してきたときの、かれが(若いので必ず自分から出なくても、担ぎ出されて登
場する場面があるかもしれない)どのような国あるいは社会のあり方を目指す
のか、不安を抱く人もいるでしょう。
 こういう時、老人は思い出します。これが老人の強みです。いたずらに恐怖心
も抱かなければ、期待も抱かない。つまり比較的冷静に見られるのです。
 もちろん危険も目に入ります。たとえば橋下市長のもとに集まる人たちの会
の名前です。「維新の会」だそうです。この維新という言葉、明治維新が有名で
すが、ぼくの耳には、同時に昭和維新という言葉も反響します。昭和維新は昭
和の軍部若手の将校たちが、社会を改革しようと志した時に、自分たちの行動
目的として掲げた言葉です。左翼の革命をあえて避けて用いた言葉です。そし
て、かれらは挫折し、挫折させた人々が、この言葉の魔力を引き継いで、日本
を戦争に引っ張っていきました。その時のことを生々しく記憶するのが老人党
世代です。
 ぼくは軍隊の学校に行きましたが、この言葉を何度聞かされたことか。それ
によって生まれたイメージがあり、それに対するこころの中の反発があります。
自分では、自分の運動をそう名付けようなどという発想は、持てません。こころ
の中に抵抗感があってつぶされてしまいます。到底使う気になりません。
 使っている人たちが、あの時代について無知であることも危惧します。知らな
ければ、警戒心もわかないでしょう。かれらが力を得た後に、登場してくる勢力
を、どうしても危惧してしまいます。

 今日はここまでとします。
 そのほか、戦後に急速に勢力を伸ばした政治勢力についての思い出話とい
うか、歴史的回顧は、(フランスのプジャーディスト運動や、ル・ペンの国民戦線
運動などの、公明党も含め)連載などの一仕事を終えた後に書きます。それま
で少し待ってください。
 ぼくの体調は、心配ありません。心配してくれる人に、心配して損したといわ
れるほど、少なくとも見た目には元気いっぱいです。


1月29日

 感想です(近況はブログの方に書きます)。

 フランスから風邪をお土産に背負って帰ってきました。
 そして、テレビで国会の討論を見ると、日本の政治は相変わらずだな、とため
息を漏らしたくなりました。そこに石原、亀井新党なんて変なものが出来そうな
ことが、新聞に書いてある。これには「冗談でしょ」と思わず出ました。コメントを
求められたら、その時も「冗談でしょう」と一言いいます。一言だけ。それくらい
にしか値しません。
 前に、出発の時点で1ユーロが100円だったのだから、ユーロが100円にな
った頃を見計らって、円を対ユーロ固定相場にすればいい、といったことがあり
ました。計算もしやすくなる。為替相場を気にせず、安心して取引もできる。輸
出産業もユーロ建てで輸出入すれば、為替変動で、損することも心配せず、安
心して商売できる。ユーロも日本のおかげで安定する。
 アメリカも基軸通貨ドルの上に胡坐をかいて、世界をインフレの道連れに出
来ない。
 オバマ政権は2パーセントのインフレ覚悟の経済政策をとろうとしている。あ
まりにも、自己中心的だ。だからこそ固定相場制にという提案。
 アメリカの反撥は怖いけれど、怖がっていたら、恐怖政治に賛成ということに
なってしまう。日本の政治家は、アメリカと対等に発言できるようにならなけれ
ば、一人前とはいえない。安保理常任理事国なんて、金で票を拾わなければ、
選出されません。沖縄問題もいつまでたっても、解決できない。
 あまりにも急に1ユーロ100円が来てしまったけれど、もう一度、固定相場に
戻ったら、そうEUにも提案したい。これは、自分でいってしまうのは、興醒めだ
けど、あえていいます。この案、現代国際政治のコロンブスの卵かもしれない。